事実は小説よりも奇なり

斑目一角
 第一時帰宅ラッシュも過ぎ、客足も途絶えた店内には聴き慣れた軽快な音楽と、同時に口ずさめる程に覚えてしまったアナウンスが響いている。手持ち無沙汰に陳列棚の雑誌の上ではたきを振るいながら、窓に映るどこか生気の無い自分の顔も見飽きた。
 学生時代から惰性で続けているコンビニのアルバイトとアパートの往復。趣味といえば読書、映画鑑賞、履歴書に書くにしては無難すぎてきっと目にも止まらない。そしてもう一つ、小説を書くことなんてのは、そのまま趣味に留めておけば良かったものを、学生時代にたまたま目に止まった月刊誌の、それはそれは小さな賞に応募して、たまたまその内の特別賞にかかってしまったばかりに、それだけを頼りにして今日まで定職にも就かずに、もう何十回と日の目を見ることの無かった原稿の代わりに、厳しい現実を目の当たりにしてきた。
 
「椿姫ちゃん、ゴミ頼める?」
『はーい』

 負の思考を絶ち切るように店長から声をかけられて、新しいゴミ袋を持って外へ出たら生ぬるい風が肌に纏わりついてきた。
 店のすぐ外に並んだゴミ箱の中からは、近所のファストフード店の紙袋が幾つも覗いている。注意書きなど何の意味も為していないこれもいつもの光景、なのに今日はやけに苛立ってしまう。
 そして人が店に関係の無いゴミ処理をしてやっている側から、これと同じファストフード店の空き容器が足元に転がってきた。何がそんなに楽しいのか、さっきから大声で喚く連中をちらりと横目で見やれば、その足元には幾つもの煙草の吸い殻が落ちていた。
 ポイ捨てがよろしくないのはもちろんのこと、一層不味いのはこの集団が明らかに制服姿だということで。若気の至り、私服ならまだ見て見ぬふりも出来たかも知れないけれど、幾ら店で買ったものではないとはいえ、店の前で未成年が喫煙してるのを見過ごすわけにもいかない。

『あのー!盛り上がってるとこごめんね。君たち高校生だよね』
「あァ?」
『さすがに制服でタバコ吸っちゃうのはどうかなぁ』
「大丈夫大丈夫」
「このへん見回りとか来ねえし」

 そういう問題じゃ無い、と言いたいのを堪えて微笑みを携える。だてに長年ここで働いてるわけじゃないから、こういう輩はとにかく刺激しないのが鉄則だということは心得ている。

『でも万が一ってこともあるし、何より体に悪いしねぇ、煙草は』
「上等だっつの」
「つかアンタに関係ねえだろ」
「うぜー」
「おばさん、早く仕事しろよ」

 小馬鹿にしたような物言いで新しい煙草に火をつける輩には、さすがに口元が強張った。回収したゴミ袋をこの不良共の頭上へとひっくり返してやろうかという物騒な衝動はなんとか抑えたけれど、思わず漏れた舌打ちが一人の耳に届いてしまったらしい。
 結構な速度で何かが顔横を通り過ぎ、すぐ後ろのゴミ箱がガコンッと鈍い音を立てた。制服と自前のジーパン、それから最近おろしたばかりのスニーカーに、飛び散ったその物体の中身とおぼしき液体からは仄かにグレープの香りがした。

「てめえ今舌打ちしたろ」
「ギャハハハ!おばさん、固まってンじゃん」
「容赦ねーな」

 何が起こったか解らず一瞬呆然として、耳障りな笑い声が辺りに反響した。次第にこみ上げてきた怒りで震える手で、転がるペットボトルを握りしめた。それを投げ返してやろうと不良共を見据えた時、それを投げてきた張本人である少年が突如として頭を抱えて倒れ込んだ。

「何やってンだ、てめえら」
「女性相手に大勢で乱暴かい?美しくないね」

 日も沈みすっかりと暗んでいた視界から、外灯の下へと姿を現わした二人の人影は、少年というにはあまりにも纏う雰囲気が大人びていた。いや、一口に大人びていると言うだけでは収まらない何かがあったけれど、不良たちと違う形とはいえこちらも制服姿であるところを見ると高校生らしい。
 スキンヘッドに、目元を飾った美形なんていう見た目にインパクトのありすぎる二人には、私を含めその場に居た全員が言葉を失っていた。

