無問題

斑目一角
『あっ』
「おっ」

 思わず漏れた声と、ほぼ同時に発せられた声に胸が跳ねた。

『一角さん!弓親さん、阿散井副隊長も、こんにちは』
「おう、元気にやってるか」
「こんにちは、椿姫ちゃん」
「久しぶりだな、日向」

 その風貌はもちろんのこと、纏っているオーラというか、目を惹く三人であることには間違いないけれど、この十三番隊舎では今やその光景も珍しくはなくなっていた。

『今日はどうされたんですか?志乃ちゃん、確かまだ現世ですよね』
「久々に椿姫ちゃんの顔、見に来たんだ。ね、一角」
「は!?え、いや、うん、あぁ」
「ぶぶっ」

 ふいに弓親さんが言ってくれたお愛想に、乗り損ねそうになった一角さんを見て、阿散井副隊長が笑う。その阿散井副隊長の首根っこを掴みながら、俺らはこいつの付き添い、と一角さんは顔に貼り付けたような笑みを浮かべた。
 なんにせよ、当分会えないだろうと思っていたのに思いがけずまた会えた。こんなことならこの前新しく買った紅でもさしておけば良かった、と悔やんでみても仕方がないし、せめて前髪だけでも整えようとしたけれど生憎両腕は塞がっている。

「そんなもん抱えて、どうした」
『これですか?ちょっと、宿舎の戸が建て付け悪くなってて、直そうかと』
「まさかそれ自分でやろうとしてるのかい?」
『はい。ちょうど今日非番なんです』
「誰か頼める奴、いねえのか?」

 一角さんに聞かれて首を横に振れば、弓親さんと阿散井副隊長が顔を見合わせる。そうして、今しがた借りてきた脚立と工具箱をそれぞれに奪われてしまった。

「それならちょうどいいのがここに居るよね」
「得意分野っスもんね。こう見えて一角さん、手先器用なんだぜ」
「こう見えて、って何だ」

 訝しむ一角さんの両脇から、あたしから奪ったものを一角さんに持たせた弓親さんと阿散井副隊長はにっこりと笑う。

『え!いやいや!そんな、大した修理でもないので自分で出来ますから、大丈夫です!それに、お忙しいでしょうし』
「いいのいいの。暇だし。ね、一角」
「おう。いつも志乃が世話んなってるしな」
『お世話なんて、とんでもないです!こちらこそ仲良くしてもらって、』
「いいから甘えとけよ、日向」

 そう言って何やら思い出した様な阿散井副隊長は懐を弄って、差し出されたそれは甘味処の招待券らしかった。

「贔屓にしてる甘味屋からもらったんだけどよ、それ、一角さんと行ってこい」
「はぁ!?」
「一角さん、最近疲れがろくに取れねえって、甘いモンでも食いてえ、って言ってたっスよね?」
「うん、一角、言ってた言ってた」
『そうなんですか?』
「なっ!?…………いや、まぁ……」
「さすがに一人じゃ行きずれェだろうし。日向もただで直してもらうのは気が引けるんだろ?」
『そうなんですけど……、でもそれだとあたしまで甘味処にただで行けちゃうわけで、あたし結局何もしてないような気が……』
「無問題!!!ね、弓親さん!?」
「うん、無問題!!!ね、一角!?」
「お、おおう、おう。無問題」
『……そうですか、それなら、お願い、します』

 親指を立てる三人につられて、あたしもつい親指を立ててしまった。とにかく、工具箱だけでも持たせてもらって、朽木副隊長のところへ向かう阿散井副隊長、十一番隊舎へ戻る弓親さんにそれぞれ一礼して、見送った。


「あ、それ、期限書いて無ェけど!期限あっから!たぶん今月中!いや、もっと早かったかも!まぁ何にせよ!絶対行かねえと駄目なやつだからソレ!だらだらすんのとか無しっスからね、一角さん!いつ行くのかビシっと決めて下さいよー!」

 ひらひらと手を振って優雅に去っていく弓親さんとは対象的に、遠くの阿散井副隊長は声を張り上げてまた親指を突き立てている。それに負けじと五月蠅え!とか分かってるっつの!と怒鳴る一角さんとのやりとりが可笑しくて思わず吹き出してしまった。

『本当に仲良しですよねぇ』
「そう見えるか」
『はい。それにしても阿散井副隊長、よっぽどその甘味屋さん、オススメみたいですね』
「甘味好きとか似合わねえよな、あの顔にあの図体」

 一角さんの隣で笑いながら、不思議な感覚に陥る。珍しくなくなったとは言えど、時には羨望ともとれる眼差しですれ違う隊士が見つめるこの人は紛れもなく十一番隊の副隊長なのだ。
 最初のとっかかりが、たまたま宿舎で同室になった同僚を訪ねてくるその兄、だったこともあって、《志乃ちゃんのお兄さん》に始まり、本来なら付けるべき肩書きも一度も呼ぶことがないまま、今となってはお言葉に甘えるかたちで名前で呼ばせてもらっている。

 他愛も無い話をしながら着いた宿舎の前で、ふと一角さんが足を止めた。

「つか、何も考えねえで来ちまったが、男子禁制じゃなかったか?この宿舎。俺入れねえよな」
『あぁ、大丈夫です。先の大戦で壊れた男性宿舎の一部がまだ使えなくて。今はこの宿舎で男女関係なく生活してますから』

 ちらほらとすれ違う隊士に頭を下げながら奥へ進む。さすがに宿舎内でとなると、少し後ろを歩く一角さんはより目立つようで、時折向けられる好奇的な視線に気分を害してはいないかと恐るおそる一角さんを盗み見たけれど、当の本人はまったく気付いていないようで周りをきょろきょろと見回している。

