仕事の合間、いつものようにソファでお茶をしていた。
「ねえ、ゼロス」
しいなが突然思い付いたように話し掛けてきた。
「んー。なによ?」
何かあるな、なんて思いながらも紅茶に手を出す。
「ずっと気になってたんだけどさ、アレって使えるのかい?」
カップに口を付けたまま、しいなの指した方をたどる。
アレと指さしたのは自分の後ろにある黒くて大きな物。
「あー、ピアノな。しいなさん、ピアノって知らないのか〜?」
しいなに向き直り、紅茶を一口啜る。
「そんなことは知ってるよ!!……ただ」
「知ってるけど音は聞いたことないってか?」
しいなの言いたいことは大体分かる。
「……悪いかい?」
キッと睨みつけた瞳には、何処かしら恥じらいがあるように見えた。
「別に悪いなんて言ってないだろ?」
「あんたは弾けるのかい?」
「おれ様が奏でる旋律に何人のハニーが気絶したと思ってんだよ」
紅茶をコトリと置いて、ニヤリと笑う。
「じゃあ、その旋律とやらを聞かせとくれよ」
「へっ?」
不敵に笑ったのに見事に崩れてしまった。
「だーかーら、弾いてくれって言ってるんだよ」
聞こえないのかい?と首を傾げて尋ねられるほど間抜けな顔だったのだろう。
「いや〜。昔は弾けたんだけど今は無理だ」
キッパリ言い放つと、しいなは不思議そうに見つめていた。
「良く言うだろ?ピアノは毎日弾かないと指が動くなるって」
弾いて失敗したら格好が付かない。そんな姿をしいなが見たら馬鹿にされるに決まっている。
「そんなの弾いてみないとわからないじゃないか」
「しいなはそんなにおれ様の華麗なテクニックが見たいわけ?」
「んなわけあるかっ!!」
「じゃあ、この話しは終わりな」
内心ホッとすると仕事に戻ろうと立ち上がる。
仕事とあればしいなも諦めるだろう。
「……ゼロスのケチ」
そう言ったしいなは、唇を尖らせ上目遣いでこちらを見ている。
その姿が愛しくて抱きしめたい衝動に駆られるがそんなことをしたら、殺される。
「わーったよ。但し、条件がある」
「変なことはお断りだよ」
当然のように釘を刺されるがそんなことは無視。
「今日、泊まってけよ」
「殺すよ!!十分、変なことじゃないか!!」
当然のように怒られるが、この言い分も却下。
「泊まってけとは言ったけど変なことするなんて言ってないだろ?」
ピアノ聞きたいんだろ?と付け足せば、しいなの負けは目に見えた。
「仕方ないねえ。明日もコッチで仕事があるし」
「そーか、そーか。そんなにおれ様とロマンチックな夜を……いっでぇっ!!」
「本当に殺すよ!!」
しいなの右ストレートが腹にめり込んだ。
「ゲホッ…しいなさん、手加減して…」
「早く弾きな」
腕組みをし、顎でピアノへと促される。
「へいへいへい。間違えても文句言うなよ」
填めていたグローブを外しソファに投げる。
「すごいねえ。初めてみたよ」
いつの間にかしいなはピアノに肘をつき手のひらに顔を乗せて嬉しそうに笑っている。
「そんなに見つめられるとキンチョーするんだけど」
「気にしないどくれ」
与えられた玩具が楽しくて仕方ないという風な顔で言われたら、流石のおれ様も張り切っちゃう訳で。
鍵盤に指を乗せ、スッと息を吐き旋律を奏で始める。
剣を握っていたとは思えない長くて白い指。
男性特有の骨っぽさでさえ、綺麗だと思ってしまう。
指が紡ぐ旋律は、ゆったりとした温かみのある音色。
顔を盗み見ると、いつになく真剣な横顔。思わずドキリとする。
音が止み、余韻だけが部屋に漂う。
「どうよ?なかなかだったろ〜?」
「あんたって本当に何でも出来ちまうんだね」
「まぁーなー」
しいなに感心されるのは悪くない。
「ねえ、もう1曲」
「えっー。おれ様疲れたー」
間違えないかとヒヤヒヤしていたから精神的に疲れたのだ。
「なあ、ゼロス頼むよ」
その様子は駄々をこねる子供のようだ。
「最後だからな」
惚れた弱みってやつなのか渋々了承する。
「ありがとう」
ニコリと笑う顔を見て、まあ喜んでくれるならと思いまた、ピアノと向き合った。