火曜日:シャトーブリアン
佐波さんは部活のマネージャーだ。彼女の顔を見ると、なぜか空腹感を覚える。
「どうしたんだ?」
部活を終え、着替えに部室に向かっていると、人の殆どはけたテニスコートの片隅に蹲る小さな人影を見つけた。背格好からしてマネージャー、それも同級生だろう。放っておくわけにもいかず、近寄って声をかける。
蹲っていた人物は、やはりマネージャーの、確か佐波さんと言ったはずだ。顔を上げた彼女は、驚いたように目を見開く。それからすぐに、照れたようにはにかんでこう言った。
「手塚くん、シャトーブリアンって食べたことある?」
しゃがみこんでいた理由を問うたはずなのに、返ってきた言葉はあまりに予想外だった。
虚を突かれてしまい黙っていると、「ごめん、なんでもない」と佐波さんは慌てて立ち上がる。
「食べたことは、ないな」
ようやくそうとだけ告げると、彼女は困っているような嬉しがっているような複雑な表情を浮かべた。それから「そっか……あ、おつかれさま! もう帰るよね」と歩き始める。
並んで部室に向かっている間も、佐波さんは深刻そうに顔を曇らせていた。
「食べてみたいのか?」
「食べさせてみたいの」
今度も、すこし返答に困る。
しばらく沈黙が続くと、佐波さんは「……あー、その、友達にね」と考え考え言った。
「そうか」
辿り着いた部室の扉を開いて、そこで彼女とは別れることになった。シャトーブリアン、か。
「手塚くん?」
どうやら口に出してしまっていたようで、先に着替えていた乾くんが不思議そうな顔でこちらを見た。彼の同い年ながら長い手足は、すこし羨ましい。
「いや、さっき……」
なんと説明していいのかわからず、俺は口元に手をやって考えこむ。乾くんはそんな俺を見てくすくすと笑い声を上げた。むっとして彼を睨んでも、まだ少し笑ったままに「ごめんごめん」と柔らかい口調で言った。
「ちょっと意外でさ。手塚くんの口から、シャトーブリアンって」
俺だって、一日にこうも何度も、『シャトーブリアン』の名前を聞くとは思わなかった。
「佐波さんが、友人に食べさせてみたいんだそうだ」
ふうん。と乾くんは唇をとがらせて相槌を打つ。それからちょっと考えるようにして、「確か百五十グラムで一万五千円くらいだったかな」とつぶやく。
百五十グラムで一万五千円。
確かこの間、頼まれて買いに行った牛肉は一パック千円程度だったはずだ。
「……」
腹の虫がきゅうと音を立てたと同時に、隣からも同じような音がする。
俺たちは無言で顔を見合わせた。
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