カンダタとぼく

※十二月初日現在
中学生タケシ×二十代西捏造
もしも死なずに平和になったら

こうも天気の良い日は気ばかり逸って顎の両側がぞくぞくします。午前に授業を受けて午後に慈善事業をする僕の学校のルーチンワーク、今日だけ僕だけ外れることを許してください先生。この地域は比較的復興が進んでいる、とはいえ、小学生が地面に出来た黒いシミを避けて遊ぶ様な日本です。僕も足取り軽く真似をして目的地まで向かうのでした。青い空と白い雲がきらきら。終わりはしなかった僕らの星の、地面に降り注ぐ真午の銀河。

「来んなよ」
「来ちゃったものは仕方ないと」
「昼は」
「食べてません」
「俺は食べた。残念だったな」

嘘吐き。壁も家具も仮宿の様な白は生活感どころか匂い一つ残していやしません。何処かあの部屋に似ています(もう記憶が薄いけれど)。光が差して暖かい部分が一層明るく、いつか授業で聞いた極楽浄土の様でした。死んだら行く場所。振り払う様にもっと現実的なことを考えました。広さのたかが知れていてもこんな良い場所に住んでいるということは、彼は人の足りないこの時代でそれなりのニッチを見つけて収まったのでしょう。

「あの筋肉親父まだ生きてる」
「元気ですよ、就職の時に髭も剃りました。また生えてきたけど」
「勿体ね。貫禄あって良かったんじゃねえの」
「数が欲しいのにスーツのサイズがなくて困ってる」
「はは」

弾ける音が少しして、漸く彼の顔が見られた時の手には目玉焼きとしょっぱそうなウインナーが数本乗っかったプラスチックの皿。食べたって云ってませんでした?云った。昼ご飯の後に朝ご飯なんですか。朝飯食ってまた朝飯なんて可哀想だな。冗談ですありがとうございます、いただきます。

「……十年経ちましたか」
「何が」
「何でも」
「俺は今のお前位だったな」
「……何がですか」
「何でもねえよ」

一丁前に敬語なんか使いやがって、昔お前に吹っ飛ばされたの覚えてるからな。そう云って彼は皿のウインナーを一つ摘まんで口の中に入れました。僕だって、

「覚えてます」
「……母親の顔は忘れたのに」
「関係ないでしょ」
「関係ないでしょ。ふん。そりゃいいな。お前を産んだ母親だぜ。関係ないって云えんのか」
「……僕はもう、昔の苗字も覚えていません。それが全部です」
「お前は俺より可哀想だな」

誰もが手にする愛も知らないお前は可哀想だと彼は静かに云いました。その横顔の肌の透き徹ることと云ったら水晶か、或いは水そのものです。確かに僕は撫でられる掌の温かさを覚えていません。あかぎれた甲の冷たさを覚えていません。最初から僕にはそんなものなかったかも知りません。それでもきっと、と彼は続けました。

「今、お前は俺より幸いだろう」

産まれた誰もが初めに信じる邪宗から逃れたことは、見切りを着けた僕は、総て忘れるのを引き換えに新たな家族があるのは大層仕合わせなのだと教えてくれました。そこに同情を乞う様な安い妬みもなく、唯右手で覆った彼の目が、もう充分責苦に疲れはてている様に臥せっているのが見えました。

「……そうじゃなくて、」
「…………」
「あの時」
「やめろ」
「僕を助けてくれてありがとう」
「俺はお前が思う様な偽善者じゃない」
「良い人です。今も昔も」
「人を沢山殺した犯罪者だ」
「……それでも」
「それでも?理由があればお前は許すか?そんなのない、自分の一時の快楽の為に盗みも殺しもした。俺以外は屑だった。簡単に壊せた。それがどうしようもなく気持ちが良かった」
「それでも」
「やめろ」
「あなたは!」
「俺を!」

なら何故

「僕の命の恩人です」
「俺を、たったあれだけのことで善人なんかにすんな……」

何故僕を抱いて逃げたのか。何故今更過去を悔いているのか。そんなことどうだって良いのです。そうではないのです。僕は守ってくれる大きな背を知っています。零してくれる小さな涙を知っています。誰もが得うる愛を一心に受けて、未だそれに縋る彼の幸いが何処にあるのか。知らない僕と忘れられない彼はどちらが可哀想なのか。そうではないのです、僕が、あなたに云いたいのは。

「……僕はあなたを幸せにしたいんです」
「随分なプロポーズだな」
「もし悪い人だったとして、あれがたった一つの善行なら、尚更それだけの報いを受けるべきです」
「──『仏』」
「え?」
「にでもなった心算か」

ええ全く、先から僕の目に据わっている肌が水晶であるならその奥に見えているのは血と針の終わらない地獄でしょう。あの時からずっと僕の中で、あなたが生きているのが僕の糧でした。僕が生きているのがあなたの証明でした。仏など大仰なものではなく、僕は蜘蛛です。立ち上がり、向かいに座った彼の隣まで歩いてそれから見下ろせば彼の足の指から一本一本丁寧に浮き上がった骨まで見えました。その侭僕の両腕は糸の様にするすると彼の元へ伸びてゆき、嘗て大きかった背中にもう一度まわるとやっと、この部屋の何処にも見あたらなかった柔らかな好い匂いが黒い髪から香りました。

「……俺は今でも、俺が一番大事だよ」
「いいじゃないですか」
「また一時の快楽で他人を蹴落とすかも知れないぜ」
「そしたら僕が殺してあげます」
「は、随分なプロポーズだ」

どうか真に浅間しくならないで。僕の願いは極楽の白蓮の様な光に素知らぬ顔で溶けてゆきます。終わらなかった僕らの星の、ここにも降り注ぐ真午の銀河がきらきらと。


(111201)


おいしい年齢差に気付かれた
某方に多大な感謝と(私の)鼻血を




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