ねむりひめ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 怒号、警報、悲鳴、銃声、爆発音。音の洪水を自身も音をたてながら駆け抜けて行く。
 身を掠める銃弾に怯むことなく廊下を突き進み、盾を投擲し、倒れた警備員達に一瞥もくれずひたすらに奥を目指す。
 行く手を阻む物々しい警備員達はただの研究所を護るにしては些か装備が整いすぎて、訓練され過ぎている。どこか国の正規軍傘下と言われても遜色しないこの研究所はある化学者が一人で築き上げた狂気の城だ。
 初めはただの一化学者だった男が己の欲望と欲求、そして狂気を積み上げ産み出した組織は、いつしか闇に飲まれやがて闇そのものへと変質していった。ここで産み出された薬に人生を、命を、奪われた者の数は大量虐殺と呼べる量にまで膨れ上がり、遂には背後に赤い髑髏がその赤い触手を揺らめかせているとなっては最早S.H.I.E.L.D.として見逃す訳にはいかなかった。

「おいおい先行しすぎだ」

 無線から別ルートで侵攻しているアイアンマンの声が制止をかける。だがキャプテンアメリカには焦る理由があった。
 姿を消した赤い傭兵の噂とエージェント達がもたらした情報。組織が手にしたという実験台。
 そう、ここには真紅の饒舌な傭兵が捕らわれていた。
 早く、速く、はやく。
 スタークからの諌める声にすら適当に返事を返しひたすらに突き進む。S.H.I.E.L.D.が掴んだ情報によれば彼は少なくとも人道的な扱いを受けているとは言えなかった。
 デッドプールの能力を知らない訳ではない。だが彼は苦痛から逃れる術を持ち合わせているわけではないのだ。
 どうか、無事でいてくれ。
 小さな祈りを胸に秘めキャプテンアメリカは雷撃のように突き進んだ。
 無線からは別ルートで実験室へ進攻したグループによるデッドプールの姿が見当たらないと落胆の色を滲ませた報告が届く。
 しかしここに彼がいることはほぼ間違いない。
 なら、この施設を一番良く知る人間に聞くしかない。
 目前に迫る所長室の扉を
雪崩れ込んできたエージェント達が素早く銃を構える。
だが質の良さそうなデスクに座る男は、まるで施設の人間が入ってきたかのように平静のままくるりと椅子を回しこちらを振り返った。むしろ顔にはうっすらとした笑みすら見てとれる。

「嗚呼S.H.I.E.L.D.! 私の技術に恐れをなしたのだね!」

良くわかるよ、と神経質そうな所長は芝居がかった口調で言った。

「当然だろう、私はそれだけのものを作り出し、そして世界を変えた……素晴らしいことだよ。
 それで、私を捕まえに来たのだろう? だが私を捕らえたとて私の頭脳」
「デッドプールは何処だ」

 歪な演劇を続ける男を遮り、赤い傭兵の名を出せば胸ぐらを捕まれた男は恍惚としたように笑った。

「ああ、あの実験台か? それなら……」

 嬉々と恍惚と己の成功を歌う男を、殴らなかったのはヒーローとしての自分が自制したのではない。爆発した怒りが、かえってキャプテンアメリカを冷静にさせたのだった。

「彼は、どこだ」

 体内から爆発し出口を求め荒れ狂う感情を圧し殺し、絞り出すように。しかし、有無を言わせぬ声色でキャプテンアメリカは男に詰め寄る。
 普通の人間ならば圧倒され口を開かざるを得なくなるような重圧の中、男は恋する乙女のように歌った。

