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夜道を一人で歩く危険は十分承知しているつもりだった。
しかし、家からほんの数分の公園ともなれば、自分のテリトリーも同然だ。
だからこそ、完全に油断してしまっていたのである。
暫く立ち話をした後、友人と別れ、公園を出ようとした、その時──

「腐歯歯歯歯母!!」

突然、奇妙な笑い声が聞こえてきたかと思うと、近くの茂みから巨大な影が飛び出して来た。

「馬鹿な運び屋どもめ! ここまでくれば──ギャッ!?」

「きゃあっ!!」

避ける暇もあったものではない。
聖羅は茂みから出て来た男にまともにぶつかってしまい、そのまま弾き飛ばされてしまった。
落ちた携帯がガチャンと嫌な音を立て、その上に横向きに倒れ込む。

「いっ…たぁい……!」

何するのよ!と叫ぼうとした途端、顔に生暖かい雨のようなものが降りかかった。
続けて響いた、ビシャビシャッ、と汁気のある塊が地面に落ちる音。
何気なく手で頬を拭うと、そこにはベッタリと夜目にも赤黒い液体が付いていた。
───血だ。

「っ──!」

声にならない叫びを漏らした聖羅を、何者かの力強い腕が地面から引き上げる。
聖羅を片腕だけで抱き起こしたのは、黒い幅広の帽子を目深に被り、漆黒のロングコートを身に纏った男だった。
彼は花束を抱えた右腕に聖羅を抱き抱えたまま、正面を見つめている。
男の氷にも似た無機質な美貌を間近にし、聖羅は息を飲んだ。

「死にたくなければ、大人しくしていなさい」

闇に溶け込む黒衣と、抜けるように白い肌にふさわしい、ひやりとした冷気を含んだ美声が耳を打つ。
男は、聖羅と花束を抱えているのとは反対側の左腕を、優雅に宙へと差し伸べた。
白い手袋に包まれたその手から幾筋もの赤い液体が溢れ出し、闇夜へと流れ出て行く。
良く見ると、それは輝く無数のメスを含んだ血飛沫だった。

「『赤い暴風(ブラッディ・ハリケーン)』」

男が低く呟くと同時に、まさしく赤い暴風と化したメスの群れが、前方の闇に向かって襲いかかる。
たちまち醜い断末魔の悲鳴が闇夜に響き、聖羅はそれでようやく、そこに複数の男達が潜んでいた事を知った。
そして、彼らが今この男の放ったメスによって葬り去られた事も。

「大丈夫ですか?」

男が聖羅を腕から解放しながら問いかける。
聖羅はショックで声も出せないまま、ぎこちなく頷いて見せた。

「運が悪かったですね。今夜の出来事は、悪い夢と思って早く忘れることです」

聖羅はもう一度頷いた。
そうしないと、口封じの為に殺されてしまうのではないかと思ったからだ。
男は意外にもクスリと優しげな笑みを見せると、腕に抱えた花束から一輪抜き取って、聖羅へと差し出した。
──ベルベットのような艶のある、漆黒の薔薇の花を。

「約束の証ですよ。今度、何処かで再び貴女と出逢った時には、恐ろしい出来事は全て忘れて、私の事だけを思い出せるよう──」

艶めいたテノールで歌うようにそう囁くと、男は帽子を深く被り直し、そのまま踵を返して闇の中へと去って行った。
後には、ただ濃厚な血と薔薇の香りが漂うばかり。

夢か現か。それとも、春の夜の見せた幻か。

聖羅は漆黒の薔薇を胸に、美しくも残酷な黒衣の死神の消えた闇を、呆然としたまま見つめていた。



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