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それからのなまえは、目も当てられないほど悲惨だった。
簡単な雑務ですらミスを連発し、虚討伐においては仲間との連携不足のために負傷が絶えず、声をかけてもろくに返事もなく、任された仕事のほとんどが手付かずのまま。そんな調子なので隊内の立場や評価は目に見えて悪化した。
もちろん藍染はそんな部下の様子に心を痛めていたが、彼も彼で膨大な業務に追われていたため、声をかけてやることもできないできた。

平子の失踪から、三ヶ月が経とうとしている。

昇格試験を控えたある日、五番隊会議で七席の男が手をを挙げた。


『藍染副隊長、次の異動でみょうじを四番隊に行かせてやってくれませんか』
『治癒霊力がないというわけではないから悪い話ではないけど…彼女の心をを思えば賛同しかねるな』
『お気持ちは分かります。俺も同じです。しかしさすがに、最近は目に余ります』
『僕は本人の意思を尊重したいと思っている』
『あいつ、そのうち自滅しますよ』
『………』


救護・補給といった後方支援を専門とする四番隊には、トラウマを抱えた者や戦闘が不得手ないわゆる「使いものにならない」者が行き着く場でもあるというのが多くの隊士の認識でもあった。
なまえがそこへ異動するのは道理にかなっている。現状維持は本人にとっても周囲にとっても酷だと全員が感じ取っていた。

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───八番隊隊首室。

京楽は広々としたソファに横たわり、白々と明ける夜を眺めていた。


『参ったねえ……どうも…』


寝ずに朝を迎えるのは何度目だろうか。酒器をしまい込み、二日酔いに痛む頭を抱えて四番隊を訪ねた。看護師に飲み過ぎだと注意されるのは憂鬱だが、気にかけてくれる存在を求めている自分の弱さは酒で誤魔化す以外どうしようもない。京楽はこの頃、少し、自棄気味でもあった。
結果は誰にも分からなかった、考えても仕方がない───思い悩む日々に比例して酒の量が増えていく。それを咎める部下は、あの夜消えてしまった。
詰所は早朝にも関わらずなにやら騒がしく、よく聞くと誰かが怒鳴っている風だ。朝から勘弁してほしいと中を見ると、男性死神が目の前の女につかみかかる勢いで息巻いている様子が見えた。肩から手首にかけて包帯を巻いた男は、相当ご立腹だ。


『どうしてくれんだよ!』
『…すみません……』
『てめえのせいでこうなったんだ、ふざけんじゃねえぞ!』
『……すみません…』


どうやら虚討伐の際に女が誤って男を斬りつけてしまったようだ。来週に控えている昇格試験には確実に支障をきたすであろう手痛い負傷だ。
二人の周りをぐるりと取り囲むのは、同じ隊の死神達だろうか。誰も言葉を発しないが、全員、宥めることも庇うこともせず非難めいた眼差しで女を睨みつけていた。
頭に血が上った男は拳を振り上げ───振り下ろすより先に京楽が動いた。


『こらこら、女の子に乱暴しないの』
『っ…こいつが俺の腕をっ……』
『なんだいなんだい、ちょっと斬られたぐらいで。腕はまたくっつくよ。痛けりゃ薬もらおうか。看護師さん呼んであげるから…ああ、いたいた。おーい…』
『救護詰所で騒がないでください!追い出しますよ』
『いやあボクはちょっと薬を……』
『またですか!全く、京楽隊長はいつもいつも!』
『は、ははは…』


タイミングよく駆けつけた看護師たちは鋭い目つきで全員を睨みつけ、関係ない者は出ていけと声を張った。


『また叱られちゃったよ…あれ?きみ、この前の』
『……京楽隊長』
『大丈夫かい?顔色が………』


騒ぎを聞きつけたのか、藍染が慌てた様子で入ってきた。睡眠もろくに取れていないのだろう、彼も彼で顔色があまり良くない。


『みょうじくん。大変だったね。もう戻りなさい。…京楽隊長、お騒がせして申し訳ありません』
『ああ、惣右介くん。大丈夫、いいんだよ。大変だったね』
『ええ。指導不足で情けない限りです』
『五番隊は今忙しいだろう。ところであの子大丈夫かい?ふらふらだったよ』
『みょうじくんは…そうですね、あの一件以来落ち込んでいます。平子隊長を慕っていましたからね』


そうそう、そんな名前だった。
しかし記憶の中から引っ張り上げた彼女と今の彼女とでは、うまく繋ぎ合わないほど様子が違う。血色のよかった頬は青白く、きらきら輝いていた瞳は暗く、隈さえできている。晴れやかだった声も萎んで、一切の感情が乗っていない。上官を失ったには過剰すぎる落胆だ。
京楽は藍染に耳打ちした。


『もしかして平子隊長と恋人だったりしたのかい』
『平子隊長と?まさか。入隊したばかりの頃、平子隊長に支えられて心強かったのだと思います。頼り甲斐のある方でしたからね。それでは、僕はここで失礼致しますね』
『きみもほどほどで休むんだよ』
『京楽隊長こそ、お酒はほどほどにしてくださいね』


力なく微笑んだ藍染の顔は、疲労の色が染み付いていた。
何度聞いても覚えられなかったなまえの名前を強く意識したのはこの時だった。大好きだった上官を失ってどん底に沈んだなまえと、信頼のおける副官を自らの過ちによって失った自分と。共通点というには細すぎるかもしれない。同じではない。分かっている。分かっているが、放っておくにはなまえを知り過ぎているのも事実だった。


『………さて、どうしたもんかねえ』


翌月、なまえに八番隊への異動が告げられた。



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