「別れませんか。そもそも、付き合ってたかどうかもわかんないんですけど」
「そうっスか。残念」


ほんの少しでも動揺してくれたら報われたのに、彼は胸に抱えたバインダーにすぐさま視線を落として作業に戻ってしまった。ちっとも残念そうじゃない残念だ。縋りつこうとした惨めな思いは、改めて、やっぱり、きっぱり、断ち切られてしまう。
好きだと言ったときもこんな感じだったなあ。普段と何も変わらない様子で、でも、声だけは少し冷めていた。

───愛してるなんて、言ってあげられませんよ。

告白の日、浦原さんは確かにそう言った。了承したのは私だった。もっと優しいことを言ってくれたらいいのにと拗ねるより先に、私のこと好きなの?いつから?これっていいってことなの?………そして彼は宣言通り愛の言葉などひとつも吐かず、手も繋がず、私たちは以前と変わらない店主と客という関係のまま今日を迎えていた。
でも、問題はそこではないのだ。
そんなもの、私は全く気にしなかった。
むしろ浦原さんが表も裏もない人だと思えて好感度がますます上がるだけだったし、内緒でチョコレートをくれたりとか家まで送ってくれたりとか、そういう些細な特別が私を馬鹿みたいに舞い上がらせた。
私が浦原さんのことをなにも知らないということが、いけなかった。
何が好きかも何が嫌いかも、私のこと本当はどう思ってるかも、これまで付き合った人数も、出身地も、……なにも知らない。そんなことは大したことないと思っていた。付き合えたことに比べると些細なことだとも思っていた。
だけど、やっぱり、何か違った。
彼は誤魔化すのはとても上手だったけど、直感で生きている私からすれば猜疑心が増すばかりだったのだ。好きな人を疑うのは、想像以上に、苦しいの。
味気ない別れに拍子抜けしたのも束の間、浦原さんは急に私の方を向いた。


「なまえサン」
「あ、はい」
「1週間…いや、5日待ってもらえません?」
「え?5日?どうして?」
「いいじゃないっスか、そのぐらい。あなたの中での結末は変わらないんだから」
「……でも」
「アタシからのお願いっス。ね」


備品整理のチェックリストから顔を上げた浦原さんは、お茶でも飲みますか、なんて言う。ほらこういうところ、置いていかれた私の気持ちが、落とし所を探している。それはとても虚しいことなのだ。


「…なんで5日?」
「それだけあれば十分です」
「十分ってなにに?」
「やだなあ、アタシのこと振りに来といてずけずけ言っちゃって。ひどいなあ」
「……だって、浦原さん、私のこと、別に好きじゃないでしょ」
「言ったでしょ。愛してるなんて言ってあげられないって」


愛してくれとは言わないが、と思う。そんなに欲張りな女ではないはずなのに、浦原さんを前にするとさまざまなものを欲しがるから、結局私は強欲な人間なのだ。
駄菓子の積まれた棚の下にあるストッカーを開けて、閉めて。浦原さんは再び私と向き合った。


「待てます?5日」
「…5日後、またおんなじこと言いますね」
「はいはい。分かりました」
「じゃあ帰ります。お茶は結構です」
「送りますよ。日が長くなったとはいえ、まだ暗いですから」


いいです、そんな。拗ねた気持ちが嘘つく前に、素直な私はやっぱり嬉しかったようで、じっと立ち止まって浦原さんを待っていた。

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