夢にまで見た、
停泊中の根性丸。
コナミは廊下の角に身を隠したまま、速まる心臓の音を必死で抑えていた。
この角を曲がり少し進んだところに、ラズロと、名前も知らない女性が立っている。
つい先ほど その女性がラズロに告白をしていたのを偶然聞いてしまった。
ラズロの返事が気になって、この場から動き出せずにいるのだ。
ラズロはコナミの幼なじみであるが、想い人でもある。
子供のころからずっと一緒に過ごしてきた、コナミに最も近しい位置にいる異性だ。
あの女性のように、想いを告白したいと思ったこともある。
しかし今までのような関係ではいられなくなってしまう事への恐怖が、コナミの決心を鈍らせていた。
「ありがとう…でも、ごめん…」
かすかに聞こえたラズロの声に、コナミははっと我にかえる。
しかし まるで自分がそう断られたような感覚に陥り、未だに動き出せないでいた。
「どうしてですか…?」
聞こえてきた女性の声は、震えている。
「…好きな子が、いるんだ」
継いで聞こえてきたラズロの声が、妙に頭に響く。
彼に好きな人がいるなんて、初耳だった。
「…それって、コナミさんの事ですか?」
唐突に現れた自分の名に、コナミの心臓がどくりと跳ねる。
「……違う。…君の、知らない子だよ」
静かに響いたラズロの言葉に、コナミの頭の中が真っ白になった。
そしてとにかくこの場からいなくなってしまいたい一心で、そっと近くにあった階段を駆け上がる。
───告白すらしていないのに、振られてしまった。
自室に入り、閉めた扉に寄りかかりながら ずるずるとその場にへたり込む。
なんとか抑え込んでいた涙が、せきを切ったかのように溢れ出した。
* * * * * * あれから、ラズロの顔を見ることができず、彼を避ける日々が続いていた。
ラズロを避け始めてから5日目の昼過ぎ、どうにも身体がだるく、医者であるユウのところに相談に行くと風邪だと診断された。
薬を飲まされ、熱にふらつく足でなんとか自室に戻ると、すぐにベッドに横になる。
薬の効果かすぐに眠気が襲ってきたが、しばらくはうとうとと夢と現の狭間をさまよっていた。
そんな中、ちいさなノックの音がコナミの耳に届く。
誰かが来たのが分かったものの、眠気に勝てず、目を開けられない。
しばらくするとキィ、と音をたてて扉が開いた。
ジュエルかな、と、ぼうっとした頭で考える。
医務室から自室に戻る道すがらですれ違い、風邪だと話すとしきりに心配してくれていた。
「コナミ…?」
聞こえてきた声はジュエルのものではなく、最近避け続けていたラズロのものだった。
ラズロが部屋にいると分かると、さすがに眠気が覚めた。
しかし今更目を開けるのも変な気がして、何よりどんな態度で接したらいいのかがまだ分からない。
コナミは、このまま眠っているふりをしていようと心に決めた。
何かがそっと額に触れて、すぐにそれがラズロの手のひらだと分かる。
もしかしたら、ジュエルに体調不良だと知らされて、心配して来てくれたのだろうか。
コナミの胸が、きゅ、と痛む。
やっぱり好きなんだ、とラズロに対するやり場のない想いを噛みしめていると、額にひやりとした冷たい物を乗せられた。
濡れたタオルか何かだろうが、火照った身体に心地よく、コナミを再び睡魔が襲う。
ラズロは何をいうでもなくただそばにいるようで、その安心感が更に眠気を増長させた。
一瞬、浅い眠りに落ちたが、すぐそばの衣擦れの音にぼんやりと意識を取り戻す。
しかし目を開ける事はできずに、コナミは相変わらず目を閉じたままうとうととしていた。
ふと、ベッドが小さく軋んだ。
目を閉じていても、自身に影が落ちているのが分かる。
次の瞬間、唇になにか柔らかいものが触れた。
熱にぼんやりとした頭で、その感触の正体を考える。
そっと頭を撫でられ、ちいさな足音のあと、扉を閉める音が聞こえてきた。
「────っ!!!!」
コナミはがばりと半身を起こすが、目眩がし、再びベッドへと倒れ込む。
───ラズロに、キスをされた。
手で抑えた口元には、まだあの感触が残っている。
その後ジュエルがポーラを連れて見舞いに来てくれたが、尋常じゃないくらい熱が上がっている、と心配させてしまった。
* * * * * * 次の日。
熱は微熱まで下がり、コナミは食堂で少し遅い昼食をとっていた。
食べ終わり食器を片付けていると、ふと、調理場を挟んだ向こう側の席に、ラズロの姿を見つけた。
どく、と心臓が脈打つ。
