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拍子抜けするほど、平子がいなくても生きていけた。
周囲から見れば吹っ切れたと映ったのだろう、この頃になると『もう大丈夫そうだね』と善意の太鼓判を押されることが増え、そのたびに襲いかかる凄まじい罪悪感に悩まされていた。
平子がいなくても生きていける。
いつのまにか夜が来て朝を迎え、空腹にもなるし眠くもなる。仕事を覚えて片付けて…。平然と日々を生きる自分が、許せなかった。
そんな折、複数の隊の合同で行われる演習で顔を合わせた市丸が『みょうじちゃん』と声をかけてきた。


『おんなじ班やなくて残念やわ』
『そうだね。そういえばこの間昇格したって聞いたよ。すごいね』
『もう平気なん?案外薄情やね』
『…え?』
『隊長サンのこと』
『…市丸くん』
『いややなあ、別に責めてへんよ。吹っ切れて何よりや』


この場にもし浦がいたら前と同じように市丸を注意しただろうし、事情を知る八番隊の隊士がいてもそうしただろう。しかし生憎この場には付き合いの浅い者たちしかおらず、なまえはじっと立ち尽くしたまま放心していた。


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瀞霊廷の図書館は上長の許可さえあれば深夜利用も可能である。申請一覧表に再び連なるなまえの名前を見かけ、京楽は顔をしかめた。
行燈が灯る図書室の奥になまえはいた。座り込み、あの名簿を眺める目は、まるで試験前の学生のように必死だった。病的にも見える。京楽は、彼女を移動させた藍染はやはり正しかったと笠を傾けた。


『こんばんはなまえちゃん。夜更かしはよくないよ』
『…京楽隊長……』
『前にも言ったけどきみはもう八番隊なんだよ。そんなに不満かい。さすがのボクも傷つくな』
『…どうして私に構うんです』
『心配してるんだよ』
『つ、次は藍染副隊長に何て言われたんですか?可哀想だからよく見てやってと?気の毒だから?』
『惣右介くんはそんなこと言わないでしょ。分かってるくせに』
『…迷惑なんてかけてないはずです』
『そう自棄になりなさんな』


手元から奪った本を棚に戻すと、なまえは激しくうろたえた。


『京楽隊長っ…!』
『こんなもんに頼らなくたっていいじゃない。何がそこまで不安なんだい?』
『だって忘れちゃう、平子隊長がいないことに慣れちゃう…』
『なまえちゃん…』
『どうしたらいいか分からないんです。自分でも分からなくて…誰かに全部指示されたい………。従っている間は…何も考えなくていいから』
『忘れろと言われたらそうするって?』
『…それは……』
『今のは意地悪だったね』
『平子隊長のこと、忘れた方がいいのは分かってます。でも、できないんです…。私、どうしたらいいんだろう…』


中途半端に傷つくくらいなら忘れたらいいのに。それができないなら信じて待ち続けたらいいのに。はっきりしない態度をかわいそうだと思うより───なぜそこまで平子にこだわるのか共感しかねていた。
自分がここまで目をかけているのにどうして。
必要としているのになぜ。
京楽にその自覚があったかはわからないが、ある種の嫉妬のようなものだった。


『…京楽隊長……?』


包み込むようにして両頬に触れる。自然と顔を上げたなまえの目尻は、涙でしっとり濡れていた。


『きみが心配だ。必要以上に自分を追い込むきらいがあるね。悪い癖だよ』
『隊長……』
『現実の話をしようか。平子隊長はもういない。それなのに待ち続けて傷つくきみを、ボクは見るのがつらいんだ』


京楽はこのとき、ほとんど無意識のうちになまえの唇に口付けをした。女の慰め方ならよく知っている男だ。今まで多くの女から寂しいつらいとぬくもりを求められてきてもいる。しかし自分から求めたのは記憶になく、このときのキスだって、京楽の方が驚いていたぐらいだった。


『んんっ…京楽隊長、わ、私…』
『もう少しこのまま…だめかな』
『…隊長……』


涙できらめく瞳にようやく自分の姿が映った。うつくしい黒目の中に平子はいない。その事実がたまらなく心地よく、なまえを抱きしめてその唇を甘やかした。近づくとカミツレの匂いが漂い、ああ使ってくれているのだと分かった瞬間、京楽の喉元がかっと熱を帯びた。
なまえはなまえで、突然のことで頭が働いていない上に相手はあの京楽春水なので、ただただどきどきと落ち着かないでいた。
頭の中から平子のことが抜け落ちたのは、あの日以来初めてのことだった。



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