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気が付くと海のように広々とした草原に立っていた。
空は曇天。生温い風に吹かれて青々とした草のたてがみが揺れている。

(……夢を見てたんだ)

さっきまで京楽の腕に抱かれていたのに、今はひとりきり。ぬくもりが恋しくて京楽を呼んだが、うんざりするほど広い草原にはなまえを除いて誰もいない。

(京楽隊長はどこだろう…?)

不安に駆られて走り出した瞬間に体は鉛のように重たくなり、慌てて腰の刀を捨てた。
少し楽になったが、まだ動きにくい。
死覇装を脱ぎたくなって体を揺さぶると、薄花色の普段着へと姿が変わった。

すると、あたたかな日差しが降り注いだ。
体は羽のように軽くなり、駆け出した足が止まらない。

トキの分まで生き、平子に尽くしていくことが最適だと分かってはいるが、終わりの見えない場所を見据えて生きていくのは億劫だ。理想の生き方をなぞって進むのに、正直少し疲れていた。

(このまま何もなかったみたいに普通に生きていきたい…嫌なこと全部忘れてしまいたい)

立ち止まり、硬く拳を握る。
すると右手に柔らかな感触があり、開いてみると、そこには淡い桃色と白の鱗紋様をした繊細な作りの小ぶりな巾着が握られていた。
カミツレの香りが漂う巾着を見て、京楽の背中が自然と思い描かれる。包み込まれるようなあたたかさが肌の上に生々しくよみがえった。

(京楽隊長………)

これだけは捨てられない。
死覇装も刀も何もかも捨てられるのに、あの日京楽がくれた香袋だけはどうしても手放せない。

(……京楽隊長のそばにいたい…京楽隊長とずっと一緒がいい…)

百年もそばにいてくれて、一人にしないでいてくれて、安心させてくれて、名前を呼んでくれて、そばに置いてくれて………たとえ都合の良い女として扱われていたとしても受け取った安心感や安らぎは間違いなく事実だったし、京楽へ向ける感謝も愛も、紛れもない本物だった。
浦はそれを依存だと鼻で笑うだろう。
心の落ち着く場所を平子から京楽へ移しただけだとも言うだろう。
しかしそれは違う。惚れているからだ。言えないだけでずっと抱え続けていた感情だった。好きだと伝えるには長く関係を持ち過ぎているのも分かっているから宙ぶらりんでいるしかない。そばにいられるという点を支点として過ごしていくほかに道はないように感じられた。


+++


「なまえちゃん、早起きだね」
「京楽隊長……」
「寒くないかい?」
「んん…ちょっと寒いです」
「まだ夜明け前だ。もっとこっちにおいで」
「……あったかい」
「甘えてるのかい。珍しいねえ」
「いい夢を見たんです」
「そりゃあいいね。ボクにも教えてよ」
「…京楽隊長の夢でした」
「本当に?はは、照れるなあ…いい夢だよね?」


夜が明けたら戦いに行ってしまうはずなのに、声はそんな深刻さを全く感じさせない。頼り甲斐がある。この人は大丈夫という安心感もある。それでもまだ不安が心に残るのは、かつて最も信頼していた平子がいなくなった事実があるからだ。なまえはきつく目を閉じて京楽の胸に頬を寄せた。二人を比べないように気をつけていたが、今回ばかりはどうしようもない。

私を置いていかないで。
私の世界からいなくならないで。
お願いだから絶対に無事で帰ってきて。

カミツレの香袋を探す手を取られてしまい、指を絡め合って夜明けを待った。



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