喘息


血を吐くような咳の音がした。

「おい!大丈夫か?おい!」

隣で座っていた彼女が急に苦しみだした。胸と喉に手をあて、丸くうずくまる。大袈裟な呼吸音。それは喉をおもいっきり締め付けられている時、必死で息を吸い込んでいるよう。時折、激しく咳き込む彼女。ヒュー、ヒューとすきま風のような音がする。彼女の肺に穴があいて、そこから空気でももれているんじゃないかと疑った。

「おい!しっかりしろよ!」
「……っか、…ばん……」
「かばん?カバンか?」

俺は喘息持ちの彼女から、こんな時のためにいつも持ち歩いている小さなカバンの内ポケットに吸入器があることを教えられていたことを思い出した。

彼女の背をできるだけ優しく撫でながら、カバンを探る。普段ならなんてことない動作のはずなのに、目の前で、しかも彼女が、息も絶え絶えにしながら苦しそうにして俺自身、気が立っていて動作がもたつく。それにさえも腹立たしく感じるのだけれど、彼女が咳き込むと頭がまっさらになる。

「ほら、これ使え……」

手のひらにおさまるサイズに、見掛けない形をしていたそれを、彼女の顔の前まで差し出した。俺はこれの使い方を知らない。震えている彼女の背をなだめることしかできず、自分はなんて情けないんだろうと惨めに感じる。

彼女は吸入器にすがりつくように持つと、上部を掴めば簡単に蓋が取れた。俺は彼女の動作を見落としのないように見ていて、それくらいしてあげれば良かったと少し後悔した。

それから蓋の取れた吸入器は乳白色が出てきて、彼女はそれをパクリと口でくわえると、吸入器のどこ押したのか確認は出来なかったがプシュ、と何かが空気と一緒に注入された音がした。

全てたどたどしい仕草だった。彼女は力なく吸入器をその場に落として、また胸の中心を押さえつけて呼吸が落ち着くのを待った。

俺はいまだに背を撫で、時折彼女の様子をうかがっていた。プシュ、という気の抜けた音で薬か何かが注入された後から彼女は激しく咳き込むことはなくなり、どんどん呼吸も正常に戻っていった。

「どうだ?まだ辛いか…?」

先ほどよりかはだいぶ落ち着いてきた彼女にそう聞けば、うつむいていた彼女がゆっくりと顔をあげて、にっこりと俺に笑いかけて「ううん、へーき」と言った。その顔は涙ぐんでいて、頬がいつもよりか赤かった。

俺はその言葉と彼女に大きなため息をつかずにはいられなかった。ぺたん、と。その場で腰をおろして、まだうずくまっている彼女の身体を力強く抱き寄せた。

「わっ!」
「よかった…本当に良かった……」

突然のことで彼女は驚いているみたいで俺の腕の中で小さく暴れていたが、それ以上の力で俺が抱きしめていたから、それから彼女はおずおずと俺の肩口を掴んで胸に顔をおしつけた。

早鐘のような心臓の鼓動がばれているんじゃないかと思ったが、彼女から伝わるまだ弱々しい呼吸のリズムからも俺と同じような鼓動が感じられた。

「ありがと、助けてくれて」

彼女はやさしく顔を上下に動かして俺の胸にすがりついた。俺はなんだか照れくさく、彼女に顔をみせずに小さな茶色の頭を撫でた。

「今度、使い方も丁寧に教えろよ」
「えへへ、なにそれ、」

彼女が身体を小さく震わせながら笑えば、俺もつられて小さく笑えた。俺は彼女のあたたかな体温がここまで心地よかったことを知れて、心があったまった。



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書きたかったのはこんなのじゃない






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