氷川補完計画


氷川君さあ煙草吸うのやめてくんないかなあニオイとか煙とか嫌う女の子最近増えてるんだよねえと云ってきたクラブは店長が死んで内部が大騒ぎする前に辞めた。刀の錆にもならなかった。興味本位で始めたモデルも一度寝ただけで恋人面する女カメラマンにうんざりして投げた。彼女は今頃土の中でジャーナリストになる夢でも視ている。法治国家日本、それでも俺は概ね自由です。

「氷川、俺綺麗に死にたいのね」
「起きてたのか」
「あんたが服に腕通す前から」
「最初からか」
「ひひ、そういうこと」

口角を上げて喉を震わすだけの笑い声が耳にべったり貼り付いた。鏡越しに見る悪魔は腰までシーツに呑まれているが如何せん肌まで色がないから黒い髪だけがぽっかりと浮かんで其処に穴が開いた様だ。ベッドライトに浅く照らされる首元、幼いうなじ。俺と同じ背格好になるには倍の人生が必要である程度の差。数十分前に二人で耽っていたことが明らかに淫行条例に抵触するにしたって道徳とかそれに基づいた秩序、なんてヒトじゃないから鎖になったりはしないのだ。とうに腐って泥の海だ。

「綺麗に死ぬってのは」
「うん」
「スピリチュアル的な意味でか」
「無理だろもう」
「まぁ今のは世辞だ」
「兎に角、断面とか内臓とかさ、なるべく見ないで死にたい訳」

俺がベッドを抜けシャツを羽織り鏡に向かってピアスを付けて、気付くまでこいつは何をしていた?

(決まってる。笑っていたのだ、俺の背中の痣を見ながら。それが服に隠されるのを。俺が白を着飾って人間に成り済ますのを。他人の目に縛られる俺はそれでも概ね自由です)

「そっちの方が楽そうだがな」
「へぇ、なんで?氷川」
「血の逃げ道が多いから」
「即死?苦しまない?」
「それは知らない」
「じゃあ氷川は苦しまない様にって刀を使ってあげてんだ」
「違う。知らないジジィに拳銃ぶっ壊されたんだ」
「え、はは何それ、氷川ダッセ」
「それにしても」
「何」
「いちいち名前を呼ぶな」
「良いじゃん」
「良くないから云っ」
「あんたに許された貴重な権利」

でしょ、名前を持つことは。にたにた笑えば殺意が湧いた。胃の下辺りで蛇が暴れている気がした。ああ殺したい。殺してやりたい。その侮蔑した目に白い肋骨の無垢さを見せてやりたい。自分の五臓ひいては六腑まで細かに解説してやりたい。泣いてそれらをかき集める姿を想像した。可哀想にずるずるした泣き顔と赤黒い中身はもう元に戻らない。或る所で出会ったお偉いさんと女を思い出した。

「決めた、もう一度しよう」
「は?何いきなり。仕事は?」
「金がなくても生きていけるさ」
「そりゃ氷川はね」
「お前は」
「別に。こんな高いとこ泊まれんなぁそうそうないし……ん、」
「親とかは」
「いな、ぃあ、待、ひ」
「そうだ。汚ならしい声で鳴け」
「名前は?」
「呼ぶな」

ひひ、とまた口角が上がる。ピアスは?今更構わない。シャツは?多少皺になっても上着で隠れる。今日は良く尋ねてくる日だった。知られる程縛られる気がした。窮屈に感じないのは錯覚だと知っているからだ、名前も、抑圧される殺人衝動も、この子どもの前にだけ働く良心だとでも思っておく。こいつの前でだけ俺は、


(せめて、人間らしく)


(110124)


・氷川は高級ホテル暮らし
・氷川は妖怪人間
・西だけがチート氷川の理解者
ていう補完





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