この手にすがれ。
「今日から新しい家族が増えたぞ。」
第一印象。良く言えば儚い。悪く言えば、暗い。
青い髪に青い瞳。
綺麗な色彩に彩られた整ったかんばせは、無表情。
「・・・カイトです。よろしくお願いします。」
そう挨拶して微かに口の端を上げたカイトは、およそKAITOらしくなかった。
「カイト、マスターから預り物だ。」
最近我がマスターはカイトを迎えて、これでボーカロイドは私を含め、3人。
「ありがと、がっくん。」
静かに礼を述べ、楽譜を受け取るカイトは相変わらず口元だけで微笑う。
「あ、ルカとのデュエットなんだ。」
「本当ですね。」
カイトの手元を覗き込むルカに至っては無表情。私も、表情豊かな方ではないので、3人もいる割りに静かな毎日である。
「てっきり私とのデュエットかと思っていたのに、ルカに先を越されてしまったな。」
残念だ、と漏らす私に2人は顔を見合わせた。やはり無表情。と思ったが、普段表情に乏しいカイトが、不思議そうな色を湛えてこちらを向く。
「がっくん、俺と歌いたかったの?」
「さよう。」
深く考えずに頷いてみせると、カイトは目に見えてうろたえた。
「カイト?」
「あ、なんでもない・・・。」
何でもなくはないだろう。不安そうに目を泳がせるカイト。初めて見た、感情らしい感情がこれか。
「がっくん・・・?」
背丈も大差ない大の男に対して、何故か庇護欲が沸いた。私は欲求に逆らわず、カイトの頬をそっと一撫で、二撫で。
驚いたカイトの顔。ほう、感情が乏しいのかと思っていたが、それなりに感情の動きはあるのか。
「がくぽ、ずるい。」
こちらも、普段感情の動きに乏しい割りに、眉間に微かに皺を寄せ不満顔。
私とルカに挟まれてうろたえるカイトに、これまた不思議と悪戯心が擽られる。
「カイト、スキンシップは嫌いか?」
「え?」
きょとんと聞き返すカイトの腕を引き、そっと腕の中に閉じ込めてみる。
「・・・。」
てっきり嫌がるか驚くかすると思ったが、反応がない。
不思議に思って顔を覗き込むと、泣きそうな、怒りを堪えるような、なんとも言い難い表情で唇を噛み締めていた。
「カイト?」
俯いてしまったカイト。どうしたものか。と、思案していると、ルカの手によってべり、と剥がされてしまった。
「セクハラは禁止です。」
無表情のまま、ちらりとこちらを見るとカイトの頭を撫で出したルカ。ルカよ、それはあてつけと言うのではないか。
「・・・ごめん。」
顔を上げたカイトは、いつもの表情のないカイトだった。
「ちょっと、一人になりたい。」
そう言って身を翻したカイト。一瞬見えた顔は泣き顔そのものだった。
ばたばたと走り去る背中を見詰めていると、ルカの最低。と言う呟きが耳に入った。
「すまぬ。私はカイトを追いかける。」
勢いよく走りだそうとした私の手をルカが掴む。
「追いかける権利があるのですか。」
無表情。しかし、いつもより険しい。確かに、私には追いかける義理も権限もないように思う。だが、追いかけねば、という焦燥感が私を追い立てるのだ。
「・・・権利はない。だが、側にいてやりたいのだ。」
「エゴですね。」
そうかもしれない。いや、その実エゴでしかないが、それでも泣き顔のカイトを一人にはしたくなかった。
「構わぬ。側にいる事がエゴなら、一人になりたいというそれもまたエゴだ。」
我ながら詭弁だと思うが、私の言い訳に、小さく溜め息を吐いてルカの手が離れる。お好きにどうぞ、という言葉に従って私はカイトがいるであろう場所に急いだ。
おそらくは防音室。寝室は私と相部屋であるし、書斎にはマスターがいる、となると残るは必然的に防音室になる。
「カイト。」
防音室の扉には鍵はついていない。部屋に入るとカイトはやはりそこにいた。
「・・・一人になりたいって言ったよね。」