「私の、私が完成させた証明、完全なる死。彼の沈黙こそ、私の理論が正しいことの証明」

 大切に大切に飾っているよと嘯く狂人に身に巣食う激情が爆発しかける。一瞬、全身を駆け抜けた怒りに貧血にでもなったかのような目眩を覚えた。
 しかしここで感情を爆発させては目の前で身体を折り笑い続ける狂人を殴り殺してしまいそうで。キャプテンアメリカは深く息を吐くと拳を軋ませ再度男に問いかけた。
 施設の奥の奥に隠された、幾重にも厳重な扉とテクノロジーに護られた部屋に、彼は在った。
 力ずくで活路を開き、部屋へ飛び込んだキャプテンアメリカが目にしたのはガラスのケース内で眠るように死んでいるデッドプールの姿だった。身体につけられた医療器具の類いは一般の病院でも見慣れたもので、画面に映る直線が彼が生物学的に死亡状態にあることを示唆していた。
 遅かったか。
 荒い息のまま、キャプテンアメリカは拳を強く握り締め己の無力さに表情を歪めた。
 あがった息をそのままに寝台へと近づく。すると常と異なり白い服を纏い穏やかな表情で眠る彼に不意に目を奪われた。
 美しい。
 単純に一言、脳裏に現れた言葉に己の身を焦がしていた怒りが急速に洗い流され、驚くほどに心が凪いでいく。
 まるで熱に思考が溶かされたような足取りで金髪の男は静かな部屋の中心に祀られた祭壇へ密やかに歩を進めた。
 何処か犯しがたい空気すら感じ音を殺す。
 キャプテンアメリカ──スティーブ・ロジャース──は神聖なものに導かれるように硝子の棺で眠る彼をそっと見下ろした。
 穢れのない白に包まれた姿、穏やかな表情。ほう、と吐いた息は先程までの戦闘のせいではない。

「キャプテン!」

 超人血清のペースに追い付けなかった隊員達が靴音高く雪崩れ込んでくる。刹那、青い英雄は電撃を受けたようにビクリと手を引いた。
 今、私は、何を……?
 先刻とは類を異にする息切れにめまいを感じ、たたらを踏む。早鐘のように鼓動する心臓が煩わしい。
 しかしそんな自分を悟られるわけにもいかず、必死に冷静さを装いながらキャプテンアメリカはエージェントたちを振り返った。

「あの男は死んだと言っていたが……とにかくデッドプールを連れて帰ろう」

 彼が例え死に抱かれたとしても自分の元へ帰ってきてほしかった。

***

 デッドプールの能力を知るキャプテンアメリカをはじめとしたS.H.I.E.L.D.やヒーローたちの予想を裏切りデッドプールはいつまでたっても目覚めなかった。
 組織の長を務める化学者はその結果に歓喜をもって頷く。
 私はついにヒーリングファクターすら凌駕する薬を作り出したのだ、と声高に叫ぶ声は狂気と狂喜に染まりきっていた。
 狂人への気の病んでしまいそうな取り調べが続くなか、キャプテンアメリカはデッドプールの眠る病室へ合間を見ては足繁く通うことが日課となりつつあった。
 だが何度訪ねようとやはりそこには、眠るように死んでいる彼の姿だけが静かに取り残されている。
 いや、正確には蘇生と死を繰り返している状態にあった。
 確かに薬はヒーリングファクターを超える速度で彼の身体に死をもたらした。しかし彼に巣食う不死の部分は魂を離すことを許さなかったのだ。
 不規則に息を吹き替えし、薬の効果でまた死の淵へ沈む。生死をさ迷い続ける無限地獄に落ちた彼はそれでも穏やかな表情で眠り続けていた。
 乙女は花輪を柳にかけようと小川に落ち、小唄を口ずさみながら水底へと沈んでいった。ならば彼は一体何をしようと死の川へ落ちたのか。
 そんな退廃的な事を考えながら、飽きることなく来る日も来る日も時間が許す限り、眠り続けるデッドプールの側で穏やかな寝顔を眺める日々。
 その密やかな心の平穏が崩れたのは突然だった。
 こんこんと静かに眠り続ける傭兵の美しい姿に英雄は唐突に物悲しさを覚える。光を受けてはきらきらと幼子のように煌めく瞳が、酷く見たくなった。

