月、帰る
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昨晩のどことなく具合の悪そうな様子がどうしても気にかかったスティーブは、彼の“どうしても明日だけは来ないでくれ”という約束を守ることができなかった。
一般的に野性動物というものは己が傷ついた場合や病気になった時、弱っていることを他の種族に悟られぬよう怪我を隠そうとする習性を持つものが少なくない。
ともすればほぼ人に近しい人魚にもそのような本能的なものが残っている可能性は十分にあった。
加えてデッドプールの事だ、きっと自分に不安を与えたくないとの一心で自分の不調を隠そうとしているのかもしれない。
そうと思えばいてもたってもいられず、星さえも霞んでしまうほどの丸い月光を頼りにスティーブはいつもの洞窟へと急いだ。
とにかく彼を、デッドプールを探さねば。
何もなければそれで良いし、もし何かあるならば助けてやりたい。この時、高潔な騎士はそう考え、必死な思いで幼い頃の命の恩人を探し回った。
陸と海の混じりあう洞窟。
濡れた岩に足を取られぬよう注意しながらもその足は速い。スティーブは一刻でも早くデッドプールを探しだそうと必死で歩き回った。
「…………ぅ、……ふ、……ん……」
そして不意に耳をついた、波の音に紛れる呻き声。
注意深く岩場に視線を向けていたスティーブは弾かれたように顔をあげた。
「っデッドプール! いるんだろう! 返事をしてくれ!」
力強く洞窟一杯に響き渡り反響する声。
だが、応えた声は酷く苦しげで弱りきっていた。
「あっ……なんれぇっ……しゅて、ゃだぁっ……あっひ、いっっれ……!」
ごつごつとしたタイドプールにしかれた海藻。恐らく彼が拵えたであろう潮のベッドの上には身を横たえ苦しげに呻くデッドプールの姿があった。こちらに気付いたデッドプールはスティーブから少しでも身を離そうと緩慢な動きで起きようとする。
だが彼がどれだけ必死で自身を叱咤しようとも、赤く艶やかな身体は数センチとて岩から起き上がることが出来なかった。
荒い呼吸に震える身体。スティーブにはその姿に見覚えがあった。
「っどうしたんだ! まさか毒でも……!」
酷く弱りきった姿に金髪の騎士は自身の服が濡れることも構わず赤い鱗の横へ膝をつく。
ここ最近、街では人魚の噂が飛び交い、一攫千金等と言う声もちらほら聞こえていた。きっと彼は心ない人間たちに捕まえようと毒でも盛られたに違いない。
眉間に皺を寄せ騎士は悲痛な感情に秀麗な顔を歪めた。
なんとか彼を救わねば。半身を海水に浸し人魚を抱き上げようと艶かな下半身へと腕を回す。
すると弱々しく震える手が袖口をつかんだ。それが自分を押し退けようとしているのか、縋り付いているのかスティーブにはわからなかった。
よって彼は悪い人間たちの毒牙にうち震える人魚が信頼できる自分を頼ったのだと都合の良い方へ解釈した。
「もう大丈夫だ、デッドプール。とにかく私の家に行こう、知り合いに口の硬い医者もいるんだ」
少々変わってはいるが腕の確かな友人の顔を思い浮かべ安心させるように赤い輪郭をなぞる。
だが彼は緩やかに首を振ると残る命を燃やし尽くしてしまうかのようにスティーブを押し留めようとした。
違うの。
掠れ、ぜいぜいと荒い息に紛れ、囁かれる小さな吐息。
「……ぁ、ゃら……みなぁっい、れぇ……!」
突然、腕の中のデッドプールがひくりと真紅の身体を痙攣させた。彼の身体は限界を迎えてしまったのだろうか。間に合わなかったと為す術なくスティーブは弱った人魚を抱き締める。
だがそこで、ふと視線に入った異変に息を呑んだ。
