ネコさん


柔らかい肉がつい先程まで意思を持って動いていたのだと思うと西は興奮した。その蠕動を停止させたのは自分である。支配したのは自分である。その為に内容物を送ることの出来なくなった臓物が途中で分断された先から何か黄色い中身を緩やかに吐き出していてあまり綺麗なものではなかったが西はそれにすら心を震わせた。痛かっただろうか。それとも一瞬で解らなかったろうか。しかしそんなことは二の次である、小動物ではあったが対象は息絶え自分は生きている。自分が。階級制度の様なエゴが西を昂らせる。熱に既視の覚えがあった。自身を静めようと過去に目を向ける。

西は母親から愛情を一身に受けて育った。彼女が世界を総べていた時があった。故に慈しみの連鎖を信じてやまなかった時があった。それは小学の高学年になろうとしていた頃だろうか、帰宅の道草で高い音が聴こえたのを幼く敏感な耳が捉えた。音は声だった、少年の西丈一郎は自分よりもその下でわやわやと騒ぐ低学年の子どもよりもちっぽけで無力な存在をそこで知る。声の主は猫だった。弱々しく這って鳴くしか知らない仔猫を西は見つけた。途端に目を逸らして走り出す。逃げる様に家へ向かう。段ボールにすら入っていないそれが親に置いていかれたのだと思うと悲しくて仕方がなかったからだ。



「ほら」

飲め。それから三十分もしない内に西は戻って来て、手には中身の液体と同じ位白くなめらかな陶器が大事そうに抱えられている。冷たい侭では飲めないことも知っていた。下の兄弟がいない西は人肌の概念を知らなかったが加えて猫舌の知識もあったのが幸いして、小さな身体のこれまたちっぽけな舌が傾けた陶器へゆっくりと近付き僅かな水音まで聞こえると感慨もひとしおだった。この命は僕だけが守れる。この時の西に芽生え出した感情は既に寵愛よりは優越に近かったがそんなことは自身を含めて誰も知らない。誰も知らない飼育が、子どもの内緒がその日から始まった。

毛先に触れると首を伸ばして喉を撫でると目を閉じるただそれだけのことが未知で、発見で、やがて習慣になった。西少年は自分と自分に不可欠な要素の外を、そしてそれを愛することを知る。名前を付けることをしなかったのは彼の無意識下で精一杯に張った予防線であろうがしかし間違いなく少年の胸には永遠が居住していた。永遠とは永遠だ。彼はまだ生きることを知らなかった。一人と一匹の待ち合わせ場所であった少年が住むマンションの裏、背の高い野草の匂いが青く苦く薫っていた。



「…………、」

少年の舌が何か紡ごうと先程から躍起になっているが何にひとつも叶わないのは彼が張った予防線の所為に他ならなかった。猫は名前を与えられなかったが故に西丈一郎の中にしか存在しない。その脆い輪郭がとうとう悲鳴をあげて冷たい植物の中に横たわっていた。昼の曇天が間もなく地面を叩いた時から少年は血管に到るまで黒い予感を飼い殺し、置き傘も持たずはぜる様に教室を飛び出した身体は熱を持ち尚更小さな動物の失われていくそれを過敏に受け取った。その時ばかり少年は潔癖の気がある母親に唯一逆らい、半身泥が着いた猫を抱きかかえると通学路を少し外れた道に動物病院があるのを思い出した。

室内の目を刺す明るさと独特な壁の匂いと上がり続ける自身の熱と下がり続ける相棒の熱と、獣医の絶望的な言葉を少年は忘れない。

医者が一つ云い淀んでから静かに雑菌の話をし出した瞬間、案の定西少年は診察台の上の命をひったくって再び飛び出した。未だ水を含む短い毛に顔をうずめて必死にその中の鼓動を探して走る。獣と土の匂いが彼の鼻を侵しながら導いたのは幾度と逢瀬を交わしたあのマンションの裏の狭い庭だ。少年が変わり果てた猫を見つけた時に落とした小さな牛乳パックが静かに帰りを待っていた。少年はぼんやりと「永遠」を反芻していた。現在の状況に覚束なく疑問を持った。ついこの間、同じ教室の子どもが犬を飼い始めたことを自慢していたのを思い出した。僕も。僕もそんな風に云いたかった。斑模様の小さな相棒を誇りたかった。かみさまは。神様はこんな子どもにさえ人間の驕りを許さなかった。胸元を見る。小刻みに浅い呼吸を繰り返すちっぽけで無力な動物がいた。

「お前には」

「僕じゃ、だめだったのかァ」

優しく抱える手を持ち替える。四足歩行の身体が浮く。小学生の腕さえ非力で、しかし苦しめたくはない一心が力になる。探していた体温が今更じくじくと西少年に伝わってゆく。眉から零れた雫が目に入ってもう何も見えなかったが猫がその侭少年の体内に入っていくのが彼には解った。全身の肌が粟立っているのに内側にはどんどん蓄積されていく生命の温度の凄まじく奇妙な感覚。最後にびくん、と後ろ足が跳ねて供給元がとうとう零になる。少年の目の縁から視界を遮蔽してた総てが追い出されて世界が鮮明になる。暗いマンションの影の中にぼうっと浮き出た輪郭が一つある。白んでいた。少年は体内の激しい熱と体外の柔らかな光に包まれて、次に目覚めたのはたっぷり二日後、目を腫らしながら眠る母親が隣にいる温かいベッドの中だった。


(そうだ、これはきっとあの時の熱と同じ)


「……っふ、ぅあ、あっ、ん」

肉を扱く律動のペースを変えていないのにも関わらず快い痺れが蛇の様に西の背骨を高速で這った。たまらず漏れた声を慌てて空いた方の手で抑える。が堪え性のない自分の性器を許して野外で慰めていた元々のスリルとたった今追加された付加価値は余程巧く反応したのか西を更に劣情の底へと突き落とした。粘ついた体液で絶え間なく濡れている右手とそれでも尚羞恥を忘れない左手は幼い時分とうに命を支配しているのだ。そう思えば思う程西はだらしなく自らの性欲に没頭し、やがてあの時の様に熱と光の母胎によく似た感覚に包まれながら絶頂した。始めに発芽した無力な者への優越の感情を正しく育てた西丈一郎を人は非難するだろうか。西少年は衣服と息を整えながら腰を下ろしていた地面を、その下であの猫が眠っているであろう土を精液が着いた侭の右手でそっと撫でた。青く苦い匂いがする。


(120518)


BGM:ネコさん

名曲






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