零距離の背中

斑目一角
 しとしとと雨が降り続く。市場で大量に仕入れてきた副隊長用のお菓子を給湯室の戸棚に仕舞って廊下へ出た。真っ昼間だというのに、分厚い雲のせいであたりは薄暗い。

『わっ!!!!!』

 霊圧も極限まで隠して近付いて驚かせたつもりなのに、予想に反して一角は微動だにしない。縁側に座り込んで、居眠りでもしているのかと思って顔を覗き込んだら眉間に皺を寄せた一角と目があった。

『気付いてたの?』
「当たり前ェだろ」

 短く息を吐いた一角は明後日の方を向いてしまった。機嫌があんまりよろしくないのだと悟って、わざとぴったりと肩をくっつける様にして隣に座れば、明後日の方を向いたままの一角は横へ寄って拳一つ程の間を空けた。
 だからまたあたしはぴったりと隣へ寄って、また一角が拳一つ分遠ざかる。そんなことを何度か繰り返していたら、柱に行き詰まった一角はあたしの肩をやんわり押し返してきた。

「何なんだ、てめえは」
『一角こそ黙りこくっちゃって何なの。どっか具合でも悪い?』
「気分なら悪い。最悪だ」
『どうしたの』

 気遣うあたしを恨めしそうに睨んで、一角は胡座の上で頬杖をついている。そんな顔をされても一角が気を悪くする様なことをしてしまった覚えはない……はず。
 外さぬ視線の中で、必死に頭を巡らすけれどどうにもこうにも見当がつかない。

『一角…………?』

 死覇装の袖を掴むと、かなり濡れていることに気付いた。いつから居たのか知らないけれど、いくら雨避けの下とはいえ風向きによっては雨ざらしになりかねない。

『ね、とにかく中入らない?すごい濡れちゃってる』
「どこ行ってたんだよ」
『え?どこって、さっき?市場、だけど』
「知ってる。誰もンなこと聞いてねえ」

 真意を測りかねて黙っていたら、一角は大袈裟に溜め息を吐いた。

「昨日言ったよな、俺も行くって」
『言ったけど、一角修練中だったし。雨降り出す前に行きたかったし』
「それならそうと呼びゃァいいだろうが」
『盛り上がってたし、修練。だから弓親に言付けてあったでしょ』
「言付けたからいいとか悪いとかそんなこと言ってんじゃ無ェよ」
『じゃあ、何』
「結局降られてんじゃねえか、雨もよ」

 確かに、思いの外時間がかかって雨が降り出す前には帰ってこれなかった。けれどそれで一角が機嫌を損ねるのがどうしても腑に落ちない。

「こんだけ曇ってんだから傘ぐらい持ってくだろ、普通」
『帰ってこれると思ったんだもん』
「だもんじゃねえよ」
『どうせ傘持ってたって、両手に荷物じゃさせないし!』
「だったら最初から一人で行くんじゃねえ!…………そうやってお前はすぐ隙を作る」

 拗ねた様に言われて、なんだかやっと腑に落ちた気がした。

**
*

 お目当ての品が漸く見つかって、ほっとしたのも束の間、何軒目かの駄菓子屋の勘定台の前で屋根に降り落ちた雨音を聞いた。
 その軒先で薄暗い空を見上げて途方に暮れていたら、近付いてきた赤い番傘。

「やぁ、日向四席。お遣いかい?」
『!?浮竹隊長!どうされたんですか?……というかお一人ですか?』
「何だい、そんな驚いた顔して。一人で居たらおかしいかい?俺だって一人で買い物くらい出来るぞ」

 笑う浮竹隊長を見て、今日は体調がいいのだとほっと胸を撫で下ろす。片手一杯の紙袋の口からはたくさんの駄菓子が顔を覗かせている。

「日向四席も大変だな。それ草鹿のだろう?」
『そうです。一杯ストックしとかないと、すぐ無くなっちゃうんですよ』
「あはは。でもそれじゃ傘もさせないだろう。ほら、送るから、入りなさい」

 傾けられた番傘は一般的なそれよりは広くて、万に一つも浮竹隊長を濡らすまいとする十三番隊の気概が感じられた。
 番傘一杯に主張する十三の文字を見たら、いつも浮竹隊長の後ろで小競り合いをする二人が浮かんだ。
 あたしが一緒に入ったせいで浮竹隊長が濡れて風邪でも引いたりなんかしたら、想像するだけで冷や汗が出る。

『有難う御座います。でも、大丈夫です』
「遠慮するなよ、ほら」
『いや、あの、ほんと、大丈夫なんです』
「傘、持ってるのかい?」
『持って、……ないです』
「だろ?だから、ほら」
『ええと、でも、本当に大丈夫なんで、大丈夫です』
「……俺の傘に入るの、そんなに嫌かい?」
『え……!?いや、決してそういう訳じゃ、』

 懐に入れた伝令神機が鳴り響く。困った様な顔をした浮竹隊長は相変わらず傘を傾けたままで、慌ててその音を断ち切った。

「いいのかい?出なくて」
『全然、はい、大丈夫です』

 画面も確認せずに切ってしまったけれど、緊急の音ではなかったことを思って、それをまた懐に仕舞った。観念して少し側へ寄る。

『浮竹隊長に風邪なんか引かせたら二人が発狂しますよ』
「仙太郎と清音かい?」
『一生恨まれますよ、あたし、たぶん』
「はは、大袈裟だな。雨の中途方に暮れる女の子を見過ごしたら、俺の方が叱られるさ」

 それだけは無いと心の中で断言して浮竹隊長を見たら、ふわりと笑顔が向けられて、なんとなく目を逸してしまった。

『では、お言葉に甘えて、お邪魔します』
「どうぞ、いらっしゃい」

 密室、という訳でもないのに、何とも言えない気恥ずかしさに体は自然と縮こまる。しかもその肩を傘を持っている方の手で引き寄せられて、喉が詰まった。

「そんな端にいると濡れるぞ」
『……はい、すみません』

 一般的なものよりは広いとはいえ、荷物を持った二人では密着していないとどちらかが多少なりとも濡れることになる。それにしてもよく降るなぁ、なんて苦笑いする浮竹隊長に他意は無いことぐらい百も承知だけれど、引き寄せてきた腕の力強さは男を感じさせるには十分だった。

(パーソナルスペース、ぜ、零……!) 

 相手がどうとかは関係なく、心地の良い零距離を知ってしまったあたしには、他人の個人的空間に踏み入る違和感が凄まじい。
 助けてもらっておいて失礼なのは百も承知だから、何ともない顔をして会話を続けるけれど、居心地がいいとは決して言えない。
 隊舎へ最速で着ける道順を頭の中でシミュレートして、早足になりそうな足元を抑えながら、ゆったりとした浮竹隊長の歩幅に合わせた。

『ここで、大丈夫です』

「そうかい?久しぶりの外が生憎の雨だけど楽しかったよ、ありがとう」

『いえ、こちらこそ、本当に、有難うございました』

 深々と頭を下げたら、浮竹隊長の咳が聞こえてすぐ様顔を上げた。大丈夫だ、とでも言う様に番傘を少しあげてみせて浮竹隊長は一度深呼吸をする。

『一旦荷物置いてきますね。十三番隊舎までご一緒します』
「大丈夫だ。せっかく送り届けたのに、俺が送られたんじゃ意味ないじゃないか」
『でも……!浮竹隊長、咳が。それならせめて迎えを呼びますから』
「大丈夫なんだ」

 何かを確信した様な顔で浮竹隊長が名を呼べば、どこからともなく降りてきた二つの番傘。隊長のそれよりは一回り程小さいそれには同じ十三の文字。

「隊長、大丈夫ですか!?」
「あ、ずるいぞ、小椿!!大丈夫ですか、隊長!!そんな小汚いのじゃなくて、この、自分の手拭いを使って下さい!!」
「あァん!?誰が小汚いだこのハナクソ女!!」
「どういたしまして!!」

 いつものごとく始まった二人の小競り合いに、浮竹隊長とあたしは苦笑いした顔を見合わせた。

『いつの間に、呼ばれたんですか?』
「ん?呼んだというか、最初から居たぞ」

 ごく当たり前の様に言う浮竹隊長に、清音ちゃんと小椿さんが驚きの声をあげたところを見ると、こっそり着いてきた二人を浮竹隊長はお見通しだったらしい。
 浮竹隊長の荷物をどちらが持つかでまた小競り合いを始めた二人を、困ったような嬉しいような表情で窘めて、手を振る浮竹隊長一行を見送ってから、十一番隊舎の門をくぐった。

**
* 

「伝令も出ねえし、つか切ったろ、あれ」
『……ごめん』
「良かったな。お前ああいう優男が、浮竹隊長みたいなのが好み、っつってたもんな」
『一角だって優しいよ』

 そんな好みの話をしたのなんて、一角と恋仲になるずっと前の話だ。それだって真に好みを言えば目の前に居る一角が好きだと言ってるのと変わらない気恥ずかしさから、対照的な浮竹隊長の名前をなんとなく出したに過ぎないのに。

(っていうか何で一緒に居たって知ってるの?)

 カタンと何かが倒れた音がして、そちらの方へ目をやる。倒れた番傘が一つ、水滴だらけのそれは床石に黒い染みを作っていた。

『もしかして、迎えに来てくれた?』

 返事は無い。濡れた死覇装の袖を引っ張って、雨の中急いで向かってくれた様を思って胸が苦しくなった。
 冷えてしまった一角の指先を、温めるようにして握る。抱き締めようとしたら、体を逸らされて悲しくなった。

「……濡れるから、いい」
『いいよ、濡れたって』
「よくねえよ」
『ねぇ、一角』
『あたしが好きなのは、一角だよ』
「………」
『大好き』

 そう呟いたら、どういう訳か目に熱いものがこみ上げてきて俯いたら、一角が近付いてくれた気配がした。

『だから一緒に、濡れよう!』

 今度こそ抱き締められると思ったのに、なぜか顔を真っ赤にした一角が後退る。

『な、に?』
「おま、一緒に……って、おま、それ、いや、」

 何でも無ェ、と口籠る一角の後ろから手を添えた。広い背中を擦るようにしたら、一角はぴくりと体を強張らせた。

『すっかり冷えちゃってるから、お背中流しますよ、斑目三席』

 特別な鬼道なんて知らないけれど、しっとりとした死覇装から少しでも冷えがとれないかと、添わせた両手にありったけの想いを込めた。
 すくと立ち上がった一角が見向きもせずに板敷きの上をいく。雨音の間に独特な裸足の音が遠ざかる。為す術もなくそれを眺めていたら、裸足の音がやんだ。

「俺ァこんな女々しい野郎だったか」

 悪かった、と罰の悪そうな声色で呟いた一角は頭を掻いた。何に対しての謝罪か、謝る必要なんてなくて首を横に振ってみたけれど、背中ごしの一角の視線はどこにあるのか分からない。

「俺にも流させろ、背中」

 少しだけこちらに首を回してぶっきらぼうに言った一角は、再び歩みを進めた。それが、来いという意味だと悟って慌てて腰をあげる。

 追いついた背中に、大好き、と飛び付いたら、二人して板敷にすっ転んで、ようやく笑い合えた。



(了)





「今度からこういうことあったら、呼べよな。出先でもいいから」
『傘持ってきて、なんてしょうもないことでいちいち呼べないよ』
「いや、雨の日限定じゃ無くてよ。呑みの後とか、ほら、迎えに来い、とか」
『いいよ、そんなの、何か使ってるみたい嫌だ』
「そういうのは使ってるとは言わねえんだよ。好きでやんだから」
『好き……』
「恋仲なんだから普通だそ、そんなこたァ」
『恋仲……』
「自分の男なんだから、それぐらい、甘えろよ」
『あたしの、男……』



自分で言って自分で恥ずかしくなって、潜る一角 in 湯船です。裸で向き合ってるくせになんともない会話で赤面するバカッポーです。
嫉妬する一角いいぞもっとやれ。



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