イエローキャプ


理由も道理も良く解らなかったけれど運命論なんかそんなもんだと西は早々に諦めることにした。たまたま先日全国の電気供給に大きな支障が出て、少しだけマスコミが騒がしくなって、慌ただしく計画的停電が始まって、呑気に猫を殺害していた少年が一人それに乗り遅れただけだ。ならば隣の男の因果は何であろう。衣擦れの音が煙草脂と香水の匂い、それから微かに西と同じ死臭を運んでいた。

「……あんたさ」
「何だ」
「……別に。煙草臭いよ」

ピアスを外しもせず極力色を無くした髪を靡かせて余計なお世話だ、と云う男の外見は西が最も嫌いなものだった。ホスト?女に媚を売って何が楽しいのか、またそうまでして物欲性欲自己陶酔、俗の極みよくもまぁご苦労なことで。何にせよ黒服にはあまり良い思い出がない。しかもその彼が今脱ぎ捨てたのは自分と変わらない黄泉の装束だ。腐った鉄の臭いが鼻についた。唯一、背中を向けた時に見えた羽の様な痣に西が目を奪われたのは少年なりに誰にも云えない秘密である。




「あのさぁ」
「何だ」
「俺が端っこにいんの解る?」
「見れば直ぐに」
「じゃあ俺の一つ隣も二つ隣も三こ四こ五こ隣も空いてんの解んだろ」
「ナメた口聞くと斬るぞ」
「…………」
「冗談だ。湯が出ない。これはどうしたらいい」

こおん、と軽快な音が響いて湯気が更にそれを助長する。西が黙ったのは怯んだからではなくただひたすらに呆れて物も云えなかったからで、確かに先程まで隣から跳ねてくる異様に温度が低い水飛沫は一向に上がる気配がない。風情があるからこっちの方が良いわ、と母に連れられて以来西は近所の真新しい大衆浴場よりも専ら銭湯を好んで利用していた。使う時間にたまたま誰もいなかったのも大きな要因だった。今一瞬、西は母を小指の先程恨む。

「……その右の奴」
「これか」
「向こう側に回せば」
「成る程な……今度は熱い」
「書いてある数字読める?それ温度。赤いとこに合わせんの。今五十度になってるからだろ」
「…………」
「ちょっとは考えろよ」

今度は男の方がそれきり黙ったので西は横目で見ながら少しばかり気分を良くした。濡れて力をなくした明る過ぎる髪がぼろぼろと雫を落としてうなだれている。洗髪料洗顔料ほか洗面用具は持参している様でどうせ聞きかじりの観光気分と話の種作りの為だけに来たんだろと小さく頭の中で悪態を吐いた西の隣、泡の間で耳の銀がちらちら光っている。




「だぁらさ」
「何だ」
「俺が端っこにいるの解る?」
「以下同文」
「そういう趣味の人な訳」
「犯して欲しいか」
「勘弁だね。大体」

こういう趣味の人って解って吐き気がすんだよ。二人の視界の隅から隅を黄色い個体が四つ程湯船に唆されて右往左往していた。西が一時でも同属だと思ってまた嫌悪した血の香りがする男が持ってきたものはプラスチックの玩具だった。鳥を模したその内の一つは赤いスカーフの様なものと四角い帽子を身に付けていた。大きさの違うラインストーンはきっと彼の付け足したものだ。

「今のガキは知らないだろう」
「は?」
「あひる隊長」
「阿呆臭、ファンシーなキャラ狙ってんなら諦めたら」
「俺をホストか何かと勘違いしてないか」
「アンタはアンタの格好がどう見られてるか勘違いしてんだろ」

ごまんといるだろうこんなのは。濡れた髪を掻き上げた手に外すのを忘れたのか厳つい指輪が一つだけ嵌っていた。まるで周りに同調している様な云い方が西には滑稽で腹立たしくて仕方がなかった。こんなくっきりした輪郭がそういたら世の中もう少し景気が良い、それが少年の云い分だった。確かに水商売の類の人間には思えなくなってきたのだ。所詮狢は狢。西が浴槽の縁に頭を乗せると男も真似をする。隊長他三名の列が余計に乱れた。

「これも知らないだろう」
「もう結構なんだけど」
「黒いサイバースーツの奴らを俺たちは探し出して始末してる」
「!」
「さっきお前の袖から見えた」
「……黒スーツってアンタだろ」
「水は血を良く逃がすらしいな」

沈黙を天井からの水滴が辛うじて阻止していた。プラスチックに描かれた睫毛と焦点の合わない黒目が一斉に西を見た。と、西は錯覚した。たん、たん、たたんと一滴分ずつ浴槽に湯が増えていく。

「冗談だ」
「……あっそ」
「休戦協定」
「勿体ないことして良いの」
「風呂は命の洗濯だからな」

漂白した命でまたあの気枯れた服を着る心算だろうかと西は途中まで思って直ぐやめた。云うだけ野暮だと目を閉じる。一層羊水願望の様な、兎に角やはり瞼の裏で母に多大な感謝をしていた。




「あのな」
「…………何」
「俺が端にいるのが解るか?」
「……五月蝿ェよ」

ひやりとしたタオルから少しだけはみ出た西の目には疎らに切り揃った髪の毛だけが映る。風呂を上がって直ぐの麻で出来た長椅子を二人が占領していた。成人男性の大腿筋を後頭部で不快に感じながら、まさか湯あたりするとは自分でも驚いているという旨をいかに後腐れなく伝えられるか西の頭は先程からそればかりを気にしている。視界が暗い分少しだけ鋭敏になった鼻にはやはり生臭い空気が鎮座していた。一方の男は呑気にフルーツ牛乳を飲み終えて瓶の底を小さい額に置いた。心地良い冷たさに負けて西は考えるのを再び放棄する。

「悪いが俺は出るぞ」
「居ろなんて云ってねえし」
「手厳しいな……ああ、これをやるよ」

肩から首にかけての傾斜が思いの外優しくなくなっていき最後にやっと柔らかい感触、プラス黄色い影。西が薄く目を開いてみると小さなプラスチックの家鴨が一匹、脱衣所の蛍光灯を反射した首元のラインストーンで目を攻撃していた。悪いな、隊長は気に入ってるからやれないけど。小銭の音と引き戸の音の後男の気配が消える。敵だったのかとぼんやり思い出す。再会があったならその情けを、俺がいつか命取りにしてやると、西は三つの置き土産を掴んでまた気枯れに身を包みに行く。タオルとプラスチックは兎に角飲み残した瓶を多大に恨む。この銭湯は後払いなのだと男は知っていたのだろうか。


(110523)


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