『木刀……』

 怒りもすっかりと引っ込んで、冷静になった私がぽつりとこぼした言葉に、不良たちが騒ぎ始めた。
 見事クリーンヒットしたんであろう木刀を拾い上げたスキンくんがかかってこいとばかりに不良たちを誘う。

「なめてんじゃねえぞッこのハゲ!」
「ハゲじゃねえッ!!」
『ストップ!!!』

 律儀にも不良少年の頭上寸でで止まった木刀を手にしたスキンくんが、訝しむように私を見た。面と向かうとさらに厳つく威圧感にみちた表情に、淀みつつも何とか声を絞り出した。

『えっと、武器はやめません?』
「……何?」
『いや、その、プロですよね……?色々マズいんじゃないかと』

 格闘技や武道の心得なんて無いし、その手に関してはまったくド素人の私にでも察せられる程に、その木刀の扱いはとても鍛練されたものに見えた。この辺りの高校生で名を馳せるスポーツ選手なんて心当たりもなかったけれど、思わずそう口から出てしまった。

「確かに。丸腰の人間ガキ相手にこりゃァ必要ねえな」
『え?』

 よ、と軽い調子で投げて寄越された木刀を受け取れば、ボキボキと指を鳴らしたスキンくんが愉しそうに歯を見せる。
 横に並んだ美形くんに微笑まれ、少し下がろうかとエスコートしてもらったのはいいけれど、さっきは自分もカッとなって思わずやり返しかけたとはいえ、このまま大人として少年たちのやり合いを傍観していていいのか、とものの二、三秒間熟考して、やっぱり止めようという結論に至った。

『私もう大丈夫なので!やめ……』

 皆まで言う前に、腰を抜かせた仲間を引き摺りながら不良少年たちは早々に退散していった。スキンくんや美形くんが纒っている只者ではない雰囲気を彼らも十二分に感じとったに違いない。
 何だ、と面白くなさそうに舌打ちをしたスキンくんに木刀をお返しして、ありがとうございました、と一礼した。木刀を肩に掲げながら、お安い御用だ、と向けられたその笑顔は、不覚にも、高校生じゃなければ恋に堕ちていたかも知れないと浅はかにときめいてしまう程、格好良く見えた。

「それにしても根性の無ェ奴らだな」
「あんまり目立つと叱られるよ」
「そういうお前も止めなかったじゃねえか」
「止めるも何も気付いたら木刀が飛んでたよ」

 半ば呆れ調子の美形くんが、はたと何かに気付いて動きを止めた。拭きなよ、と差し出してくれたハンカチにはシワもなく、どこか畏れ多くて全力で遠慮したにも関わらず、握らされたそれは手触りまで高貴な感じがした。
 何かお礼をと考えている内に聞こえてきた音は、紛れもなく誰かの腹が鳴る音で、自分のものではないことを思えば、目の前の二人、どちらからか漏れた音に違いない。

『ちょっと……!ほんのちょっと、待ってて下さい!』

 言い捨てて、店内へ飛び込んで、買い物かごを引っ掴む。少しフライング気味に廃棄になる食品を手早く見繕って、バックヤードへ駆け込んだ。バーコードをスキャンして端末機に読み込ませたら、側にあったレジ袋にそれを放り込んでまた二人の元へと戻った。おそらくここまで三分もかからずの見事な仕事ぶりは、コンビニ勤務史上最速を記録したかも知れない。

『これ、つまらないものですが……!』

 不思議そうに首を傾げる二人に、廃棄する食べ物であることと、すぐに食べる分には問題ないことを伝えたら、えらく感謝された。本来ならゴミ箱行き、あわよくば貧乏フリーターである私の胃袋行きだったとはいえ、自腹を切ったわけでもないからあまり感謝されても居たたまれなくなる。
 そうこうしている内に、ぞろぞろと塾帰りの学生たちが向かいの歩道からこちらへ向かってくるのが見えた。そろそろ次のラッシュが始まる。もう一度お礼を言ってから急いでゴミ置き場にまとめたゴミ袋を放り投げてから店内へと戻った。



*

『いらっしゃいませー、あ!』

 早番と交替して店頭に出て早々、入店を知らせるチャイムが鳴って、振り向けばいつぞやの二人が顔を覗かせた。不思議と躍る心を隠しきれず上げてしまった声に、美しい微笑みを携えて手を振ってくれた美形くんとは対象的に、一直線にこちらへと向かってくるスキンくんの表情は、思わずたじろいでしまう程に険しい。