「ウェイド」

 穏やかというには寂しすぎる声で英雄は饒舌な傭兵の名を呼ぶ。
 しかし死の淵に半身を沈めている彼は安らかな表情のまま黙し、白いベッドに身体を横たえていた。
 死んだように眠る部屋にただ自分だけが息をして生きている。はっと気付かされたその事実に英雄は心臓を氷漬けにされたような恐怖を抱いた 。
 冷たいのは嫌いだ。
 キャプテンアメリカは震える手を伸ばす。
 北の海に、鋼鉄の檻と共に投げ出され深く静かな水に沈んだあの感覚が襲いかかってきた。時すら凍り付き身体は感覚を失っていく。ここに水はない、必死に言い聞かせても時すら凍てつかせる冷気が、水圧が、無慈悲に心臓を締め付けた。

「ウェイド」

 もう一度、傭兵の名を呼んだ英雄の声は親からはぐれた迷子のそれだった。

「……頼む、どうか……っ」

 冷たさを感じる手を握り己の体温を分け与える。その程度で目を覚ますとはキャプテンアメリカも思ってはいなかった。だがなにかしら今できることをしなければ永遠に彼を失ってしまうような気がして、青い英雄は震える手で声で覚醒を呼び掛け続けた。
 名を呼び、戻ってこいと囁き、帰ってきてくれと懇願する。だがどんな言葉も黙した城門を開くことができない。
 さむい、つめたい、こごえそうだ。
 いよいよもって身体を精神を見えない水が浸食し、息が止まってしまうかのような恐怖が全身を撫でて行く。握った手が冷たい、力が入らない、嫌だ。
 祈るように、願うように、乞うように、最後の願いを込めて爛れた唇に口付けを落とす。
 刹那、ヘイゼルに輝く瞳が青い双眸にゆっくりと映り込んだ。

***

「俺ちゃんさあ、途中から協力したんだよね」

 遥か遠くに視線を向け、過去を想い偲ぶように彼はそう言った。死にたかったのだと、終わりにしたかったのだと、彼はまるで天気の話をするかのような気楽さで笑ってみせた。
 あの化学者が、熱病に犯されたように熱く語る台詞を斜めに聞き流しながらも、その到達地点には酷く心を惹かれるものがあった。
 命の終焉、総ての終わりへの道。
 その道筋をとらえたいと願う欲求は今も、きっとこの瞬間ですら、不死の身体の奥底で息を潜めじっとその時を窺っている。
 あの時もそうだったのだ。
 もしここで、万が一、億が一でも何かの間違いで穏やかな眠りが、麗しき死が自分を迎えに来てくれるのではと期待した。そして彼は死者の世界への切符を手に眠りの淵に沈んだのだ。
 でも結局、帰りたいなって、帰ってきちゃった。
 えへへ、と穏やかに笑ったウェイドにスティーブはたまらず顔をすり寄せた。鼻腔を彼の匂いが満たす。
 彼は今こうして生きている。
 その現実が堪らなく嬉しく、その事実が言葉にできないほど喜ばしかった。

「君が」
「うん?」
「君が、眠っている姿はとても綺麗だった」

 すると彼は笑顔のまま、しかし寂しそうな色を滲ませ、そっかと呟いた。
 でも、とスティーブは緩やかに首を振る。

「でもね、もしこのまま……君が目を覚まさなかったらと思ったら怖くて」

 泣いてしまいそうだったよ。
 囁きながらスティーブは両腕の力を少し強めた。すっかり温かくなった身体を抱き締めて、帰ってきた彼を全身で噛み締める。もうあの全てを凍てつかせる死の体現である冷気は去り、換わりに鮮明な生の鼓動が心地よく自分と彼を互いに温め合う。
 確かに眠った彼は美しかった。しかしそれはあまりに静かで冷たすぎたのだ。

「なんだ、泣いてたら笑ってやったのに」

 目を覚ました悪戯っ子がきゃらきゃらと笑う。
 しかし耳許でした笑い声はしっとりと水分を含んでいた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・







「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -