確信犯

檜佐木修兵
『ほんと馬鹿じゃないの』

 椿姫が呆れた顔で見つめているのは、正真正銘、九番隊の副隊長だ。他隊の上官にも関わらずこんな物言いが出来るのは、二人が霊術院時代からの同期だからだ。
 書類を各隊に届け回っている最中、たまたま鉢合わせた檜佐木に夕食に誘われた椿姫は、二つ返事で了承した。待ち合わせ場所から連れ立って、いつもの処に顔を出すと今日は生憎の満席だという。そして、次の馴染みの居酒屋を覗いてみてもまたこちらも満席だった。

「いやいや、大盛況で何よりです!」

 心当たる最後の店で、非常に申し訳無さそうに店先まで出てきては深々と頭を下げた店主に、檜佐木は大袈裟に頷いてみせた。店主と意味ありげにがちりと握手を交わす自分に、椿姫が至極冷たい視線を浴びせていることなど檜佐木は全く気付いてはいない。店主が再度深々と頭を下げて店内へ戻るのを見届けてから、檜佐木は嬉々として椿姫に駆け寄った。

「これ、もらった!」

 先程店主に握らされたのであろう【次回ペア無料お食事券】を目前に突き出して、お気に入りの玩具でも与えられた子どもの様な顔をして、目を輝かせている様は、とても副隊長とは思えない、と椿姫は思った。ちなみに、今日この類の券をもらったのは三度目である。

『でしょうね!なんたってこの大盛況、全部あんたのおかげなんだから!』

 心当たる処、全てをまわって、ことごとく満席なのだ。今日に限って、寝坊のため朝食もとらず隊務に出て、昼食もタイミングを逃して食べずじまいだった椿姫の腹はとうに限界を越えていた。空腹すぎて気分すら悪くなってきているというのに、目の前の檜佐木はへらへらと実に嬉しそうで、この万年金欠野郎!と罵りたいのをグッと堪えて出た台詞が冒頭のものだった。

『そりゃあれだけ馴染みの店、大々的に特集組みゃこうなるでしょうよ』
「見てくれたのか!瀞霊廷通信!」
『…見たよ。むしろ毎号読んでるよ!なんだったら毎回買って読んでるよっ!』
「椿姫…!」

 批難のつもりで発した言葉が肩透かしをくらって、半ばヤケクソになって声を荒げた椿姫を、檜佐木はキラキラした目で見つめ、椿姫はとうとう力無くその場にしゃがみ込んだ。心配した様子で同じくしゃがみ込んだ檜佐木の死覇装の端を摘んで、もうどうでもいい、すごくどうでもいいから、とにかくあたしに早く何か食物を…!という渾身の願いを込めて、下の方から見つめれば、檜佐木は慌てた様子でその場を離れた。こうすれば、檜佐木が自分に逆らえないことを椿姫は知っていたのだ。

「そんなに美味いか」

 暫くして、檜佐木の手によって与えられた屋台のたこ焼きを頬張った椿姫は、言葉にならない歓声をあげた。檜佐木が満足げに笑って問いかけると、たこ焼きを一杯に詰め込んだ頬を揺らして、椿姫は何度も頷いた。しかし、何軒ものお店からお預けをくらってすでに臨戦態勢だった椿姫の腹を満たすには至らなかった。少し待つように椿姫へ告げて、人混みの中へ消えた檜佐木が再び現れた時、そこかしこの屋台やらで手に入れた酒と肴を両手にぶら下げたまま、檜佐木は椿姫に付いてくるように、と目配せをした。

*

 ここを曲がれば九番隊の隊門が見えてくるという道角で、椿姫は立ち止まって半分貸して、と手を出してみせた。とはいえ檜佐木が自分に半分でも荷を持たせることなどしないことも分かっていたので、半ば無理矢理に荷を奪った。

「俺が持つって、あと少しだし」
『あと少しだから』

 不思議そうな顔をする檜佐木を横目に、椿姫はすたすたと歩き出した。隊門の前まで来ると、脇に立つ門番が礼儀正しく頭を下げた。お疲れさん、と檜佐木が先に中へと入ったが門が閉まる気配がないので後ろを振り返ってみると、椿姫が荷を下ろししゃがみこんでいる。

『今からみんなで飲み会するんですけど……、あ、これ、副隊長から、お裾分けです』

 椿姫は門番に適当に取り出した肴を分けると、お待たせしました、と檜佐木に並んだ。後ろの方の門番からもう一度礼儀正しく頭を下げられ、檜佐木は小さく手を挙げて返した。

「粋なことするね、椿姫ちゃん。ところで、みんなって何?」
『誤解されちゃ困るのは修兵でしょ。あの門番の人、視線が好奇心を隠しきれてなかったよ。はい、副隊長さん』

 奥へ進むに連れて人目もなくなったところで、椿姫はまた檜佐木に荷を託した。

『あー重かった!』
「………そういうこと」
『だって自隊の副隊長が荷物持ちさせられてる、なんて面目丸潰れでしょ』

 身軽になった椿姫が右左、と後ろから檜佐木の指示を待って進んでいくと、分かりやすく【檜佐木 修兵】の表札がかかった柱を見つけた。その前で足を止めると、檜佐木に入るよう促され、椿姫はお邪魔します、とそろり障子を動かした。ドカドカと両手の荷を下ろし、肩を回した檜佐木が灯りをつけると椿姫は驚いた。

『修兵、これ、一体いくら遣ったの』
「えーっと、まァ、その、全財産」

 座って、と檜佐木に促されたソファーに腰掛けて、もう一度、今度は注意深く部屋中をぐるりと見回してみたけれど、やはり先ほどくぐった障子が穿界門だったのかと疑いたくなる程に、そこは現世でしかなかった。そりゃ万年金欠だわ、と合点がいった椿姫は側にあった瀞霊廷通信をパラパラと捲った。

『そういえば、久しぶりだよねぇ。忙しかった?』
「あぁ。ちょうど今日入稿して一段落したところだったんだが、まさかあそこで椿姫に会えるとは思ってなかったからさ」

 少し落ち着かない様子の檜佐木はかちゃかちゃとこれまた現世っぽい器を卓上に並べて、その上に次々と包みの中味を滑らせていく。刀を合わせたような音が鳴り、温められたほっけが出てきたときの椿姫の驚き様に檜佐木は腹を抱えて笑った。


『ちょ、笑いすぎ!ってゆーかさ、副隊長ってそんなに忙しいの?うちの副隊長なんて見てたらそんな忙しいとは到底思えないんだけどなぁ』
「いや、そっちのが特殊なんだって。俺が一体どれだけの仕事量抱えてると思ってる。原稿チェックだけじゃないぞ、自分でも書くし、企画あげてアポとりに対象者にインタビューだってする。それに…… 、その………、ファ、ファンレターに返事だって書いてる」

 チラチラと椿姫の様子を伺う檜佐木の思惑とは裏腹に、椿姫は可愛らしい梅の花を型どった箸置きを眺めながら、ふうん、とだけ息を漏らした。


『修兵ってさ、彼女とか、いるの?』
「ぇ、えぇ!?どうした、急に。気になる、………か?」
『いや、別に』

 即答して、いただきます、と両手をあわせてほっけをほじくり出した椿姫に檜佐木は落胆を隠しきれていない。目の前にあった干しイカをいじいじとしゃぶり始めた。それでも、これ美味しい、と頬を膨らませて喜ぶ椿姫を見ていると、やはり檜佐木の口元は自然と緩むのだった。

『これ可愛いね。彼女の趣味なのかなぁ、って思ったから聞いただけ』

 梅の箸置きをつまみ上げた椿姫は、無邪気にそう言った。よく見ると箸の柄にも取り分け用の小皿にも、赤い小さな梅の花の模様が咲いていた。

「あ、それは、」
『あ!分かった、ファンの子にもらった、とか?それともやっぱり彼女?……いや、修兵のことだから元カノが置いてったの、まだ捨てられない、とか。修兵、一途っぽいし未練とか、すっごい引きずりそうだもんなぁ』
「いや、そうじゃな…」
『相談のるよー?あたし、こう見えても、その手の話、結構得意なんだから。あ、なんだったらさ、その子呼んじゃえばいいんじゃない?いい感じになってきたら、あたし帰るしさぁ』

