ロンリー・ロンリー・K9
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そもそも、事の起こりは突然だった。
大きな一仕事をいつものように銃火器で華々しく終え、金と時間に余裕のできたデッドプールは分厚い傭兵のマスクを脱ぎ去り、ウェイド・ウィルソンとしての自堕落な引きこもり生活をエンジョイするつもりだったし、実際していた。宜しくない方向で俗世とは縁を切り、デリバリーのピザを噛りながらテレビやゲームに没頭する。溜まっていくゴミはそのうち仕事が始まる際に根こそぎ捨ててしまえばいいと床に散らばしたまま、よれたハーフパンツにくたびれたTシャツを着崩しながらただただだらしなく休暇を楽しんでいた。
そんなある日、部屋に文字通り現れた巨漢の相棒。酷く消耗しきった表情で少ない荷物を背負った救世主はうっすら隈すら浮いて見える顔で、ただ暫く置いてくれといつもより言葉少なく、しかし切実さをもって頼んできた。
真っ先に頭の中で白いボックスが冷静な大人の声で否と答えた。曰く、我々の有意義な休暇に面倒事を持ち込まれてはたまらない。確かにそうだと納得しかけるよりも先、今度は黄色のボックスが子供のように異を唱える。折角のおやすみおうちパーティーだよ! お友だちがいたって良いじゃん!
さて、どうするか。
目の前の憔悴した男を値踏みするように見上げ、ウェイドは悩んだ。ネイサンと一緒にいると面倒ごとに遭遇する確率が跳ね上がることは予想に難しくない。だが休ませてくれと言われて無下に断れるほどネイサンのことを嫌いだとは思っていない。
「ウェイド……頼む」
ゆらりと揺れる瞳はオプティックブラストのせいだけではない。
せめてもの抵抗にわざとらしく溜め息を吐いて見せ、ぶっきらぼうに背を向ける。
「メシはデリバリーしかねえからな……」
結局のところ、ウェイド・ウィルソンという男はネイサン・サマーズには弱かった。
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デリバリーのピザにぬるいビールにフライドポテト、色とりどりのスプレーがのったアイスクリームをに口に運びながら食事というには口数の多すぎる時間を過ごす。ビールのお陰か口数の幾分か回復したネイサンにウェイドは内心ほっと胸をなでおろした。
結局あのあと、古ぼけた冷蔵庫の在庫が思った以上に少なかったせいでなし崩し的にネイサンと買い物に行く羽目になったウェイドは、まるで当て付けのように食料を買い込んだ。
買いすぎじゃないのかと口を挟む居候には俺ちゃんよりデカい息子さんが急に来ちゃったからなあ、と演技っぽく唇を尖らせて見せる。すると珍しく彼はすまないと素直に謝った。
思わず動揺する。彼はいつだって自分の道を好き勝手に歩こうとする犬のように強引に自分を引っ張っていくはずなのに。
「ま、まあ、俺ちゃんだって、その、結構食うし」
決まり悪そうに目線を泳がせ、必要もないカラフルな菓子をカートに投げ込む。ネイサンを責める気はウェイドにはなかった。
「あっほらビール、お前の分ねーから買うぞ」
数も考えずゴロゴロと瓶をカートにのせ、さっさと行くぞとネイサンの腕を引く。セーフハウスへ戻ったら少しくらいサービスしてやらなくもない。なにせ疲れているこの男の姿に酷く落ち着かない気分にさせられてしまうのだから。
買い込んだ食料を適当に摘まみながら主にウェイドがひたすらしゃべっているに近い二人の食事はそれでもネイサンを喜ばせたらしかった。
相変わらずうっすら浮かぶ隈に変わりはなかったが少々表情は血色がよくなったように見えてきたのだ。
疲れて、食事をとった、ならば次は。
「……ネイト、お前ほんと、もう寝ろよ」
こくりこくりと船を漕ぎだしたネイサンに幼子に言い聞かせる母親のような小言が漏れる。すると一瞬、微かに目を見開いたネイサンは嫌がるようにゆるりと首を振った。
「お前の……声がききたい」
「なんだよ、おっきいベイビーはママのお話がないと眠れないってか? おしゃべりなら明日いくらでもしてやるからとりあえず寝ろって」
ぐずぐずと今だソファに身を預けたままの巨漢を引っ張りながら、ウェイドはなんとかネイサンをベッドへ運ぼうと苦心する。
「ほら、ネイト。今日は特別サービスで俺ちゃんのベッド使って良いから」
「……ねる」
じい、とウェイドを凝視した後、ネイサンは少々おぼつかない足取りでウェイドに引かれるまま立ち上がった。そして夢に浮わついているかのようなふわふわとした動きでおとなしく自分よりも低い背を追う。
それがまるで散歩帰りを嫌がる犬のようで、思わず口許に小さく笑みが浮かんだ。
「さーて、じゃ、オヤスミ」
ほとんど投げるようにベッドへネイサンを押し倒しタオルケットのサービスまでくれてやりながらウェイドはクルリと踵を返した。おしゃべりの多かった男子会のあとを片付ける必要があったからだ。
だがウェイドがベッドサイドから離れる前にずるりとハーフパンツが後ろに引かれた。犯人は一人しかいない。
「ネーイト、なんだよ。俺ちゃんお片付けしてくるだけだって」