「何だ、これは」
『え、』
「一角、いきなり凄んでどうするの」

 美形くんに窘められたスキンくんの名前が判明したのはさて置き、その一角くんが徐に指さした陳列棚のおにぎりには【本ずわいがに】と書かれてある。

『本ずわいがに、ですね』
「あァン?」
『中の具が、蟹ってことです』
「蟹………だと……?」
「蟹が入ったおむすびだなんて聞いた事が無いね」

 このご時世、コンビニのおにぎりなんて物珍しくもなんともないはずなのに、何やら神妙な面持ちの二人が陳列棚を物色し始めた。もしや、この二人……お金持ちの御子息?ストイックな体育会系ご両親の元、インスタント系食品を口にしたことが無い?それとも美食家の添加物0家庭で育った?
 いつか読んだ小説家になる為の本にトレーニングとして書かれていた人のバックボーンを想像してみる、というのを今さら思い出したからというわけでもないけれど、馬鹿なことに思い巡らせていたら、店長から仕事しろ、と言わんばかりの視線が刺さる。
 いつ会えるか解らないからいつもポケットに忍ばせてあった高貴なハンカチを美形くんに返したところで、また入店を知らせるチャイムが鳴った。何段にも積み重ねたコンテナの陰から馴染みの配送ドライバーさんが顔を出した。台車から手早く所定の位置にコンテナが置かれたから、検品と陳列の仕事に取り掛かった。

「よかったら、また持って帰ります?」

 入荷作業も終わって、ついに店内の棚を汲まなく一周したであろう二人に声をかけた。例の如くありがたがられる物ではないから、今日は先手を打った。ゴミ箱行きになっちゃう前にもらってやって下さい、と付け足せば、じゃあ遠慮なく、とすんなり受け取ってくれた。

「弓親」
「あぁ」

 目配せをした二人の視線が一瞬鋭くなって、二人を纏う空気が張り詰めたのが解った。急いで外へ向かうドアの前で振り返った弓親くんが、ありがとう、と笑ってくれたけれど、なんだか胸騒ぎがしてうまく笑顔を返せたかは解らなかった。



*

『お疲れ様でしたー』
「お疲れ様」

 制服をロッカーにしまって、バックヤードの店長に挨拶をして売り場へ出た。結局、あの後やっぱりすぐ気になって窓にへばりついて外の方を見てみたけれど、もう二人の姿はなかったし、胸騒ぎの理由も解らぬまま、ただただ時間を消化した。
 疲れてるのかも知れない、なんて適当にスイーツの棚を物色して会計を済ませてから店の外へ出た。

「おい」
『ひぃ……!』

 0時も過ぎれば辺りの建物の灯りなんてことごとく消えているし、月が綺麗に出ているとはいえ、街灯がぽつりぽつりとあるだけの帰り道は十分に薄気味悪いから、いつもイヤホンから大音量の音楽を流しながら帰る。突然肩に手を置かれれば変な声を上げても仕方ない。

『……一角くん!?何して!?』
「あ?名前教えたか?」
『や、弓親くんが呼んでるの聞いて』
「ああ。つか、おめえいつもこんな夜道一人で帰ってんのか」

 後ろががら空き、だとか、物騒なことを言ってのける一角くんが、家まで送る、なんて今度は急に紳士的になったりするから、落ち着きかけていた心臓がまた動きを早めた。
 何でこんな所に、という私の問い掛けに、一角くんが差し出してきたビニール袋を受け取れば、その中にはカフェオレとプリンが二つ入っている。

「いつももらってばっかだからよ」
『…………』
「……?甘ェの苦手だったか」
『え!?いや!!好き!!!!!』

 ビニール袋が張り付いてしまっている水滴を纏ったカフェオレの容器は、心なしかぬるく感じる。もしかして、これを渡す為に長い時間待ってくれていたのかと思ったら、一角くんをこんなにも優しく立派な少年に育ててくれたご両親、ひいてはそのご先祖様方につい感謝してしまった。
 無視しているみたいになって慌てたら、そりゃ良かった、と月明かりの下、一角くんが微笑む。相変わらず、心臓はうるさい。これは本格的にいよいよやばい気がする。