 からかう様な椿姫の挙動に、檜佐木はぐいと酒瓶を煽った。いくねぇ!と見当違いに盛り上がった椿姫は、あたしも、とぐい呑みを一気に煽る。ふぅ、と一息ついてソファーに深く座り直すと、椿姫は手持ちぶさたにまた瀞霊廷通信に目を落とした。

「彼女なんて居ねえよ」
『え?……あ、うん』

 横に腰掛けた檜佐木がいやに不安げな瞳で自分を見ているような気がして、椿姫は言葉に詰まった。

「それに、ファンにもらったものでも無いし。まして元カノが置いてったものでもない」
『そうなんだ、……ごめん、ね』

 何故だか不機嫌にも見える檜佐木に、椿姫は少し困惑して、とりあえず謝ることにした。気まずくなって瀞霊廷通信を読むふりをしていると、すぐ近くの座面がゆっくり沈んだ。そして、自分の手に檜佐木の手が重なって、椿姫は驚いて顔をあげたが思いのほか檜佐木の顔が近くにあってさらに驚いた。

「それ、偶然だと、本当にただの馬鹿だと思ったのか」

 それ、というのは檜佐木に握られた椿姫の手の下にある件の特集記事のことらしい。いつになく真剣な面持ちの檜佐木に気の利いた言葉が一つも浮かばない椿姫は内心焦っていた。本当に馬鹿だと思っていた、なんて口が裂けても言える雰囲気ではないことは確かだった。

「二人きりになりたかった、と言ったら?」
『………え?』
「いつも行くとこだと大抵誰かと一緒になるだろう。かと言って最初から部屋に誘う、なんて度胸もない。あーぁ、偶然全部満席だったら自然な流れで二人きりになれるのかも知れないのになぁ……、って思い付いたのがこれ。ってまァ、職権濫用だって言われりゃそうだろうが」

 照れた様に笑う檜佐木に、椿姫はどんな顔をすればいいのか分からないまま、ただ握られた手を見ていた。

「そんでもって、これは、誰が好きな花でしょうか。……可愛い、って喜んでくれるかなぁって、ちゃんと誘えたら絶対使ってもらおうと思って、選んだんだけど。………どう?」
『どう、って……』

 梅の花が好きなのは確かだが、いつ自分がそんな話をしたのか覚えてもいない椿姫は、檜佐木の真っ直ぐな視線と、唐突な言葉たちに頭がついていかなかった。自分の為に選んだというそれを素直に褒めるのがなんだか恥ずかしい気がしたけれど、椿姫は先ほどと同じ感想を口にした。

「俺には椿姫の方が可愛い」

 堰を切ったように流れ出る檜佐木の恥ずかしい台詞を、まともに受け止められる程の余裕は椿姫にはなかった。どんどん顔に熱が集まってくるのを感じる。とても目を合わせてはいられない。相談にのるなどと、その手の話が得意などと、二度と口にするもんじゃない、と数分前の自分を戒めたくなった。

「でも、一つあってるな。俺、超一途」

 握られた手の力が一瞬、より強くなって、椿姫は意を決して顔をあげた。やはり檜佐木は真っ直ぐに椿姫を見つめていた。

「俺、椿姫が好きだ」
『………あ、りがとう』

 修兵ってこんなに格好良かったっけ、なんて現金にも椿姫の胸はこれでもかという程高鳴っている。降って湧いたような気持ちで、あたしも、なんて言葉がつい口をついて出そうになった。無意識に握り返すような形になってしまった掌を、都合のいい様に解釈した檜佐木がごくりと生唾をのんだ。

「こんなのも、あったり…!」

 素早い動きでソファーの陰からお揃いの寝間着を取り出してみせた檜佐木の先走り具合に、いつもなら冷ややかに送られる椿姫の視線も、今日ばかりは、あちらこちらに咲く梅の花に優しく奪われたのだった。



(了)



修兵さん、やるときゃやる子。



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