彼女の誘惑
夜、ミドルポート。
ラズロは数人の仲間を連れ、買い出しに来ていた。
今朝から村中を歩き回っているというのに、まだ船に戻れない。
久しぶりの街にはしゃいだジュエルとポーラが、道具屋に入ったきりなかなか出てこないのだ。
おそらく新しい服でも見ているのだろう。
その2人以外はもう買い物を終え船に戻っているのだが、リーダーとして、女性2人を置いて船に戻る訳にはいかない。
道具屋の外で、2人が出てくるのを待っているのであった。
(やっぱり、コナミさんも連れて来れば良かったなぁ)
船を降りる前、コナミの部屋を訪れ声をかけたのだが、まだ眠いからと断られてしまった。
それを無理にでも引っ張ってくればよかったかなぁ、なんて考えながら、ラズロはちいさく息をつく。
一緒に街を見て回り、店でコナミが気に入ったものがあれば買ってプレゼントして───
未だした事がない“コナミとのデート”を頭の中に思い描き、ラズロはにこにこと頬を緩める。
(…今度、改めて誘ってみよう)
そう決心すると、ラズロは微笑みを浮かべながら夜空に浮かぶ月を仰いだ。
「ラズローーーっ!」
ジュエルとポーラを待ち続けて数分後。
背後から名を呼ばれ、ラズロは振り返りながら声の主を探す。
「! チープー、どうしたの?」
ラズロを呼んでいたのは、ネコボルトのチープー。
チープーはラズロのすぐそばまで駆けてくると、膝に手を当ててぜえぜえと肩で息をした。
「船で何かあった?」
「ちがうんだ、オレさ」
彼は、息を整えてから申し訳なさそうに口を開く。
「昼頃ルイーズさんが出かけてさ、伝言を頼まれてたんだけど、伝えるのをすっかり忘れてたんだ」
「ルイーズさんが僕に? 何て?」
「『急用が出来たから明日の昼まで外出する』って」
「…それが伝言?」
「うん」
首を傾げたラズロの真似をして、チープーも首を傾げる。
「『これだけ言えば分かるから』って言ってたけど」
チープーの言葉に、ラズロはうーんと唸りながらしばらく考えた。
ラズロのいない間に外出したというルイーズ。
そしてそれをわざわざ、チープーに伝言させた意味とは───
「───ああ!!」
突然大きな声をあげたラズロに驚き、チープーはびくりと毛を逆立てた。
「ど…どしたの、ラズロ?」
「チープー、店の中にジュエルとポーラがいるから、2人が買い物終わったら一緒に船に戻ってきてくれる?」
「え、うん、良いけど…」
「じゃ、僕船に戻るから! よろしく!」
そう言うと、ラズロはものすごい早さでその場から去っていく。
ぽつんと残されたチープーがもう一度、首を傾げた。
* * * * * * 駆け足で船へ戻ったラズロが一目散に目指したのは、船内にあるサロン。
いつも、ルイーズが切り盛りしている酒場だ。
ラズロはサロンの扉を思い切り開くと、すぐにカウンターへ目線をやった。
(遅かったか……)
カウンターに突っ伏している女性───コナミの後ろ姿に、がっくりと肩を落とす。
いつもはルイーズが立っているサロンのカウンター内には、代理だろうか、見知らぬ女性が立っていた。
「…あの……」
「あら、こんばんは」
おず、とカウンター内の女性に声をかけると、こちらに気付いた女性がにこりと笑う。
どうやら、ラズロの事を知らないらしい。
「あの…この子、連れて帰りますね」
机に突っ伏しているコナミの頭をぽんぽんと撫でながらラズロがそう言うと、女性は怪訝そうな顔をした。
「…貴方お名前は?」
「あ、ラズロと申します、…この子の彼氏です」
言い切ってから、妙に誇らしい気分になる。
女性はそんなラズロを見つめて少し固まった後。
「お待ちしておりました!」
ラズロの手をとり、深々と頭を下げた。
女性は半泣きになりながら語った。
その女性は今朝、ルイーズから酒場の切り盛りを頼まれた際、
『コナミと言う女性が飲みにきても、ごく弱いものを2杯までしか与えてはいけない』
ときつーくきつーく注意されたのだという。
しかしサロンを訪れたコナミはルイーズが居ないと分かると、女性に『一生のお願いだ』と2杯目3杯目をねだり始めたのだそうな。
女性も『あと2、3杯なら大丈夫だろう』と軽い気持ちで、おかわりを注いでしまったらしい。
その結果コナミは、右も左も分からないほど酔っ払ってしまい、何人かの男に話しかけられていたのだとか。
しかし、『コナミの身柄はラズロという少年以外には引き渡しては駄目だ』
というルイーズの言葉通り、女性はコナミに言い寄る男たちを追い払い、ラズロと名乗る少年が来るのを今か今かと待ち望んでいたそうだ。
「…私が言いつけ通り2杯までにしておけば…」
女性はそう言いながらしゅんと頭を下げた。
ラズロは女性に「大丈夫ですよ」と笑いかけ、突っ伏したコナミの顔を覗き込む。
「全部で何杯飲みました?」
「ええと…4杯半…ですね」