ちょうど人間ならば股間に当たるのだろうか。括れた腰の少し下、ふっくらと膨らむ尻とは反対側のなだらかな腹筋から続く縦の窪み。そこから白く曲面を描くものが僅かに顔を覗かせていたのだ。
鮮烈な真紅の彼とは対照的に光ってすら見えるほどの純粋に白い、それ。
思わずスティーブはごくりと唾を飲んだ。爆発したような心臓が酷く痛い。
「はん……ぅっぅ……はっ、ぁ……、だぁ」
震える手が徐々に内側から押し広げられる割れ目を隠そうとゆるゆると下がっていく。
しかし逞しく鍛えられた手が長い指がそれを阻止した。
「ぁ……ゃ、なんれぇ……っ、しゅってぃ、はなひれぇ……!」
まさに息も絶え絶え。
苦しげに呻きながらデッドプールは潤んだ瞳でスティーブに慈悲を乞う。
けれども金髪の男は熱に浮かされたような、獲物を前にした獣のような理性の溶けきった目でゆるりと一回、首を横に振った。
答えは否。隠すことなど許せない。
苦痛に力の入らない弱々しい両の腕を片手で岩に縫い止めるとスティーブは空いたもう一方を口を開きつつある慎ましやかなクレバスに這わせた。
ぽろぽろと白い双眸から真珠が溢れ、真紅の尾びれが潮溜まりに僅な波を起こす。
「……はっゃ、ひゃめれ……! しゅて、ぃっふ……!」
嫌だ嫌だと緩慢に振られる首。
だが今のスティーブにその声は届かなかった。剣を握る長く節くれだった指が開きつつある隙間にかかる
クチュ。
少しずつ押し広げられていた門を指が開く。耳を掠めた、海水とは異なる粘性のある音に絶頂を迎えたのかと錯覚するほど血が激流となって身体を廻っていった。
「……ゃだ! らめぇ、まりゃぁぁぁ、あっあっやっああああっ!ひゃらあああぁぁあっ!」
そして同時に真紅の肢体が艶やかに仰け反り月影のスポットライトに照らし出される。ピンと延びた喉からは甘美で淫靡な悲鳴が讃美歌のごとく響き渡った。
しかしその美しい姿を遥かに凌駕する光景に空色の瞳は釘付けだった。
赤く紅い身体から産み落とされる純白の宝玉。外からの侵入者に開かれた門を滑り落ちる卵は最初の一つが出てしまえば後から後からと続いていくようで紅いクレバスからころりころりと外界へ溢れていく。
「んっ……ぅあっ……ゃ、……やぁ……」
彼のスリットを卵が押し広げていくたび、ひくりひくりと艶やかな鱗が踊る。月影のスポットライトを浴び、それは生命の神秘を体現したような光景だった。
思わず目を奪われ息すら忘れて水面に揺れる玉を眺めていたスティーブはハッと我に返った。
このままではデッドプールの卵が沖へ流されてしまう……!
「んっ……いい、の。たまご、ぅみ……、かえる……」
流されていく卵を追いかけようとした白い手に鮮やかな赤が重なる。ふるりと首を振り役目を終えた人魚は穏やかに笑みを浮かべた。
波間にゆっくりと小さな玉が揺れ、海へと旅立っていく。
がくりと力を失いしなだれかかる身体。スティーブは慌ててぐったりとした人魚を抱え直す。
「っデッドプール?! 大丈夫か!? デッド……」
「ん、ちょ、と……つかれ……」
ゆっくりと白い瞳が閉じていき、甘えるように真紅の身体がそっとスティーブに寄りかかる。
途切れ途切れの言葉は最後まで聞き取れはしなかったがもう大丈夫なのだろう。微かに耳をくすぐるのはくうくうと穏やかな寝息だった。
「……っど、どうしてくれるんだ……」
無防備に眠る身体に押される起ち上がった自身。
深夜の洞窟、デッドプールを抱えたままスティーブは途方にくれた。
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