立ち尽くす背中から聞こえる声は平坦。ゆっくり近付いても何も言わない。ただ、細めの肩が小さく震えている。
「泣くな。」
後ろから強く抱き締めると、カイトの震えが大きくなった。
「泣いてない。」
力を込めた腕に滴が落ちてぱたぱたと音を立てる。
「・・・そうか。」
「・・・うん。」
カイトの震えが止まり、広くはない防音室に、静かな嗚咽だけが響いた。
どれくらい、そうしていただろう。
ぽたぽたと落ちる回数が徐々に減って、やがて乾き出した頃、カイトは口を開いた。
「・・・俺ね、棄てられたんだ。マスターに。」
ぽつり、と語り出したカイトを黙って抱き締めなおす事で傾聴の姿勢を示す。
「マスターが酷い人だったんじゃない。優しい人だった。でも、俺の維持費、支えきれないから・・・って。」
維持費か。我々ボーカロイドは、かなりの電力、またはそれに準ずるエネルギー源となる食料を必要とする。メンテナンスも要る。その為、人一人養う程の維持費が掛かるのだ。
「仕方ないって分かってるんだ。所詮・・・オモチャだもの。」
カイトの言っている事は、同じボーカロイド故、痛い程解る。いくら普段家族のように扱ってくれる人間であっても、生活が苦しくなればまず道楽に掛ける金から削る。
すなわち、ボーカロイドを棄てる、という道を選ぶのだ。
「・・・カイトのマスターは、初期化してくれなかったのか?」
寂しい話だが、所詮機械。初期化さえしてしまえば、未練も、棄てられる悲しみも知らなくて済む。
何故、優しい、というカイトのマスターは初期化してやらなかったんだ。
「・・・俺が、嫌だって言ったんだ。」
再び、カイトが涙をこぼした。
少しでも悲しみを和らげたくて、母親が子供をあやすように、出来るだけ体を密着させて落ち着くのを待った。
「・・・マスターが、俺にくれた曲とか・・・ミクやマスターの、笑顔とか・・・」
忘れたくなかった。
消え入りそうな声で囁いたカイトの声は、もう無感情ではなかった。悲しみに満ち溢れ、私の心を強く揺さぶった。初めて会った時から疼いていた言いようのない感情が動き出す。
「ならば、これからは私が共にいよう。」
守りたい。悲しみから、絶望から。
「・・・また、棄てられるかもしれないから・・・」
自嘲気味な声。無性にその青い瞳が見たくなって、そっとカイトの体を反転させた。
絶望に打ちひしがれたその瞳。
出来るだけ優しく頬を包んで、真正面からたゆたう瞳を見据えて、私は噛み締めるように、一言一言、訴えた。
「私は、決して離れない。カイトが棄てられるなら、私も、共に逝く。だから、恐れるな。」
「・・・っありがとう。」
その後カイトは、声が嗄れるまで泣いた。泣いて、泣いて、すっきりしたのか、やっとカイトは、華が綻ぶような笑顔を見せた。それは、どきりとする程美しい笑顔。初めて見る、カイトの笑顔。
「・・・笑っていろ。泣き顔より、ずっといい。」
恥ずかしそうに目を伏せて、口説き文句みたいだよ、と微笑むカイトの細い肢体を今度は優しく抱き込む。
「みたい、ではない。口説き文句だ。」
目を見開いて、破顔一笑。
「ふふ、がっくんに口説かれちゃった。」
表情を取り戻したカイトは、とても魅力的だった。まろい頬に口付けを送ると、赤く染まる頬と目元。
「え・・・あの、冗談だよね。」
「まさか。私はプロポーズまでしただろう。」
同じ墓まで、なんてプロポーズ以外の何物でもない。
少し逡巡したカイトは、上目がちにか細い声で囁いた。その所作に、甘く深い恋の奈落に落ちた、音がした。
「・・・一生、側にいてね。」
仰せのままに。
どんな時も、側にいよう。
お前が涙で溺れそうになる時には、いつでも、この手を掴めるように。
FIN.
[ 7/54 ][*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]