「美味えのか、それ」
『美味しいよ。って一角くんまさかプリン食べたことないの!?』
「無ェけど」

 さも当然のことの様に言ってのける一角くんに、ストイックな美食家はスイーツすら口にしないのかと驚愕して、もはや住む世界が違いすぎる。
 通りがかった公園のベンチに一角くんと二人して腰掛けて、プリンを食べてみることにした。一口プリンを口へ運ぶなり、美味え……!と感激する一角くんが可愛すぎる。あっという間に平らげてしまったから、今度は店で買ったシュークリームを手渡した。美味え美味えとまたもやあっという間に平らげてしまった一角くんが可愛すぎる(大事なことなので二回)。
 これは本格的にやばい。一角くんに美味しい物を与えたくて仕方がない衝動にかられている。未成年に貢ぐ貧乏フリーターなんて本当に笑えない。

『一角くんて彼女とかいないの』
「いねえな」
『え!?嘘!?こんなに優しくて格好良くて可愛いのに!?』
「……そりゃどうも」
『洋服のセンスが壊滅的だからかな』
「これは俺の趣味じゃねえ……!」

 実は少し心配になったその洋服は家主から支給されたものらしい。そして、彼女がいなくて少しほっとしてしまった自分の胸の内に戸惑った。彼女がいないからなんだというんだろう。

『一角くんてさ、こっちの人じゃないよね』
「お前…………まさか」
『当たり?やっぱりそうだと思ったんだよね』
「何を知ってる」
『だって居候だとか、コンビニ知らないとか、ド田舎から転校でもしてきたんでしょう』

 一瞬呆けた一角くんは、まぁそんなところだ、と言葉を濁したけれど、そんなに大きくないこの街に居ながら、あんなに目立つ二人組を今まで知らなかっただなんて、転校生だとしか考えられなかった。

 一角くんに出会ったあの夜からというもの、自分が自分でないような、不思議と気分が高揚して、自分の中にもこんな感情の振れ幅があったことを思い出させてくれた。おかげであの夜は近頃スランプだったのが嘘みたいに筆が進みまくったし、次に狙いを定めている賞の投稿〆切にも間に合いそうだ。
 かと言ってこれが恋愛感情かといえば決してそうではない。と思いたい。長いこと浮いた話とは無縁だったからって、いくら一角くんが優しくて格好良くて可愛いからって、高校生の男の子とどうこうだとか、考えただけで怖ろしい。
 現に、今ここでこうしてることだって、未成年を連れ回す貧乏フリーター…………

『今!!!今何時!?』
「何だ急に。ん、」
『0時!40分!真夜中!未成年!連れ回し!』
「おい、大丈夫か」

 一角くんが翳してくれた携帯の画面に浮かぶ時刻。そもそもシフト上がりが0時なんだから、一角くんと会った時点で深夜も深夜だったのに、驚きやら何やらで深く考える間もなく引き止めてしまっているこの状況はすごくまずい。本来なら最初の時点ですぐに帰らせるべきだったのに、公園で悠長にプリンなんか食べてる場合じゃない。
 早く帰ろう、とベンチから一角くんを立たせる為に思わず握ってしまった手が大きくて、動揺した。これでは自分からドツボに嵌っているではないか。

『あのね、一角くん、訴えないでね』
「訴える?何の話だ?」
『いや、未成年をね、深夜に連れ回すと、大人が逮捕されるじゃない』
「……また法律とやらか。じゃあどうすりゃいい」
『一角くん、一人で帰れる?』
「なめてンのか」
『ああ、帰れるよね。襲われたり……も心配なさそうだね』

 ただでさえ深夜な上に、腰にさした木刀は補導されたりしないかと別の心配がよぎったし、ここまで送ってもらって今さらだけれど、逆に送って帰るべきかも知れないとも思った。けれど、かと言って親戚でも友達とも言い切れない未成年を引き止めた理由が一緒にプリンを食べたかったから、なんて不審者でしかないし、もし警察に見つかりでもしたら、言い逃れできる自信がなかった。

『一応、家に着いたら連絡……あ、念飛ばしてね』
「念?」
『そう、念。着いたぞ、って』
「何だそりゃ」

 呆れたように笑われて、私も苦笑いするしかない。いくら心配だからとはいえ、無事に帰宅したら知らせて欲しいから連絡先を交換しよう、なんて取ってつけたナンパみたいなこと、高校生にとても言えなかった。
 また元気な顔見せてね、なんて精一杯のお姉さんぶりを発揮して、じゃあな、と踵を返した一角くんの背中を見送っていたら、はたと足を止めた一角くんが振り返る。