返ってきた女性の言葉に、ラズロは小さく小さくため息をついた。
(…いつのも倍か……)
アルコール度数の低いものばかりだろうが、コナミにとって4杯半は泥酔するのに十分な量だろう。
現に、ラズロがコナミの肩を揺すり名前を呼んでみても、コナミはくったりとしたまま何も答えない。
「あああのあの、本当に大丈夫でしょうか」
「大丈夫ですよ、いつも寝れば治りますから」
心底心配そうな女性にそう言って笑いかけると、ラズロはコナミの身体を抱きかかえその場に立ち上がった。
(……お酒のにおいがする)
コナミから漂う、ほのかなアルコールの香り。
いつもはいくら酔っていても、飲む量が少ない為かアルコールのにおいはしないのに。
(…本当に、大丈夫だろうか)
そうは思いながらも顔には出さず、ラズロはコナミを抱え、サロンを後にした。
* * * * * * コナミの自室。
コナミは、その身体をベッドに横たえた瞬間、ぱかりと目を覚ました。
しかしほっと安堵の息をつく暇もなく、ラズロはコナミに身体を組み敷かれてしまったのだ。
いつもの逆だな、なんて冷静に考えつつ、促されるまま唇を重ねる。
そっと離れていったコナミは、酒の所為なのかこの状況の所為なのか、頬を真っ赤に染めていた。
「…ねー、ラズロ」
「何?」
「………しよ?」
笑顔で、首を傾げながらのコナミの台詞に、ラズロは真顔のままぴしりと固まる。
コナミはそんなラズロに構わず手のひらでするするとラズロの腹部をなぞってきた。
「ちょっ、ちょっと、コナミさん」
ラズロが慌ててコナミの手を抑えると、コナミがじ、とラズロを見つめて。
「嫌?」
「……嫌なわけないでしょう」
ラズロの言葉に、コナミがじゃあ良いじゃない、と言いたそうに目を細める。
コナミに首元を引っ張られ、せがまれるままにキスをする。
唇から伝わるアルコールの香りに、ラズロまで、頭がくらりと回るような感覚に襲われた。
(…ダメだダメだ、コナミさんは酔ってるんだ…)
ラズロの脳内で、まだほんの少し残っている理性が警鐘を鳴らす。
───コナミが酒を飲み、酔っ払っている時は手を出さない。
そう決めたのは、他の誰でもないラズロ本人なのだ。
「…私ねぇ」
必死で欲望と戦っているラズロに、コナミが呑気な声で話しかける。
「ラズロに、我慢させてるんじゃないかと思っててね…」
「我慢?」
「したいのに、我慢してるんじゃないかと思ってねぇ」
会話は成立しないが、コナミの言いたい事は何となく分かる。
彼女も彼女なりに、思春期のラズロの気持ちを考えてくれているのだろう。
酔った事で、それが表に出てきてしまったのだ。
「…コナミさん…嬉しいけど、僕…」
「心配しなくてもねぇ、忘れたりしないよ?」
「……いや、絶対忘れると思う」
コナミの言葉に、ラズロはぼそりと苦笑まじりに呟いた。
我を失い、人を押し倒して誘惑するほど酔っ払ったコナミを見たのは初めてだ。
これほど飲んでいるのなら、明日の朝にはきれいさっぱり今夜の記憶を無くしている事だろう。
「…覚えててほしいからってだけじゃないんだよ?」
「……んんー?」
首を傾げたコナミの頭をぽんぽんと撫で、その身体を引き寄せる。
コナミはくったりとラズロに身を任せていた。
「…なんか、大事にしてないみたいで嫌なんだ」
ぽそ、と呟くと、少しの沈黙の後、コナミがぎゅう、とラズロの腰に両の腕を回してくる。
「えへへ、ラズロ〜」
そう、名を呼んで甘えてくる様子はまるで猫のようで。
頭を撫でると、気持ちよさそうに目を細める。
(………可愛いなぁ)
ラズロはくるりと身体を反転させ、今まで自身の腹の上に乗っていたコナミを組み敷いた。
「……ラズロ…」
ちいさく名を呼んだコナミの唇を、己のそれで塞ぐ。
コナミはいつもとは違い大人しく、抵抗する素振りすら見せない。
むしろ、ラズロの肩に腕を回し、それを受け入れているくらいだ。
ラズロはそんな、いつもとは違う反応を楽しんだだけで、そっとコナミから身体を離していく。
ベッドに腰を落とすと、以前エレノアから教わった兵法三十六計を思い出しながら、随分前から熱くなっていた自身を必死でなだめた。
「………ラズロ」
「…へ、あ、え? 何?」
横になっているままのコナミにぽつりと名を呼ばれ、ラズロは彼女を振り返る。
「あのね…、……大好きだよ」
コナミは今にも眠りに落ちそうなとろんとした瞳でラズロを見つめると、ちいさなちいさな、蚊の鳴くような声で囁いて。
次の瞬間には、すぅ、と眠りに落ちていったようだった。
ラズロは、コナミの寝顔を見ながら深いため息をつく。
「…はぁ……、…したいなぁ…」
ラズロがぽつりと呟いた心からの言葉は、誰に聞かれる訳でもなく部屋に溶けて消えていった。
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