鼓動

阿散井恋次
 ことり、ふいに机上に置かれたお湯のみに、心当たる人物にお礼を言って、ふと思い至って筆をとめた。彼女は今日、午後休の届出が出ていたはずだ。けれどもその湯気からは私の好きな茶葉の香りがしている。少し特別なその茶葉の在処は彼女と私しか知らないはずだ。

「まーだやってんスか」
『れっ、……じゃない、副隊長』

 言い直す必要ねえのに、と恋次くんが不貞腐れたような顔で椅子を引き摺って目の前に座る。死神歴と院生時代でいうと後輩である恋次くんが、呼び方一つにこんな風にこだわるようになったのはいつからだったろうか。

『そんなこと言ったって、上司なんだから当たり前じゃないですか。け、じ、め、です。あ、お茶、有難うございます』
「上司……か」

 頬杖をついて独りごちる恋次くんを残して、お返しをと給湯室へ向かった。急須に新しい茶葉を入れて、まだ熱いやかんのお湯を回し入れると、ふんわりといい香りが立ちのぼった。棚にあった四角い缶の中から適当に茶菓子を頂戴して、お湯のみと一緒にお盆へ乗せて席へ戻ると、恋次くんは机に突っ伏している。

『………副たいちょー。お茶ですよー。お菓子もありますよー』

 返事もしないまま、顔も机に突っ伏したまま、恋次くんは無造作に茶色い包みを机上に置いた。包みの紋を見ればその中身がたい焼きだということはすぐに分かった。

『え!もしかして、これ、差し入れですか!食べても!?』
「どうぞ」

 漸く顔をあげた恋次くんにお礼を言って、すかさずその包みをあけた。そして一つ、手に取ろうとしたところで、恋次くんが私の手を止めた。

「はい。こっちがつぶあん。で、はい。こっちがくりぃむ」
『わぁ、副隊長直々にこんな…!なんて贅沢者なんだろう私。バチとか、当たったりしないかな』

 背伸びして戸口の方を一応確認してみたけれど、誰かの気配もなさそうだ。所謂バチ、というのは私にとっては迷信的な意味合いではない。恋次くんは人気者だ。副隊長なのに副隊長っぽくない。朽木隊長の厳格さを前にしても、そのざっくばらんな物腰でその場の雰囲気を柔らかくしてしまう。今だって非番の日に、こんなところへぶらりと着流しのままやってきて、暇を潰している。こんなところをもし誰かに見られたら、恋次くんの言動一つ一つに一喜一憂している女の子達に知られたら、きっとまた変なやっかみをくらうことになるだろう。

『今日は一日、何してたんですか』
「今日?えーっと、昼すぎに起こされて、たい焼き食いながらだらだらしてたら寝落ちして……。んでもって、また叩き起こされて、たい焼きも無くなったし大通りまで買いに出て、ブラブラして、今帰りっス」
『……それはそれは有意義な一日でしたねぇ』
「思ってねえだろ、絶対」

 そうして恋次くんは今日一体何個目かのそれにまた頭からかぶりつく。餡がたっぷりと詰まってずっしりと重いたい焼きも、恋次くんが手にするととても小ぶりに見える。
 定時もとうに過ぎ、疲れた身体はかなり甘いものを欲していたらしい。遠慮もくそもなく、早々に平らげてしまった。

「で、いつまでやるんスか、それ」
『んー…、明日の分まで』
「明日?」
『うん。明日、お休みもらってるから。あ、ちゃんと届出はしてますよ』

 初めて聞いたような顔をするので、念を押しておいた。恋次くんは何か言いたげに口を動かしたけれど、続く振動音に気付き伝令神機を懐から取り出すと、執務室から出て行った。そういえば、先程机に突っ伏していた時も、包みを出す前は伝令神機を握っていた。なんとなく、その相手は今日恋次くんが起こされた、という人物のような気がした。恋次くんはとても人気者だ。それなのにてんで浮いた話が聞こえてこない、否、皆が踏み込めない理由がそこにあるのだ。
 再び書類に筆を滑らせて終わりの目処がついた頃、恋次くんがすんません、と言ってまた目の前に座った。何に対してのすんません、だろうか。席を外したことに対してなら、全くの的外れだ。そもそも非番な恋次くんがどこで何をしてようが一向に構わないのだから。

『もうそろそろ終わります』
「あー、そうか。で、さっきのは」
『……さっき?』
「あぁ。明日、休み、って。その、何か、用事?」
『あー、はい、まぁ。ちょっと』

 なぜ自分でもそんな曖昧な言い方をしたのか分からない。有休についてのお達しがあってから、周りと都合をつけられたのが明日だったというだけで、故に正直、何の予定もない。強いていうなら、読みかけの小説を最初からゆっくりと読み直そうかな、程度だ。とれと言われてとるんだから、後ろめたいこともないし、用事があるような素振りを見せる必要なんてないのに。休みだからと満喫したくなるような好きな食べ物も、行きたい場所も、休みの日にわざわざ起こしてくれるような大切な人も、私には無いのだ。もしかすると、私は、恋次くんにそんなつまらない奴だと悟られたくなかったのかも知れない。

