▼ ▲ ▼

みょうじなまえは平子真子にとって記憶に残るような部下ではなかった。

その年の卒業生たちは粒揃いで『豊作の年』などと呼ばれていて、とくに浦松洞をはじめとした上位の者の中には既に斬魄刀の始解までを修めた者たちが多くいたため、入隊前からその噂は護廷隊の隊長格にまで及んでいたという。
中でも霊術院を首席で卒業した才女がなまえと同じく五番隊へ入隊したのだから、平子真子の関心はむしろそちらへ向いていたほどだ。真ん中より少し下の成績で卒業したなまえは可もなく不可もなく平凡で、本当にどこにでもいるような素朴な存在だったのだ。

前原トキは物覚えも良く優秀な少女だった。

にも関わらず実力を鼻にかけたりはせず、よく人に尽くす前向きな性格のために多くの人望を集めた。
そして彼女は学生の頃から平子に憧れを抱いていたので念願叶ったときの喜びようといったらなく、配属当日の朝、平子を前にしたトキは乙女のように頬を薔薇色に染めて落ち着かない様子だった。


『前原トキです。平子隊長に憧れているので、五番隊に入れてとても光栄です』
『よかったですね隊長。変わった子ですけど』
『一言多いで惣右介。ま、そない肩に力入れたかて何もならんから気楽にしィ』
『では次の方───…………』
『見た?いまの!』
『うん。藍染副隊長かっこいいね』
『平子隊長と目が合ったのよ!』
『私も藍染副隊長とアイコンタクトしたい』
『聞けよッ!』


───あんなペラペラな男の人のどこがいいんだろう。
───髪の毛も結んでないし、もう少しきちんとしたらいいのに。

なまえが平子に抱いた印象は、そんなものだった。

夏が過ぎた頃、各隊の新入隊士たちに現世での虚討伐任務が言い渡された。
五番隊からはトキをはじめとした成績優秀者上位五名が選出され、当然自分の名前はなかったが、それでもなまえは今でもよく覚えている。

新人の中でもひときわ目立ったトキの清々しい笑顔。
斬魄刀の柄を自慢げに撫でる白い指。
長い髪をひとつに結んだトキは、熱意にみなぎっていた。


『今から行くの?』
『うん。終わったらすぐ帰ってくるんだけどね』
『がんばってね。でも気をつけてよ』
『頑張ってくる。功績残せたら平子隊長に表彰してもらえるんだって!』
『平子隊長に?』
『うん。だから頑張るの。なまえも早く一緒に任務できるようになろうね』
『まずは刀の解放できるようにならないとなあ……あと別に平子隊長はそこまでかっこよくないと思うよ』
『あんた見る目なさすぎでしょ』


これが彼女と話をした最後だった。

トキは右半身を虚に食い尽くされた凄惨な状態で無言の帰還を果たした。
若い少女の死を悼んだ先輩たちによって美しい化粧が施されていた顔は、声をかけたら、揺さぶったら、すぐに目を覚ましてくれそうな生気すらあった。それでもなまえが駆け寄れなかったのは、シーツに包まれたトキの身体が歪に凹んでいたからだ。


『エライ調子悪いんやってな』
『………お疲れ様です。悪くなんてないです、大丈夫です』
『さっき裏で吐きよったくせによう言うわ』
『吐いてません。一回出したけどちゃんと飲みました』
『女の子がゲロ飲みなや。どういうこっちゃ』


数日後、稽古を終えたなまえがひとりで道場の片付けをしていると、平子がずかずかと上がり込んできた。
隊員からトキが亡くなったことを相当重く受け止めているらしいときいて顔を見に来たのだが、そこにいたのは想像以上に青褪めた顔と痩せこけた体で重たそうに木刀を握る女の姿だった。誰もが通る道といえばそうだ。通過儀礼ともいえる。しかしそれでも、平子は放っておかなかった。

新人の死神は面食らっていたのだ。

誰かが死んだ次の日が当然のように訪れるのも、先輩たちが慣れたように墓を建てて手を合わせるのも、あまり気に留めるなと慰められるのも、不思議だったし、嫌だった。それでも自分は死神なのだからとどうにか奮い立たせたが、落ち込むべき時に妙な意地を張ってしまったなまえは気持ちの行き場を失くして長く混乱していた。