下着を巻き込んで引き下ろされそうなハーフパンツを押さえながらもう片方の手でしっかりとパンツの裾を握りしめる手を引き剥がそうと指をかける。けれども眠りかけているとは思えない力でネイサンはくたびれた布地を握りしめ続ける。
「……どこ、で、ねる……?」
ほとんど落ちかけた掠れ声が問うた。それは言外に一緒にいろと強く主張していた。
大の大人が寝るには少し早い時間、外の喧騒とはうってかわって部屋の中には沈黙が満ちる。
長い攻防の末、ここでも折れたのはやはりウェイドの方だった。溜め息混じりにネイサンの固い髪をすきながらぐりぐりと普段は高い位置にある頭を撫でた。
「ったくよ。わーったって、片付け終わったら添い寝の出血大サービスだ。ここが日本じゃなくて良かったな、日本なら有料だぞ」
両手をあげて降参のポーズをとる。そして宥めるようにキスを一つ。なにせこうなったネイサンにウェイドはどうあっても勝てないのだ。
***
ふと、太い指が繊細な動きで自分の身体を這い回る感触に目が覚めた。
「やめろよ、今日は気分じゃねえ」
それを無理に押し退けながらベッドから抜け出そうと身を起こす。
だが身体が少し冷たいベッドの外へ抜けるより先、鋼のような筋肉に覆われた腕が眠気によって温まった身体を心地よい熱源に引き寄せた。
おい。苛つきながら背後に首を捻ればなんとも言えない表情のネイサンと視線がぶつかる。
「……別にセックスをしたいわけじゃない」
「はあ?」
じゃあ放せと腕を剥がそうと指をかければ息の詰まるような圧迫感。視線の端で爛れた身体が僅かに青い光に包まれているのが見えた。
クソッこれだからサイキネシス持ちは。
唯一自由に動くことのできる目だけを動かし、拒絶を込めて少し上の双眸を睨めば饒舌な傭兵を抱き込んだ救世主様はくん、と甘える犬のように鼻を鳴らした。
突然の来訪と言い、何がしたいんだ一体。思わず苛々がつのる。
「……ウェイド」
ぐり、と額が押し付けられ縋り付くような弱々しい声で名を呼ばれる。こうなってしまえばウェイドはネイサンを拒絶できない。
……しょうがねえな。
無駄な抵抗を諦め、抱き込まれた男は全身から力を抜いた。もう逃げねえよ。なんて安心させるような言葉は言ってやりはしないし、言えもしないが。だが逃げることを諦めたのは伝わったのか、ふっと身体をベッドへ縫いとめる力が消えていく。代わりに残されたのは逞しい感触の異なる2本の腕。
「ウェイド……ウェイド」
驚くほど弱々しく、迷子のような声が夜明け前の暗いベッドルームに零れ落ちる。月すらも寝入った夜、大きな子供の心細い不安げな小さな声だけが輪郭を持っていた。
不安に揺れる囁きをじっと聞きながらふと、既視感を感じる。ああこれ、アレに似てるわ。現実世界にネイサンと自分の身体をおいてウェイドの思考がそっとベッドを抜けだした。
まるで、飼い主が仕事に行く時にイイ子で待っててねって言われアホ犬だ。ヘタによしよしなんて撫でまわされて、行ってくるなんて言われるから余計寂しくなって、きゅんきゅん言いながら尻尾ぶん回して、身体を押し付けて俺も連れてけってワガママを全身全霊ぶつけてくるヤツ。
そんでもって。
「ウェイド」
突如、耳許を低い声と熱い吐息が掠めていき、ぞわりと背が粟立つ。
淡い光は見えない。だが自分を捕らえる丸太の腕はぎゅうと胸を締め上げてきた。
「……俺を、おいていくな」
なんだよそれ。身勝手な追い縋る、しがみつく声に思わず口許が歪んだ。
いつだって、どんなときだって、置いていかれるのは自分だ。戦場で、街中で、隠れ家で。逞しい身体を、揺らめくオプティックブラストを、鈍く光る半身を、探して求めて乞うて。
でもいつだってお前は来ねえじゃんか。
「いつもは」
寂しい? 辛い? 一人にするな? ふざけんな。
「……お前が俺を、おいてくくせに」
ぽろりとよく回る口からこぼれ落ちた、小さな不満。言うつもりのなかったはずの言葉の欠片にはっと息を飲む。
しまった、とんだ失言だ。
「いや、あのっべつに……」
思わず言い訳をしかけて、口から出た言葉は頼りなく霧散し溶けていった。宙に浮かぶ白い箱はやれやれとため息をつき、黄色い箱はデレ期! なんて他人事のように囃し立ててくる。
「ウェイド」
明らかに喜色に満ちた軽やかな声が静かな部屋を仔犬のように跳ね回り始めた。
ああクソ、これだから!
思わず渋面を浮かべ、近くで忘れ去られていた枕に顔を埋める。 顔は熱くて心臓が痛い。なにより背後から自分を包む大きな体躯が気に入らない。
もう無視だ、全部無視だ、反応なんか絶対してやらねえ。耳を塞いで目を閉じて、本当はこのベッドから抜けたいけれどそれはできない。
「……悪かった」
嬉しさを隠そうともせず、硬い手が波打つ肌を撫で、背にぐりりと額を押し付ける。ここで振り返ってしまったら、きっと自分だって負けてしまう。もはや意地だった。
「…………後で覚えとけ、バカネイト」
痛いくらいの愛情表現に小さく小さく、悪態をつく。大きな仔犬たちを残して、夜は徐々に更けていった。
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