「それって、その、あれ、……デート、とか?」
『さぁ、どうでしょうねぇ』

 性懲りもなく、そんな見栄を張って吐いた言葉はきっと明日私をより一層虚しくさせるだけなのに。というかもうすでに虚しい。そんな気持ちを誤魔化すように鼻唄まじりに後片付けをして、その間も恋次くんはずっと同じところにただ座っている。まだ帰らないのかとちらりと盗み見ると目があって、恋次くんが何かを言いかけた時、今度は先程よりは短い振動音が響いた。溜め息を吐きながら恋次くんは伝令神機に目を落とすと、素早く釦をたたいてパチリと閉じた。

「椿姫さん、あの…、」
「十三番隊、朽木です!失礼します!」
「っ!?ルキア…!?」
「恋次!!貴様、いつまでもたもたとやっておるのだ!」

 しんとしていた廊下の方から、足音が急に近付いてきたと思ったら、戸口から現れたのは朽木さんだった。借ります、とこちらへ告げて恋次くんの首根っこを掴むと、あの巨体を引っ提げて出ていってしまった。やはり伝令神機の相手は彼女だったんだ、と一人納得して先程まで恋次くんが座っていた椅子を元に戻していると途端、また虚しさが込み上げてきたような気がした。

『え、どうしたの?忘れ物、……も、なさそうだけど』

 名前を呼ばれて、振り向けば息を切らした恋次くんがそこにいて、帰ったかと思った、としゃがみこんだ。借ります、ということは返します、ということなのか、朽木さんの言葉がひっかかって一応暫くは待ってみたのだ。けれども、いつまで待つべきなのかも分からず、いい加減帰ろうと順番に電気を消したところだった。

『あの、戸締まりならちゃんと分かってますよ。初めてじゃないし。大丈夫です。あとは給湯室寄って、これ片したら帰ります』
「あ?いや、そんなことはどうでもいいんだけどよ。………今日、このあと、とか、何か、予定とか、あったり、するのかなぁ、とか」
『このあと、ですか?』

 そんな風にしどろもどろになりながら予定を聞くなんて反則だ。何かを勘違いしそうになるのと否定を一瞬で頭の中で済ませると次の言葉を待った。

「ああ、いや、あいつがさ、椿姫さんと仲良くなりたいから、一緒に飯でもって。ああ、俺ァ、もう時間も遅めだし、椿姫さんも明日も予定あることだし、無理に誘うのは……、って言ったんスよ。けど、あいつがどうしてもってゆうからよ」

 ほら、どんな勘違いだって?一瞬でもよぎった自分が恥ずかしくなって下を向けば、その拍子に持っていたお盆まで力なく下げてしまって、お湯のみが床に転がった。慌ててそれを追ったら今度は躓いて、自分が転んだ、と思ったら、がっしりとした恋次くんの胸に抱き止められていた。

『ご、っごめんなさい!』

 すぐに離れようとしたけれど、恋次くんの腕はまるで大切なものを包み込むような力加減で私を抱き締めている。

『あの、もう大丈夫ですよ。副隊長』
「……副隊長じゃねえよ。敬語もいらねえ」

 あぁ。どうしてそんな風な声を出すのか。どうして呼び方一つにこだわるのか。どうして私の好きな茶葉を知っているのか。どうして休みの予定を聞きたがるのか。どうして私を抱き締めているのか。恋次くんには大切な人がいるんじゃないのか。

「さっきの嘘っス。ただ俺が椿姫さんと、隊舎以外で会いたいだけ」
『………だって恋次くん、朽木さんは』
「俺が根性ないから、その……、もし断られて、気マズくなんのとか嫌だしって、けど何か椿姫さんもしかしていい人いるのかな、とか焦って、まぁでもとにかく、あいつに尻叩かれまくって漸く、今言えたわけなんスけど。カッコ悪くてすんません」
『そんな、だってご飯くらい、いつでも行くのに』
「マジかよ!んならもっとこう、そういう雰囲気とか出してくれよ」
『そういう雰囲気、って、どんなの』
「え?いや、こう……、いや、分かんねえけど!とりあえず!このあと!じゃあ飯、行ってくれるんスね?」

 私を抱き締めたまま恋次くんが言うから、この広い胸の奥で高鳴る鼓動は私のせいだと自惚れたくて、もう少しここに居たい私は、返事をしなかった。



(了)



恋次ってなぜか年下なイメージ。
可愛い後輩くんでした。わんこ。

(余談)護廷の福利厚生って実のところどうなんでしょうね。


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