他傷癖


加藤という青年はなまじ人を愛そうとしたあまり自己犠牲と云う概念を知らず故に己の身を削ることに格段特別な感覚はなかった。周りも彼のその姿勢が今や廃れかけた道徳観に反射した鋭い光であるかの様だったので、それで自分たちの保身が獲得できるのを良いことに咎を挙げるどころか諸手を挙げさえするのである。偽善者。そう云った点においては西という少年のこの評価は加藤を幾分か救ったと云えるかも知れない。

「気持ち良いの」
「良くはないけど」
「嘘吐き。嘘吐きで偽善者」

救えないな、としかし皮肉にも西は云う。だが加藤がどう生きようと所詮は経験しようのない、どちらかといえばしようとも思わない他人の人生でありそれは少年の一番興味がないことであった。幸いなことに加藤は西を気にかけているだけあって献身的な愛はより発揮された。利用しない手はない。

「ハイトクテキだとか」
「西」
「思ってるだろ」
「そんなことない」

加藤は加藤なりに西の言葉が自身の気休めの為だけに発せられることを知っていた。だから彼は今日も否定する。好きだと囁く。遠慮なく自分の肩に凭れた頭は溜め息一つに合わせて大きく上下、それから酷く安心したかの様になだらかな呼吸になる、その油断から幼さを視る。ただ耳について離れない。背徳、とは。加藤は考えるより先に胸元が冷えるのを感じた。目線を落とすと丁度西が立襟とシャツを肌蹴ているところだった。

「……これのことを云ったのか」
「正義のヒーローさんはマイノリティが一番の敵だろ」
「、」
「偽善者。ざまあみろ」

ぎちり。息を詰める青年。爪を立てる少年。ぎちりぎちり。体温の流出と人差し指の赤が比例する。耳が受容し得る閾値ぎりぎりの、皮膚を裂く音がその部屋だけに響いてる気がしてやっと加藤は言葉の意味を覚った。抵抗はしない、日常なのかも知れない、馬乗りになった西の腰を掴むのは最低限の制止とも或いは固定ともとれる。相手は苦痛に侵されるその顔をじとと見上げながら眼前の胸にひたすら鮮烈を咲かせるのにただ夢中になっている。それにすら先の幼さを思い出す彼と彼は、果たしてどちらが病んでいるのか。

さて西は飽きる程一通り加藤を痛め付けた後今度はそのばらばらに垂れた赤い体液を一つずつ丁寧に舐め取り始めた。肉を挟んだ爪の反復行動として傷口を舌で辿る。ざらざらの味蕾はきっと鉄分の苦みを感じている。気化した唾液は青年の肌を更に冷やした。それでも色の違う直線だけが熱い。いつからか加藤はその矛盾した温度に快感を含んだ愛着を持っていた。痛い。痛い。生きてる。痛い。



(あ、興奮してる)



最早西に思ったのか己に思ったのか解る所もなかったが頭にぼんやりそれだけが思考として知覚できた。朧気のまま少年の腰から足の付け根まで腕を伸ばす。彼が彼と同様に来しているのを知っていたのだ。

「西」
「────ン、」
「……や、何でもない」

意味ではなく意図を聞こうとしたがこの行為の生産性自体が剥落している。体外へ逃げ出す加藤の血液が西の血液と共鳴して温度を移す。熱はまた帰ってくる筈が、布の一枚二枚繊維の厚い制服に阻まれている。半分は焦らされている感じから、もう半分はやはり多大な慈愛を以て加藤は西のそれを寛げようとした。しかし西が先端の赤い舌をしまい一度総て止めて口を開いたのは同時だった。

「人は建前と本音で生きてる」
「うん?」
「でかい力を得た為に起こる破壊及び暴力衝動、その癖いいこちゃんな道徳観や倫理観も捨てきれない」
「そう……だ、な」
「お前は人の建前だけで生きて、俺は本音だけで生きてるんだ」
「そうなのか?」
「だからどっちについたって多数派なんだ。お前が目指すヒーローも世界もいらない。ざまあみろ」
「そうか……俺、頭悪いからよく解んないけど」
「お前のその自己擁護大っ嫌い」
「西が必要としてくれんならそれでいいよ」
「……お前も嫌い」

加藤は加藤なりに西の云いたいことを把握している。誰に云いたいのかも気付いてはいる。それを頭が悪い振りをして聞き流すのが好きだった。いつまで経っても理解し得ない恋人(この関係の表記は些か不適かも知れない)の所為で苦虫を噛み潰す顔がどうしようもなく愛しかった。だから彼は今日も許す。好きだと囁く。痛みに笑みが零れた。

「なあ」
「何」
「人を傷付けて気持ち良いか」
「いいよ」
「はは、」

救えないな、と加藤は云う。


(100907)


マゾヒスティックなまさる





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