ニッチェ


それは生存競争。生物世界で確立された、適応という絶妙なバランスの僅かな隙間。似た者同士は駆逐せよ。区別せよ。例えばネアンデルターレンシスとクロマニオンマン。例えば俺らと異邦人。

「赤の女王って知ってる」
「女王?アリスの」
「そうそれ」

肯定しながらも笑ってしまった。百九十センチの大男の口からアリスはなかなか出てこない。そう云ってやればお前にだって合わないよ、と加藤はやっぱり加藤らしくやんわり棘を刺して返す。

「そいつがな、同じ所に留まろうとするなら全速力で走り続けろ、って云うんだ」
「へぇ」
「進化論も同じだって。種の存続の為には喰う方が攻撃力を、喰われる方が防衛力をお互い上回り続けなきゃ。積み上げていかなきゃいけない」
「ジェンガみたいなもんか」
「巧いじゃん。そうだよ、崩れたら滅びるだけだ」

珍しく褒めさえすれば照れ出す。偽善者という人種は面倒だと思っていたけど元は洗脳されやすいと云うだけだから後は至って単純だ。俺より長く生きた年月で固めた信念が厄介でもいつか塗り替えてやる。ほうら、ここでも競争が起きている。

「で、お前は何を云いたいんだ」
「それは何も捕食被食の関係だけの話じゃないってことだよ加藤。忠告。一方がもう一方に悪影響を与える関係全部に当てはまる」
「…………西。やっぱりガンツの話なんだな」
「ボケた考え棄てなきゃ死ぬぜ」

薄々気付いてるって歪んだ顔が近くて最高に爽快だった。手に取った武器が一番平和だと錯覚しているのを加藤は知っている。自分が手を下さずに済むだけというそれこそ俺の思う壺であり、それでもやめられないことを知っている。そして俺は加藤がそのことによってもうずっと苦しんでるのを知っていた。

「幾らヒエラルキーの上に立って危険を排除した所で俺らはずうっと、ゴセンゾサマと同じことを繰り返さなきゃいけないんだよ」
「今日は西、よく喋るな」
「お前には生きてて欲しいから」
「!」
「ってこともあるかなあ。なぁんてね、信じた?」
「信じたも何も、信じてるよ」
「……やっぱめんどくさい奴」

手持ち無沙汰な加藤の手は俺の髪を弄る。黒の擦れる音が直ぐ隣で聴こえる。沈黙と男のイニシアチブに喰われそうだと、俺はまた防衛機構を進化させる。

「それでな」
「うん?」
「生存競争に勝って得た場所は、ニッチェって呼ばれてる」
「ニッチェ」
「教会とかでマリア像を置く為の窪みのことらしい」
「あぁ、何か想像できるぞ」
「俺らはきっと星人とニッチェを奪い合ってんだ」
「ガンツで?」
「うん……ガンツで」
「種を残す為に?」
「生き残る為に」
「殺さなきゃ……いけないのか?それって。必ず」
「諦めろよ、そういうもんなんだって。産まれて、セックスするまで生き延びて、産んで、それからやっと死んで良いんだよ。動物の本分だろ」

本当はもう一つ選択肢があった。でもそれは多分ガンツが出来る前からずっとやってきたことであって、間違いなく加藤の洗脳はその恩恵を賜っている。不干渉。最早時の彼方だ。そんなことより指摘すべきことが、今までの流れからはある。

「なぁ、俺、思うんだけど」
「何だよ」
「じゃあ今お前は、お前と俺は、矛盾してるんじゃないか」
「何処が?」
「何処が、って……」
「云ってみろよ」
「その……何も産まれないだろ」

薄々気付いてるんだろって逸らした顔はそれでも近くて俺の笑顔に怯んだ加藤にキスをした。頭を引き寄せるといつもならオールバックの前髪が俺の額に降ってきてまるで別人だ。脂肪の無い胸同士が抱き合うからどくどくと心臓の音が良く聴こえる。急かす様に少し速いのはあっちで、まあそんなに不安がるなよと足に足を絡める。

「俺をお前のニッチェにしてみせれば良いんだ」

此処の窪みは競争率高いぜ?挑発すればたちまち泣きそうな顔をして、それでも加藤は今日も顔も知らない俺の相手と適応性を奪い合う。惚れたなら仕方ないって思考があるなら殺したって仕方ないって割り切っても良いのに。崩してやりたい。塗り替えてやりたい、その真摯が俺を喰い千切る前に。


(101012)


西くんの楽しい進化論講座






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