平子は変わらず間延びしたトーンで続ける。
なまえはどこか睨みつけるように平子を見据えた。


『しんどいやろ。休んでも誰も文句言わへんで』
『休みません』
『意外と意地っ張りやん。ま、エエならエエけど。ちゃんと周り頼らなあかんよ』
『………どうやって!』


まるで他人事のようだ。投げやりな言い方に怒りを覚えて力任せに叫んだが、喉から込み上げた声は掠れて、小さくて、自分で思う以上に痛々しい。
平子と直接話すのは初めてだったが、第一印象はあまり良くなかった。
新人気分が抜けきらない幼い気持ちのまま、隊長ならトキの死をもっと重く受け止めるべきだと絶叫したくなったが、言いたいことが多すぎて喉が渋滞を起こし、頭痛がした。しかし頭を整理する余裕はなかった。


『だってこんなのみんな経験してることじゃないですか、よくあることって、先輩言ってました。よくあるからいちいち気にしちゃいけないって!だから私も気にしてません、だって誰かに話したってどうせ誰も分かってくれないし、一人で何とかしますっ。あなたたちには分からないでしょう、分かってくれないくせに………』
『よくあってたまるかい。誰や、そないなこと言うた奴』


無責任やなあ。誰なん、言うてみ。

平子は冷めた落ち着きを浮かべているが、しかしその目の奥には鋭い気迫があった。入隊初日、ヘラヘラとしていた男の影はどこにもない。


『理解されへんって腐るより先に頼らんかい。俺でも誰でも、おるやろ誰か。オマエみたァな新人が意地張ったところでどうにもならへん。うちの隊、そない駄目か。頼られへんか。トキちゃんひとり守られへんかったし、そらあかんわなァ』


平子の口からトキの名前が出たとき、それまでずっと我慢していたのに、もう、だめだった。
名前を呼ばれたと顔を赤らめて喜ぶ少女の声はどんな響きをしていただろうか。
五番隊に入れたことを誰よりも喜び、死覇装を大切そうに握りしめた手の色は。
出立の日、平子に褒めてほしいという一心で現世へ向かった優秀な同期の横顔は。
有望な子だった。
あんなところで死ぬべき子じゃなかった。
自分のように代わりのきく者ならまだしも、トキのような優秀な子が死ぬなんておかしいじゃないか…………。

さまざまな気持ちが濁流のように押し合い、ひしめき、涙となって血色の悪い頬を滑り落ちる。
平子は一息ついて、慎重に続けた。


『気にせなあかんし、死ぬまで引きずったってエエ。せやけどそれで自分が駄目なったら本末転倒やで。しんどぉてアカンから話きいたってくださーい、言うたらエエんや。かわええ子の涙拭きたい奴なんかいっぱいおるで。
それでええんや。それでええ。なまえは何も間違うてへん。
俺らかて完璧やないんやから、トキちゃんの為に泣いたらなあかん』


入ったばかりの隊員の名前を、平子ははっきりと呼んだ。胸を突かれる思いがする。それと一緒にぬくもりのある言葉が折り重なってなまえの胸にすとんと落ちた。今置かれた苦しい状況も、飲み込みきれない現実も、切り離された心と体の不明瞭さも、平子の言葉で全てが丸く収まってゆく気がした。
細い声の割に含蓄がある。
説得力がある。
妙な心強さがある。
こういう時のために、普段からへらへらと軽薄な振る舞いをしているのかもしれないと思った。


『覚えてていいんですか?忘れなくてもいいんですか?私ずっと落ち込みますよ、乗り越えられない。乗り越えたくない………』
『忘れたァあかんで。忘れんと一緒に抱えて進まんとなァ。やってけそうか?』
『………たぶん』
『せやったらもうゲロ吐きなや』
『吐いてません』
『ウソつけ』
『………お腹すいたんで帰ります』
『ほな何か食い行こか。俺の奢りやで』
『えっ!』
『なンにする?』
『サムギョプサル』
『さ……………何やって?』


死んだ彼女が平子を慕っていた気持ちに少しだけ寄り添える気がした。
ああ、わかる、平子隊長たしかにいいよね、ちょっとだけだけど、なんかいいね、好きじゃないけどね、頼りになるね、こんな形で知りたくはなかったけど。

窓から差し込んだ夕陽が、平子の髪をきらきらと照らしていた。



- ナノ -