まごころをきみに 玄野が西の無造作に投げた鞄からその何枚かを見つけたのは直ぐのことだった。歪んだ赤い縦線とこれまた汚い丸が二つ。こっそり取り出した紙の殆どに書いてあり、彼が最近受けた考査の点数であることに気付いて目を丸くする。洗面所から帰ってきた西が恐れ入ったか、と云った。 「恐れ入った」 「つまんねー教師が考えたなりのつまんねー問題なのな」 玄野はそれがこの少年のいつもの見下しながら溢す嫌味とは少し違うと思った。口振りはまるでそのもの、だが今日ばかりはやや暗い影を落とした様であると短い付き合いながらもゆるやかに察した。そもそも関係とは長短で決まるものではないと、電車に轢かれたあの時から痛く知っている。兎に角少しでも露にした怪訝な顔を普段から目敏い少年も見逃さない。 「こんなの何の意味もないんだ」 しかし取り繕う様に吐き出された言葉は逆に相手にある確定要素を与える。何の意味もないと。尚更に西の名誉であろう数字が紙に溶けて赤から白になっていく。西の中に空いた穴を見つけてしまった。吸い込まれる有象無象。では彼にとって意味のあるものは何か。玄野は常々気になっている。若干気付いてすらいた。 「……なんか疲れた。寝る」 「お前何し、に」 変わらない空気に罰が悪くなったのはお互い様で、西が選んだのはこれ以上の会話の遮断だった。鞄をひったくってベッドに置き自分はテレビに面して座っている玄野の右腕に背を向けてのしりと寄りかかる。テストは出来んのにはぐらかし方が解らないのかぁ。不意にぎゅうと丸まって額と膝を合わせた、それが西のほんのちょっとの照れ臭さを隠す行為だと玄野は知らない。ブレザーの繊維と柔らかい温みが右腕をくすぐった。こそばゆい感覚に、今度は玄野が耐えられない。 「お前さ、なんで落っこちたの」 「はぁ?」 「ほら転落死って」 「忘れた」 「忘れんなよ」 「……笑うなよ」 「笑えねーよ、死因だぞ」 「…………母さんが」 「ママで良いのに」 「!?」 「なんだよ、知ってるぞ」 「おま、なん、なんで」 「あっははは凄い顔」 「笑ったじゃねーか!殺す!」 がばりと起きて玄野の襟を掴んだ西は頬が熱いのを感じながらXガンの入った鞄をベッドの玄野に近い方に置いたのを後悔していた。まあまあそれで?と憎らしくも自分に向けられた笑顔に泣きそうになる。他人のそんなものは自分に要らない、一人に愛されていれば良かったのだから。愛されていれば。また笑ってくれると。玄野から手を離さずに下を向く。彼がしまったと思うより早く、望み通り続きを。 「──ママが死んでたんだよ」 「!」 「テストで九十五点だった」 「良い点だと思ったんだ」 「早く見せたくて走ったんだ」 「でも遅かった…一緒に行きたいけどまだ帰ってこないからって、一人で、そんで、」 「僕にはママだけいれば良くて、ママだってそうだった筈なのに」 「……置いてかれた子どもとか、かっこ悪いと思うだろ」 「結局僕は誉められもしなかったし、本当にママが愛してくれてたかも解らない」「だからあんなつまらない問題、いくら解いたって意味ないんだ」 「百点だってもっと良いやつじゃないと駄目なんだよ」 ぽつりぽつり西は一人称も虚勢も捨て一年前を反芻する。彼が黒い球に執着する由縁が垣間見えた所でぱったりと黙った。玄野は半年前に、彼が誰に心の拠り所を置いていたか知っていた。その為心の半分を確信で満たし、もう半分はその女性が既に死んでいたことに対しての驚愕に追い付いていなかった。身体への指令が追い付いていなかった。云いたいことは沢山ある。 (西、お前さ) 玄野が声を出そうと酸素を取り込んだ音と何かがばた、と膝に落ちた音が同時に重なる。それは先の背中の体温と同じ位の熱を持っている。西は今、束の間だけ壊れ続けていることをやめていた。 (お前さ、間違ってるよ多分) (ママはお前を置いてったんじゃなくて、) (生きろって。云ったんだよ) 玄野は自分の制服が限りない暗色で良かったと思った。含んだ温かさも吐き出された冷たさも全部吸い込んで知らぬ振りが出来る。未だ何を云うべきか考えあぐねている役立たずの脳を余所に、ならば言葉の代わりに、彼の母親の代わりにあげられるものが自分にもあることに気付く。気付いて、少しだけ涙が出た。 (100916) タイトルはエヴァ 西くん帥Aスカ |