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淡い春


教室の真ん中にはヤカンの乗った石油ストーブ。いつの時代だよ、と思うほど現代とマッチしない光景。だけど三月に入ったと言うのに今朝は雪がパラついていたから、古びた校舎の中の冷え切ったそれぞれの教室を温める為には必要不可欠な存在。

閉め切った窓には結露。五分前に始まったホームルームの前に誰かが描いたであろうらくがきは誰もが知ってるキャラクターらしきもの。目と鼻のバランスが少し変だけどそのキャラが持ってる愛嬌はきちんと溢れている。

いつもと変わらない時間、クラスの皆が揃い教団に立つ担任。それだけなら毎朝と変わらない光景。
だけど、皆の胸に飾られた花や黒板に大きく書かれた「卒業おめでとう」の文字。黒板だけでは無くドアや柱や壁などあちらこちらが色とりどりな紙花や輪飾りで飾り付けられている。

賑やかなのに、どこか緊張感が漂う教室。この制服を着て、窓側から二列目一番のこの席に座って教室の中を見渡すのも今日で最後。

いつも話が雑談へと逸れるお喋りな担任も今日ばかりはピリっとした面持ちで、式中の注意点なんかを話してる。そんな担任に向かって「先生、らしく無いよー。」「いつも通りの先生で居てよ。」なんて言葉を投げ掛けるクラスメイトも居れば、ぼんやりと担任の話に耳を傾けているクラスメイトも居た。

感慨深い様な、実感が無い様な気持ちに包まれながら最後のホームルームを過ごす。

近くも遠くも無い、俺の席から廊下側に向かって斜め前方に座る彼女。ここからでは表情までは見えないが、その後ろ姿はいつもと変わらない。
そんな彼女にこの席から、この距離間で見つめる事が出来るのも今日で最後なんだな、と思うと目を逸らす事が出来ない。

高校生活最後となる朝のホームルーム。俺は昨日までと同じ様に彼女の背中を眺めながら過ごした。



式が終わり本当に本当に最後のホームルームさえ終わった頃にはあちらこちらで涙を流していたり、卒業アルバムの後ろに寄せ書きをし合ったり、三年間通った校舎で最後の時間を過ごす。
そんな雰囲気が落ち着き、駅前のカラオケに移動してクラス会をする事になっていた。それぞれが帰り支度を始め教室を出始める。俺は荷物をまとめ傍に居た友人に「悪りぃ。先行ってて。ちょっと遅れる。」と告げ、昇降口に向かう皆とは逆の方向へと足を進めた。

さっきまで卒業式を行っていた第一体育館とは違い、パイプ椅子や弾幕は無い、見慣れた景色が広がっている誰も居ない第二体育館。
暖房も付いていない空間はシンと冷たい空気で満ちていて、ゆっくりと静かに歩いている筈の俺の足音を大きく響かせた。

行事や体育の授業でよく使っていた第一体育館では無く、バスケ部の練習はこの第二体育館で行われていた。部活を引退してから訪れる事がめっきり減った第二体育館。しゃがんで床に触れればひんやりと冷たかったが、この床は入学して引退するまでどれほど俺の汗を沁み込んだのだろう。
ゴロンと仰向けに寝転び、部活中はあまり見る事の無かった天井を眺めれば、思い浮かぶのは辛くそして同時に充実していた部活の事。レギュラーになれるまでの事、スタメンになれるまで事、スタメンになって勝つ為に必死に練習した事。数ヶ月前、最後の退会の後もこうやって今までの事を思い出した。

だけど、今思い浮かぶのはそれだけじゃない。部活以外での学校生活、そして今朝最後のホームルームで見た彼女の後姿。

肩よりも少し長い位置で結ぶ事も無くいつもサラサラと揺らしている髪を耳に掛けようと動いた彼女の手元でキラリと輝いた。薬指に絡まる飾り気が無い細身でシンプルなシルバー。
ネックレスにピアス、それから指輪。有って無い様なゆるい校則に縛られる事なく着飾る生徒は多いが同じクラスになって彼女がそういったものを身に付けてるのは見た事が無かった。昨日までは無かった指輪。だけど昨日から今日にかけて思い立った様に付けられた訳ではないであろう指輪。

同じクラスになって初めて知った彼女の存在。特別仲が良い訳でも全く会話をしない訳でも無い、クラスメイト。

それ以上でも以下でも無い俺と彼女の関係だけど彼女の指で輝く指輪を見た瞬間、今朝ちらついていたなごり雪を思い出し、左胸に飾られたままの赤い花飾りに触れながら「……卒業だ。」と零れた独り言が静かな体育館いっぱいに響いた。

うっすらと積もる事も無く溶けたなごり雪。雲ひとつない青空。降り注ぐ春の日差し。

甘酸っぱい想いをここに置いて、18の俺は旅立つ。


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