「そーいや、名前」
『名前?私?』
「ああ」
『日向、椿姫、です』

「……またな、椿姫ちゃん」

 思いがけず呼ばれた名前が、何だか特別に響く。暫く惚けたまま手を振って、一角くんが見えなくなってから我に返った。バシンッと両頬を叩いてハイきっとこれで目が覚めた。
 よく解らない衝動を発散したくて大通りまでの一直線を全力疾走した。案の定、息はあがりまくるし、回復が目に見えて遅くなっている。暫し休憩、と手をついた電柱の足元に一輪挿しがあって、先日この辺りで起こった事故をふと思い出したから、しゃがみ込んで手を併せた。
 立ち上がりかけて、外灯が球切れでもおこしたのか急に辺りが暗くなる。顔をあげて振り返った刹那、電柱と塀が物凄い音を立てて砕けた。咄嗟に頭を抱えてしゃがみ込んだけれど、砕けた塀が上から落ちてきた衝撃で口の中を噛んだ。
 地震?何が何だか解らぬまま、薄っすら開けた目の前で、見た事のない生物が鳴き声をあげた。

『……ッ!!?』

 何が何だか解らない、これは、何、現実?夢?夢にしてはリアルすぎるし、痛い。逃げるにも、なぜか、足が動かない。得体の知れない生き物、いや、怪物が、羽根とも腕とも爪とも見える部分を振り上げて、もう駄目だと目を瞑った時、キンッと何かが弾かれたような音がした。
 怪物が振り上げていたものが、ボトリと落ちて地面が揺れた。怪物があげた叫び声は思わず耳を塞ぐ程に馬鹿デカイのに、周りの民家からは人一人出て来ないから助けを求めることも出来ないし、というかそもそも誰かいたとして、誰がこんな怪物から守ってくれるというのだろう。

「うるせえぞ、てめえ」

 こんな時にまで、まさか声が聞こえるなんて、一角くんの幻聴がするなんて私には死が近いのかも知れないし、もうこれは色々と認めざるをえないのかも知れない。
 観念して、向かいの塀を見上げたら、一角くんと同じシルエットをした人影まで見えるから、もういよいよだと覚悟を決めた。
 掛け声をあげた人影が怪物の前に飛び降りた。と思ったら、怪物が真っ二つに割れて、空気中に分散していく。何が起こったのか解らなかったけれど、人影が手に持つのは日本刀のようで、もしかするとその刀で今の怪物を切ったのかも知れない。

『一角くんッ……!?』 
「お前、もしかして全部見えてンのか」
『一角くん倒したの!?さっきの怪物!何!?どうなってんの!?』

 装いも新たに、黒い和装の一角くんは初めて見たけれど、制服姿よりはこれが正装という気がした。一角くんの正体は、怪物と戦う秘密結社の一員ということで、だとすれば、纏うだだならぬ雰囲気も合点がいく。
 興奮気味の私の前にしゃがみ込んだ一角くんに、大丈夫か、と口元を袖で拭われる。口の中が血の味で一杯だけれど、今はそんなことはどうでもよかった。

「これを見ろ」

 私の身体が大丈夫なのを確認した一角くんが、目の前に翳してきたのは、どこか懐かしい、何かのキャラクターの頭が乗ったラムネ菓子の容器みたいな物で、いきなり手品でも始まるのかと思ったけれど、一角くんが全然楽しそうじゃなくて神妙な面持ちだから、何だか見たくなかった。

『ねえ、また会えるよね』

 なぜか胸騒ぎをおぼえて、咄嗟に一角くんの着物の袖を掴んでしまったら、何も言ってくれない一角くんに、その手を外されて胸騒ぎが大きくなる。
 立ち上がって辺りの様子を気にする素振りを見せた一角くんが、もう一度前にしゃがみ込んだと思ったらふいに顔が近付いた。

「また会いてえなら今日見た事、絶対に他言すンじゃねえぞ」

 耳元で諭されて、向き直った一角くんは手に持っていたそれを懐にしまった。
 何度も頷いたら、微笑んだ一角くんが私の頭を撫でていったりなんかするから、ついに私の心臓は鷲掴みにされてもはや息苦しい。
 お金持ちの御子息?ストイックな美食家?高校生だてらにプロ級スポーツマン?どれも違ったかも知れないけれど、そんなことはこの際どうでもいい。年甲斐もなく、ついに王子様と出逢ってしまっただなんて、本気で宣ってしまいそうな程、怒濤のごとく押し寄せるときめきに埋もれて、暫くそこから動けなかった。



(了)



たぶん、椿姫さんの顔面が一角さんのドストライクだったんだと思います。



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