甘い甘い砂糖菓子みたいな、
「かとーくん、」
そう呼ぶのは彼の愛称とでも言おう。本名なんて知らない。下の名前も、何も。
やや荒っぽい声色はシルクに落ちた一粒の水滴みたいに、激しくも艶やかに上から下へ、口から落ちた。
瞬きをのんきに三回、繰り返せば、もう一度、今度は甘ったるく。
「かとーくん」、と。
そうすれば、うっすらと口を開いて、息をひそめ、端から赤を覗かせ、チロリと下唇を舐める。癖。多分、きっと性欲が満たされていないからだと思う。
眠たいのかな、気だるそうに、薄っぺらい二重瞼を開閉させ、寝返りをうちながら、んんっ、と吠えた。
「つくづく、物好きだ、な…」
上弦の月、とでも例えようか。悪戯っぽく目を細め、笑い、小さく身動いだ、かとーくん。
知っている事は、みんなに『かとーくん』と呼ばれていることと、家がないことと、ケツがゆるいこと、それと電話番号。あとは、かとーくんは未成年で、男だっていうこと。
「ね、ちょっと、痩せた?」
「………なんで」
「なんか薄っぺらくなっ、た…から?」
「…やめろ、その言い方」
なんかやらしいだろ、と。
生まれた時とおんなじ格好して、肉厚で丸みのあるお尻をツルンと見せつけるかのように、かとーくんがプグゥと枕にうつ伏せながら言うもんだから、生唾を飲んだ。
説得力、皆無だし。
「あっちぃ…あぁーのどかわいたー」
「…、なんか飲む?」
「んーアサヒの辛口ー」
「未成年がなにいってんだか……」
アサヒと俺のは同時にここで覚えた味だから、咎めることはできず、冷蔵庫の中にそれが冷えていることを思い出しふらふらと立ち上がる。
ヒタヒタ、汗ばんだ足裏に張り付くフローリングの床。歩むごとに体温が落ち着く。
「なぁ」
少し、擦れた声が鼓膜を震わせた。「んー?」と。生返事をしながら冷蔵庫まで行き、パキリと膝を折り畳みながら扉を開いて、キンキンに冷えた缶を二本掴む。
「…なぁ、ってば」
「んー、なに?」
壁の断熱材が、かとーくんの声を吸収するから、ここでは弱々しく聞こえる。返事をしてみても応答がない。ちょっと構ってあげられてないから拗ねてんのかな、と、ニヤつく。
「……ほら、これ」
戻って可愛げのない仏頂面に缶ビールを押しあてる。不服そうな瞳を尖らせ、こっちを睨んできた。
ふぅ、と一息。思春期が相手だと、事がいろいろと新鮮で困る。かとーくんは俺を睨んだまま手からそれをもぎ取ると、慣れた手つきでプルトップを勢いよく立たせた。瞬間、何かが弾ける音。発泡酒の匂い。
「楽しいか」
2回ほど喉を鳴らしたら、不意にかとーくんがそれまであやふやにしていた言葉をやっと紡いだ。
唇から缶を離し、体勢を崩しながら「うん?」と聞き入る。それこそ、あやふやにしたい。
「…俺なんか抱いてさ、あんた楽しいか?」
ひやり。持っていた缶の内側から指先を冷やされ、なんとなくもてあそぶ。キリッとした眉が不安げに下がり、心なしか唇をとがらしている。
なにが、とか、なんで、とか、女みたいに感傷かぁ、とか、たくさんの言葉をゴクリと飲んで、チラリと目配せ。
「…かとーくんは?どうなの」
「おれ?……俺は、」
空気がしっとり湿っていく。無音がくすぐったい。少しの躊躇いを見せたあと、男前に缶ビールを傾かせて中のアルコールを一気に飲み干せば強引に口づけてきた。下手くそな皮膚の触れ合い。また、だ。
それからすぐにどちらからともなく唇を啄み、苦味だけを味わい、舌で薄っぺらなそれを押し開き、案外すんなりと事は始まった。
「かとーくんはさぁ、」
性器を触りあって舐めあって、これでもかと挿入をするだけして、でも一緒に達せるわけなんかなくて、俺は中に吐き出すだけ出して、かとーくんのを指で扱いてあげた。事は終わった。二回目だ。呆気ないものだ。
スロウな動きで瞬きと呼吸をしているかとーくん。少し、間があってから見上げてくれた。
