関係者以外立入禁止の札を横目に、その「関係者以外」をこうして易々と通しているわけだけれど、技局のセキュリティは大丈夫なのかと一瞬心配になった。
「お、何か珍しいのが居る」
どこからか声が聞こえて、辺りを見渡せば、今しがた通り過ぎた扉が少し開いて、煙草を燻らせる阿近が姿を見せた。
ちょいちょいと手招きをされて、外の光が射し込むそこに足を踏み入れる。
『教えてもらったとこに居ないと思ったらこんなとこに居たの』
「ア?あ、俺?探されてたの」
『これ順番に回ってるはずだから見てるはずなんだけど、阿近のだけ無い』
なぜかあたしが取りまとめ役になっている三席会の議事録と後の報告書を差し出せば、阿近は一瞬それに目をやって、事も無げにそれを喫煙所のベンチに投げた。
『ちょ、今投げた?投げたよね確実に』
「忙しいンだよ、俺」
『知ってます!だからって阿近だけやんなくていい理由にはなんない』
強めに言ってしまったら、灰皿に煙草の先を押し付ける阿近に無言で見つめられる。そのまま無言の阿近が近付いて、顔を覗き込むようにされたから慌てて口元を隠した。
『ちょー!ちょっと、何しようとしてんの』
「キス」
『ばか……!ここどこだと思ってンの』
「久しぶりに顔合わせたらそりゃァしたくなるだろ」
表情一つ変えず当たり前のように言ってのけた阿近は、ごそごそと白衣のポケットから煙草を取り出して、またそれを燻らせる。
その姿にいつもこっそり見惚れているなんてことは、恥ずかしいから絶対に言わないけれど。
『この前、阿近が欠席した三席会の後にさ、』
「うん」
『斑目くんに「お前見かけによらずモノ好きなんだな」って鼻で笑われたんだけど、もしかして喋ったんでしょ』
皆まで言う前に吹き出した阿近は、ベンチに腰掛けたまま肩を震わせる。こうやって笑う姿はまだ見慣れていない程に、阿近とそういう仲になってまだ日が浅い。
言うなって言われてねえから、と笑った余韻のままに言われて、確かにそうなんだけど、と口籠る。バレたら困るというものでもないけれど、誰かに知られたら十中八九驚かれるだろうし、それを想像するととても気恥ずかしく感じる。
というか、研究室に籠りっきりの阿近が誰かとこういう類の話をするのが想像つかなくて、口止めする必要性も感じなかった。
*
ただ紅茶を淹れるという作業が、阿近の滑らかな手つきにかかれば途端に非現実的になる。それを受け取って、向かい合って座っていても、恋人同士というよりは、問診でもされている様な気分だった。
「椿姫ちゃんさ、……俺でよかったの」
『……え?何、って、うん。てか、どうしてそんなこと聞くの』
「俺こんな肌見離さず持ってんの初めてかも知ンねえのに」
軽く溜め息をついた阿近は、無造作に伝令神機を机上に置いて、全然鳴ンねえの、と呟いて珈琲を啜った。
三席会でたまに顔を合わす程度の阿近は、いつも不思議な雰囲気を纏っていて、まるで別次元に居る様な感覚だった。だからと言って、極端に無愛想だという訳でもなく、待ち時間の間には他愛も無い会話を交わした。
いつも余裕綽々で、淀みなく、簡潔に、意見する様な人に、お酒が入っているからとはいえ、歯切れの悪い辿々しい口調で、はにかみながら告白されて、嬉しくない訳がないし、断る理由も無かった。
『だって阿近、見るからに忙しそうだし……』
「それ理由にすンなら一生連絡取れねえよ」
『……迷惑とか、』
「別に出られなきゃ出ねえし、かかってくるだけで迷惑とか、そんな理不尽な奴だと思われてンの、俺」
慌てて否定したけれど、上手く言葉が見つからなくて、ただカップの中の紅茶を眺めた。
「物分りがいいのは助かる時もあるけど、良すぎるのはどうかな」
『うん、………ごめん。今度から、もうちょっと小まめに連絡するね』
盛大な溜め息が返ってきたから居たたまれなくなる。したらしたで窮屈・束縛されてるみたいだの、控えたら控えたで他所に行かれたり、丁度いい塩梅がいつも解らなくて、そのせいで今までロクな恋愛をしてこなかった。
横に座り直してきた阿近に顔を上げたら、ふいに不安げな視線とぶつかった。
「違う違う。あー……難しいな」
『難しい……?阿近にも解ンないことあるの』
「あるよ。だから、教えて。……会いたかった?」
耳元で囁かれて、抱き締められる。鼻を通る阿近の匂いは紛れも無く現実だった。
頷いたら、今度はほっとした様な息遣いが耳元をくすぐる。体を離して見つめ合ったらすぐに唇が重なった。
「連絡の頻度なんかどうでもいい。会いたい時は会いたいって言って欲しい」
『うん』
「ただ椿姫ちゃんにも俺を、求めて欲しい」
『う、ん、』
「そしたらこういう回りくどいこと、しなくていい」
ソファの上で覆いかぶさられて深まる口づけの合間に、紡がれる言葉に頭がぼんやりとした。頭上に手を伸ばした阿近から翳された書類を見たら、きちんと完成した報告書だった。
「俺、仕事はできる方なんだよな」
『知ってる』
「こうでもしねえと会いに来ねえと思って」
『あたしの性格、よく解ってるね』
「そりゃァ調査済み。色々と」
『……こわい』
「何か知られたらマズイことでもあんの」
不敵な笑みを浮かべる阿近は、きっとあたしが知らないあたしのことまで知ってるんじゃないだろうか。
「誤差はあるけど、細胞の数だって解る」
『……阿近の頭の中どうなってんの』
「ん、椿姫ちゃんで一杯」
はにかんだのを誤魔化すように、口づけられて、可愛くて笑ってしまう。同時に、不安が押し寄せる。幸せなのはいつも一瞬で、その終わりは突然にやってくる。
やんわりと阿近の胸を押し返したら、熱を帯びた瞳が揺れた。
「引いた?」
『引かない、……嬉しい』
「椿姫ちゃんがモノ好きで良かった」
『ねぇ、阿近。ずっと、離さないで居てくれる?』
バカみたいなことを言っている自覚があったから、恥ずかしくて唇が震えた。言っても言わなくても、終わりがくるなら、せめて後悔しないようにしたかった。
「勿論。幸せにする」
胸が一杯で、喉がつかえて、何も言えなかったから、ただ阿近にしがみつく。好きだよ、とぎゅうと抱き締め返してくれた腕が力強くて、あたしの頭の中も阿近で一杯になった。
(了)