『ここです。ちょっと待って下さいね』
「よっ、と」

 鍵を回して、いつものごとく気合いを入れて滑べらせた引き戸はやっぱり途中で止まる。辛うじてあいた隙間に身体を捩じ込んで、はしたなくも片足をあげて押し開こうとした固い戸は、軽い調子で片手に力を込めた一角さんが易々と開けてしまった。


「あぁ、これだな」
『いけそうですか』

 一旦引き戸を外した一角さんは、工具箱から取り出したノミやら金槌やらを慣れた手付きで使いながら問題の箇所に手を加えていく。

『すごいなぁ、一角さん。本当に何でも出来ちゃうんですね』
「何でもってことも無ェよ」
『志乃ちゃんも自慢の兄だって言ってましたよ。すごく羨ましいです、こんな素敵なお兄さんがいて』
「そんな褒めても何も出ねえ"、ぞ……ってほら、椿姫ちゃんがのせる様なこと言うから、指打っちまった」
『え、大丈夫ですか?』
「無問題」

 さっきからそうやって親指を立てるのが流行っているのか、と笑っていたら、もう作業が終わったようで、はめ込まれた引き戸はガタつくことなく敷居の上を滑る。

「あとは蝋でも塗りゃもっと動かしやすくなると思うぜ」
『ありがとうございます。それで、あの、ついでに、とか……、』
「何だ、あっちも、か?」

 最初は遠慮していたくせに図々しく思われたりしないかと少し躊躇しつつも、引き続き建て付けの修理を期待して、というよりは、ただもう少し一緒に居たいが為に吐いた口実だった。  
 あたしの目線の先をたどった一角さんが、お安い御用とばかりに金槌をくるりと回す。今度は奥の部屋との境の引き戸が外された。

『あ!それ、あたしがやってもいいですか?』
「構わねえけど……?」
『また今度、同じようなことがあったら、自分で出来るように、です』
「いい心掛けだな。けどそういう時は呼んでくれりゃいつでも来てやるよ」

 自分の都合で引き止めてしまった、という後ろめたさも相まって、滅相もございません、と金槌を受け取った。背の高い一角さんには必要の無かった脚立の上に腰掛けて作業に取り掛かる。

「つか今更だけどよ、一人部屋に昇格したんだな」
『ええ、なんとか。って言っても席次もまだつかないですし。志乃ちゃんみたいに現世赴任も任されたこと無いですし、まだまだなんですよねぇ』
「なんだ、椿姫ちゃん、出世してえのか」
『そりゃあ護廷の死神としては、もちろんですよ』

 あなたと肩を並べても恥ずかしくないように、と心の中で付け足して、さっきの一角さんの見様見真似で横木に立てた釘を打ち付ける。

『あ、そうだ、一角さん!今度稽古つけてもらえませんか?』
「俺が?椿姫ちゃんに?」
『はい!多少キツくても大丈夫です!』
「んん、いや、おそらく難しいんじゃねえかな」
『根性だけはあるんです!』

 死覇装の袖を捲し上げて見せた力こぶが、根性を可視化出来たのかは分からないけれど、一角さんはそういう問題じゃ無ェんだけど、と苦笑いをした。
 一介の隊士が他隊の副隊長に直に稽古を頼むなど無礼すぎた、と少し考えれば分かることなのに、一角さんが優しいからつい調子に乗りすぎてしまった、と反省したのと恥ずかしいのとで、慌てて謝って作業に戻った。

「いや、椿姫ちゃんが謝るとこじゃ無ェんだけど。……集中、出来そうに無ェだけだからな、俺が」
『どういう、』

 意味ですか、と聞こうとしたら振り向く前に近くに来た一角さんに後ろから腕を掴まれたから、硬直した。

「いつ言おうか迷ってたんだけどよ、」
『……はい?』
「こんなとこに横木打ち付けたら、扉閉まンねえぞ」
「へ!?」

 そのまま金槌を反転させて、釘抜きの方を釘の頭に引っ掛けるように、手を重ねたまま誘導される。脚立に腰掛けたあたしと後ろに立つ一角さんの顔はちょうど同じ高さにあるらしく、耳元で低い声が何かしらの指示を出しているんだけれど、文字通り手取り足取りの状況でどぎまぎとした頭にはその意味は入っては来てくれない。

「……って、椿姫ちゃん、聞いてっか?」
『わ、は!聞こえてますが聞いてません!』
「何だそれ。やり方、教えてやってんだから集中しろ。覚えるんだろ?」

 ふいに肩口に一角さんの顎が乗せられたから、驚いて訳の分からないことを言ってしまった。憧れの人にこんな半分抱き締められていると錯覚するかのような状況で、まともな精神状態でいられるわけがない。

『集中できる訳ないじゃないですか!』
「何で?」
『だ、だって、こんな、こんな…………、』
「な、集中出来ねえだろ?」
『……え?』

 そうして解放されたと思ったら、今度は脚立ごと向き合わされて、まだまだ心臓が落ち着かない。一角さんは一つ咳払いをした。

「稽古もいいけど、甘味処でゆっくり話とかしてえんだけど」
『ええと、甘いのよりお酒に合うようなものの方が好きそうですよね、一角さん』
「何でもいいぜ。甘味のあとに夜飯行くのもいいし。……って、がっつきすぎか」

 苦笑いしながら頭を掻く一角さんに、無問題、と親指を立てたら、嬉しそうに笑ってくれた。



(了)



このあと交換した伝令神機のプロフィール画像も、サムズアップの一角さんだったらかわいい。



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