「かとーくんはセックスがいいの?それとも、おれがいいの?」
黒目を落とした、と思ったら、身体を仰向けにしていつもより多く息を吐いた。
くすんだベージュ、あの、なんの面白味もない、ただペンキで塗られただけであろう天井を、思い更けたように見つめ、ぽかんと口を開けた。
「あー…わかんない」
セックスは嫌いじゃない、と。
宣言するようにして言ったかとーくん。
「気持ちいいし、たまに楽しいと思うし…」
かといって友達とか先輩とか後輩にこんなことされたくねーし、
つか知られたくねー。まぁ、汚いオッサンにも抱かれたくないなー。
なんて。
いつになくお喋りな口。これが、素直な気持ち、みたいなものなのかな、と思った。
「ははっ、じゃあ俺は綺麗なオッサンか?」
渇いたように笑えば、うるせー、と真上からお腹にかけて手の甲が振り落とされた。
うっ、とする鈍い痛み。可愛くない横顔。ほんとうに、かわいくない。
「………俺はさ、かとーくんが好きだからセックスすんの。だから…超気持ちいいし、さいこーだわ」
ぐぐっ、と伸びをして、ふぁあ、と場にあわないアクビをしてしまった俺。まぁ、これくらいダサくても、別にいいかなと、またアクビをした。
気付いたらかとーくんはそんな俺を、いつになく、真面目な顔つきで見ていたから、なんとなく、ドキッとした。
「なにそれ、」
くしゃり、笑うかとーくんは、やっぱり可愛くなかった。女の子の可愛さを男に求めるほどバカではない俺が、かとーくんを抱く前後、いやなんなら左右もつけてやろう。どうしようもなく、可愛さを求めてしまう。
「遊びで抱いてるわけじゃないから。…んまぁー、楽しいことしか考えてないけど」
ある種の照れ隠しみたいに、はははっ、と嘘っぽく笑えば、瞬間、寂しそうな顔をしたかとーくんが、笑う。
「へんたい」
それに続いてすぐ、さいてい、くそちん、と言った。言い返そうにも言葉は追い付かず、バチッと大人気ない音をたてながらかとーくんの肩を叩いた。そうして、痛テェ!と言って、笑って、チロリと下唇を舐めるあの癖。
そうやって、何を舐めてるんだ。
「おれ、やめようと思う」
「………この商売?」
「しょーばいじゃねぇ」
「知ってるよ、もちろん」
深く、聞かない。何も、言わない。
こぼす言葉をただただ見守る。そうしていれば、かとーくんはまたすぐ、チロリと下唇を舐めるんだ。
「…てか、あんた俺が好きなんだ」
「え、悪い?」
間髪入れずに応えれば僅かに狼狽えた。動揺。照れ隠し。なんだっていい。俺は抱かれるだけの、かとーくんが好きだよ。
「……っんと、物好き」
「それは、悪かったね」
「…謝られると立場ねーじゃんか、」
「なら、…俺んとこ来るか?」
割りと、本気の、冗談。
何を考えているのか分からないかとーくんは、俺の、ぬるく、気の抜け切ったアサヒを、持て余し、飲んだ。
「じゃあ、そうしよっかなー」
ニヤニヤと、下卑た笑い。かとーくんが、迷うふりして、やんわり断るのはわかっている。
このもどかしいやり取りが、好きなんだよね、焦らしてばっかりでさ。こっちは疲れるけど。
ズズズ、とシーツが唸る。視線を送れば上半身だけ起こしたかとーくんが、ぼやっとした顔で近づく。
「あんたのくそちんに、つきあってやるよ、たのしいからね」
やけに、ひらがな口調なかとーくんは、ヒタヒタと悪そうな笑顔の仮面を被って腕枕されにきた。
「だったら、くそちん言うな」
「はい、はい」
チクチク刺さるかとーくんの短い髪がうっとおしい。頭の位置が定まんないみたいで、何度も何度もも腕に頭を下ろしてくる。
「なに、………甘えた?」
「うるせーなー」
そうして俺はかとーくんと距離を縮めた。膚の触れ合いが妙な気分にさせる。
甘い甘い砂糖菓子みたいな、言葉も感情もみんな、チロリとあの赤に舐められておわる。