ギャッコウヒアオイ


若さとか、
覚悟とか悪運とか勇気とか失った犠牲だとかおよそ玄野にあって俺に足りないものはそんな陳腐なものばかりで、解ったところでそうなりたいと思わなかった位には死ぬ前の俺だってプライドは内在していた筈だ。ところで俺は今生きてるんだっけ?

「カッスみてえなプライド」

五月蝿ェ。飲み終えてまだ二酸化炭素の泡が残った紙コップを丁度旋毛に当たる様に放る。威力が二倍になって背中に帰ってくる。だけどその通り今や粉砕した驕りは酸化して散開して歩く度俺の足に刺さっている。仕事もそれなりに巧くいって女は選ぶ程寄ってきて社会じゃしっかり地に足が着いていた、だけどあの部屋に呼ばれてからはどうだ、幽霊に足が無いなんて良く云ったもんだった。人間なんて塵みたいな脆さだと訳の解らない内に諦めたかった。あいつさえいなければ俺は今頃ハッピーハッピーめでたしめでたしだった筈だ。冥土でだろうけど。お陰様で諦められないでいる。

「何してんの」
「仕事」
「何もなかったみたいに振る舞うのには慣れた?」
「無理だ、お前は」
「あんたとは年季が違うし」
「違う。怖く、」
「?」
「怖くないのか、ガキの癖に」

キャスターを引いてベッドに向かって聞くといよいよいかにも愉快気に嘲笑された。は?あんた怖いの。死ぬのは誰だって怖いだろ。ああ、俺はてっきり星人におっかなびっくりなのかと思った。茶化すなよ。別に茶化してねぇよ。

「……ち、どいつもこいつも」
「どいつって誰」
「関係ないだろ」
「玄野だろ」
「…………」
「玄野は馬鹿だよ」
「え?」
「泣きつく為に俺生き返らせたと思ったら古参のリーダー気取っちゃってて。まじがっかり、わざわざ足枷増やしてんの解んねえのかな」

俺は俺でてっきりこの子どもは玄野を比較的慕ってるのかと思っていたから驚いた。吐き棄てながら遠くを見ている。細い目がすうと更に細まる。初めて見た顔の侭、暇、と唇がいきなり動いた。だってあんた仕事とか云って終わったらとっとと机行っちゃうしそれでよく彼女えーと自慢気に話してくれたけど何人いたんだっけ全員と寝たの?それなのに今や男の俺とセックスしててねぇどんな気持ちだった?まあいいやよくそれで彼女いたな、兎に角そこの本棚から何か取って暇だから。じゃあ帰れ。このガキはこのガキで気に食わない。逆上こそ愚かしく相手にしないものの不遜な奴ばかりで腹立たしい。仕方なしに腕を伸ばして一番下段、大判の本を渡す。自分で見るのも珍しい黄土の革と日に焼けたページ。貰い物だった。

「何これ、絵画?」
「西洋美術じゃなかったか」
「つまんね」

与えてやってからの西は云いつつ至極大人しくそれを眺めていた。白い布一枚にくるまれた大理石より色が悪い肌に、劣化した絵の具の宗教画を重ねる。しゅる、しゅる、と紙の擦れる音と自分のプラスチックをがたがた叩く音だけがこの部屋で話をしていた。摩耗した視神経を休めて俺がプラスチックと代わる。

「なぁ、良いか?」
「んー」
「あいつは、玄野は、お前が……離脱する前からいたのか」
「別に気ィ遣わなくて良いし。俺が死ぬ一つ前のミッションでガンツに呼ばれてた」
「ふぅん」
「俺に似てるって思ったのに」
「何処が」
「ん?ふふ」

人が死ぬの、飽くまでも他人事だと思ってそうなとこ。

「娯楽と思えばそれすら楽しめそうな奴だと思ったんだけど。お門違いだったな」
「ふざけんな」
「あ?」
「それがお前なら奴と全然違う」
「ふ、あんた」

違う。確かに敵を前にした目は揺らぎない、積み上げた人生が命への名残と比例しているとすればあの無謀とも云える特攻は総て若輩者と云えば済んだ。だけどそれだけじゃない。一つだけじゃない。自分が可愛いだけじゃない。何故強いのか。何故躊躇わないのか。本当は知ってる、俺が一番知ってる。俺が。でもどうしたらそうなれるのかが解らなかった。いつか、それ以上のものを解る時が来るんだと。諦められないでいる。だから何より、あいつを認められないでいた。

「玄野のことよく知ってんね」
「る、せえ」
「でも理想化し過ぎてるぜ」
「お前こそ美化してるんじゃないか、麗しい印象を」
「あいつは俺が死んでから、偽善者に感化されたんだよ」
「その偽善に助けて貰えなかったから悔しいんだろ」
「てめぇ!」

ばさりと音がしたのを聞いた時には遅かった。椅子のキャスターが半回転して視界総てに肌色と、肌色に握られた黒い何かが映った。何か、は丁度両目の間にあって見えない。その後ろにももう二つの黒があった。激昂したそれらに躊躇はやはりなく、西と云う少年の個性異常性。だけど間違いなく先に云ったのとは大違いだ。震えるな腕。取るに足りない。

「頭吹っ飛ばすぞ」
「……飛ばしてみろよ」
「臆病者の癖に」
「卑怯者の癖に」
「………………死ね」
「いいぜ。本当はもう誰も必要としちゃいないんだ」

俺もお前もな。先に一度大きく震えたのは俺を脅かす骨の様な腕だった。死は平気でも孤独は怖いか。右腕を交差し幼い左頬に触れ、手のひら全部を使って撫でる。あからさまな嫌悪を示してやっぱり細まる左目。抵抗はなく寧ろ反対側の右手が力を失ってごとん、と重い音がした。下に目線をずらすとさっきの紙コップが炭酸の抜けた緑の血反吐を吐きながら黒い金属で圧死している。

「な、人に輪郭はないんだぜ」
「あん?」
「誰が見つけたんだったっけ……ラファエロ?」
「ダヴィンチだろ」
「俺らの端っこはぼやけてんだってさ」
「そうだよ。ぼけたもん同士が重なって、はっきりして、そんでお互いを隔ててんだ」
「……はは。稲葉、デザイナー辞めてポエマーになれよ」

よっぽど儲かるぜ。零した西の口と俺の口もそうやって今隔たっている。粘膜を重ねたところで同じことだった。その曖昧が心地好かったけど、光に背を向ければ向ける程前に見えるのは自分の影だ。コントラスト。コントラポスト。理想が現実味を帯びて目の前にある絶望感及び焦燥感。こいつと俺、どっちの勝手なヒーロー像が正しいのか。或いはどっちも歪んでるのか。そんなのの答えは構わない、どうせ二人とも同じものを淀んだ目でしか見ていないんだから。そうなろうと思う程純粋じゃないんだから。

「あと俺、あれが好き」
「どれだよ、つうかお前しっかり見てたのなあの本」
「最後の方……インゲンがなんちゃらって奴」
「『茹でた隠元豆のある柔らかい構造』?」
「あーそれ」
「内乱の予感っつったが有名だろ……俺も好きだけど」
「ゲージュツはなんか訳解んねえ方がいいよな」

西がやっと、ガキらしく笑った。椅子が二人の体重に鳴いている。

「確かに」


(110724)


イタリアミッションの何か
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