易簀

※家庭訪問〜アパート襲撃の間

・KとR

一時限目は体育館召集だった。
今朝方のニュースで色が着いた話題による館内の喧騒は少年Kを心底うんざりさせたが、学校長が壇上に立つことで打って変わってそれは粛々と執り行われた。背も見目も申し分ないばかりか勉学運動ともに努力を要しない、だが明朗で要領の良さを嫌味にすらさせない人格を持ち合わせていたと云う。亡くなったのはそんな男であった。だからこその静寂である。人となりが伝聞形なのは少年Kの記憶がある何らかの事件によって一部欠落しており、そしてそれは男の編入時からつい最近までを丸々含んでいたからだ。にも拘らず少年Kは彼の惜しむべき沃折の原因といまわの際を知っている。この不可解な状況は遠き者への惜別と云うよりは近き者への恐怖を助長した。この臨時集会だって帰る心算だった。不謹慎さを忘れる為に少年は今一時必死に目を塞ぎ無音に呑まれ、それでも思い出せすらしない黒い同胞に祈りを捧げるのだった。



「あの」
「……あ」

少年Kが呼び止められたのは朝礼が終わって直ぐだった。少女Rである。今尚水と光を湛え潤んだ赤い目が自分だけを捉えていることに少年は一瞬どきりと胸が鳴るのを聴き、その内で酷く恥じた(それが彼女を悲しませる根源に対しての不必要な罪悪感が軋む音でもあることを彼は知らない)。ああきっと少女Rはくだんの男の恋人に違いなく、確かに誰よりも深く泣いていた。美しく泣いていた。

「和泉くん、ね、最期にあなたの名前を呼んだのよ」
「俺の」
「うん。いつも仲良かったよね」
「あ……はは、まぁね」
「いつも羨ましいなって、思ってた」

勿論少年Kは覚えていない。ただ羨ましいのはあいつだ、を始め次々と浮かぶ言葉の一つ一つを喉で潰す。足の幅しかない橋を歩く様な会話だ、土踏まずが冷える感覚がした。

「思えばね、キスもしたことないの。デートも私の行きたい所だけ、手さえ繋いでくれたことなかった」
「あ……あいつさ」
「?」
「周りが男兄弟ばっかでさ、じ、女子の扱い知らなかったとか云ってた」
「そうなの?」
「初めて付き合うっつってたし、大事にしたかったんじゃない?」
「──くす。優しいね」

普段なら淡い期待を持つ言葉が辛うじて少年を平静にさせた。付け焼き刃の擁護にしては会心の出来だった。少年Kにとって一度しか──しかも電話越しに──声を聴いたこともない相手の家族構成など知ったことではない、なのにまるで過去に本当に彼から聞いた様な。聞いた様な?

「そういえばさっき最期……って云ってたけど、まさか現場にいたの」
「あ…………」

漢字にそう書いてあるんだから当たり前だろと常々思っていた、後悔先に立たずの意味をこの時痛く実感した少年Kは少女Rの顔が見る間に淀むのを見る。沈黙。も、長くはなく、危惧と裏腹に彼女の口角が左右対称に上がる。

「……のね、でもね、彼。私を庇って、死んだの」
「…………ごめん」
「何故?だって最期の最期、私だけを思ってくれたのよ」
「…………」
「何て云ったと思う?こんな顔、してたんだなだって。失礼よね」
「、篠さ、き」
「誕生日も間違えてたし」
「…………」
「やっとね、一緒にどっか、行こうって。初めて彼から」

「ディズニーランド行こうって。次の日学校あるのに、明日って」

「背中なんて、血だらけなのに」

「……地獄行きだなって、自分のこと云って笑ってた。私はとうとう何のことか解らなかった。玄野くんは解る?──だからそれより早く、私とどこか行きたいって、思ったんだわ」

「私、何も知らなかった」

「彼のこと何も知らなかったの」

少年Kは途中から残さず聞くことを放棄し、少女が綺麗に涙するのに見惚れた。断片的な単語たちだけが脳へ行き渡り、他は鼓膜を震わせた後排水溝の様な虚空に吸い込まれては消えてゆく。拾ったものさえ少年にとって意味を為さない諸々ばかりだった。或いは少女Rとの話が初めからそうだったのかも知れない。地獄行きだと、それだけが心臓の薄皮を擦った。そう思うのなら戻って来いと思う。最早手の届かない場所で自分を想って泣く者がいる、此処こそが地獄ではないのか。少年Kの脳裏に背の低い女が一人、過った。




・JとH

少年Jの携帯電話のディスプレイに見慣れない(と云っても普段から必要最低限以下にしか電波を飛ばさなかったので大抵そうではあるが)数桁の数字と名字が映る。会って話が出来ないか、と云う電話だった。



「──へぇ。あいつてっきりお前らの仲間かと思ったけど」
「仲間……とは思ってなかったと思う。こっちも、向こうも」
「向こうも、ふん、責任転嫁が巧いね。それでも助けてやる位の偽善者グループじゃなかったのかよ。電話代返せよ」
「……やっぱり、そうした方が、良かったのか……な」
「いいんじゃね?あいつが勝手に死んだんだろ」
「でも!」
「……でも、何」
「俺は……いつかあの人に云ったんだ……目を瞑れば、人一人救えるって……」
「で?」
「やっぱり、偽善的だって返されて、でも、俺はそれがっ……良いって……」
「思っちゃった訳。ガキだな」
「なのに……そう云った癖に、俺は、乱射魔だから、人の命を奪ったからって……俺は昨日……考えるのをやめ、やめて、だから」
「だから?そのシショーってヤツみたく死んで当然って思っときゃ良いだろ」
「死んで良い命なんてない!」
「じゃあガンツの星人は?」
「…………」
「お前、ナイーブな僕の気持ちなんか解んないだろって目ェしてんね、解んねぇよ、ばぁか」
「…………うぅ」
「泣く位なら線香でもくれてやりに行けば。強かになれよ。お前みたいなのが直ぐ死ぬんだよ」
「……殺した……俺が……死ななかったかも知れない命を」
「くだらね。勝手に盛り上がって引き摺ってろよ。帰る」

或る公園のベンチから腰を上げかけた少年Jは僅かな抵抗に眉を寄せる。左に座っていた少年Hの右手が制服を掴んでいた。振り払おうとする左手は空気中でぴたりと止まり、意外にも彼はもう一度座る。何もかもを見下した少年は寄る辺を失った今本当に思った侭を、例えそれが全くの矛盾やエゴでさえ、こうも云ってのけるということを一番遠ざけていた。隣に留まったのは羨望の意があったのかも知れない。しかし胸中ではまあ何ともこの同年代であろう子どもの正義とは自意識過剰で烏滸がましいのだと辟易しているのだった。あの男が少年Jの覚えている限りの冷たさと熱を維持していたのなら、きっと自分と相手の因果によって死んだのだろう。元より誰も入る隙などなかったのだ。それは、不貞腐れてばかりいた嘗ての己さえ。対してこの明るい髪の毛は臆面もなく死を嘆いている。幸せ者、人知れず少年Jは故人に唾を吐く。


(100929)

えき-さく【易簀】
学問や徳のある人が死ぬこと。
また、一般に人が死ぬこと。
(学研故事ことわざ辞典より抜粋)

和泉の死ってあっさり
受け入れられすぎじゃない?
完璧すぎて遠ざけられて
結局一人だったんじゃない?





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