会わないように時間をずらしたつもりだったが、無意味だったようだ。
幸いラズロはコナミにはまだ気づいておらず、食事の最中だ。
コナミはとりあえずこの場を離れようと、そっと席を立った。
「あーコナミ!おはよう!熱下がった!?」
よく通る大きな声に驚き振り返ると、そこにいたのは 満面の笑みを浮かべたジュエル。
「あ、お、おはよう…」
コナミはなんとか食堂から出て行こうと別れるタイミングを見計らうが、ジュエルの話はなかなか終わらない。
ふいに、ジュエルの視線がコナミの背後に移動して。
「ラズロもいたんだ!おはよう!」
ジュエルの口から出た“彼”の名前に、コナミは咄嗟にジュエルの横をすり抜けて食堂から逃げ出した。
ジュエルがコナミの名を呼んだが、振り返る事すらできなかった。
とにかく全速力で逃げ出したコナミは、すぐに自室にたどり着いた。
───とにかく部屋に入って、一人になろう。
そしてもしジュエルが心配して見にきてくれたら、今までのことを相談してみよう。
そう思いながら、部屋のドアノブに手を開けて扉を開いた瞬間。
後ろから延びてきた手が、開こうとした扉を勢いよく閉める。
「…コナミ」
背後から延びた手の持ち主は、誰でもない、ラズロで。
「コナミ、どうして逃げるの」
「べ、べつに、逃げてなんか」
息を切らしながらも、いつもより低いようなラズロの声に、コナミの声が震える。
「…コナミ、こっち向いてよ」
「……やだ」
「コナミ」
ラズロの手が、コナミの肩を掴み、普段の彼からは想像もつかないような強引さで、無理やり振り向かされる。
久しぶりにまともに見たラズロの顔に、胸が高鳴った。
こんなに好きなのに、ラズロには好きな女性がいて、それは自分ではなくて、でも、ラズロは自分にキスをした。
避けて逃げ出したら追いかけてきて、でも、ラズロには別に好きな女性がいて、それは自分ではなくて。
コナミの瞳から、涙が溢れる。
止めようと思っても止められるはずもなく、コナミは両手で顔を隠した。
「! …コナミ、どうしたの」
ラズロが、驚きながらもコナミの肩にそっと触れる。
答える事ができずにただ泣きじゃくっていると、ラズロの腕がそっとコナミの肩を抱いた。
一瞬、その温もりに寄り添いそうになるが、コナミの胸がずきりと痛んで。
どん、とラズロの肩を押し返すと、ラズロは驚いたような、傷ついたような顔をしていた。
「コナミ…?」
「…っ、なんで、好きじゃない人に、こんなことできるの!?」
思わず、声を荒げる。
「好きじゃないのに追いかけてこないでよ!好きじゃないのに抱きしめないでよ!
…好きじゃないのに、…キス、なんか、しないでよ……」
その言葉と共に、コナミはその場にしゃがみ込んだ。
何も言わずに佇むラズロの存在が、今はただ痛い。
しばらくの沈黙のあと、ラズロがそっと、膝を折り、俯いたままのコナミを抱きしめた。
「なんっ…」
「どうして、僕がコナミの事を好きじゃないって思うの?」
「……それは、っ」
一瞬、口ごもる。
偶然とはいえ、人の告白を盗み聞きしていたのは褒められる行為ではない。
「どうして?」
答えを躊躇っていると、ラズロがそっとコナミの顔をのぞき込んできて。
真っ直ぐなその瞳は、答えなければ離さないとでも言っているかのように見えた。
「…実は…、この前、ラズロが告白されてたのを…」
「───見てたの?」
語尾をにごすコナミに、ラズロが問う。
「…うん…、…ラズロ、好きな人がいるって、言ってた」
頷きながらコナミがそう言うと、ラズロは慌てて口を開いた。
「あれは、コナミの事だよ」
そう言ったラズロの顔が赤くて、コナミは自分の目と耳を疑う。
でも、あの時は確かに───
「…違うって言ってた」
君の知らない人だ、と。
ふい、と顔をそらせながら言うと、ラズロは俯いて。
「…あの人の口からコナミに伝わってしまったら嫌だったから、とっさに、嘘をついたんだ」
ラズロの言葉に顔を上げると、同じく顔を上げたラズロと目があった。
その真っ直ぐな瞳から、目をそらせなくなる。
「ちゃんと、自分の口から伝えたかったから」
そう言ったラズロが、ふ、と微笑んだ。
「コナミ、好きだよ」
コナミの瞳から、ぼろ、と涙がこぼれる。
ラズロは笑いながら、その涙を拭った。
「私、私も…」
本当は、恥ずかしさから顔をそらしてしまいたいが、涙を拭ったラズロの手がそのままコナミの頬を包んでいて。
「好きだよ…」
ちいさく、ちいさく囁く。
それでもちゃんと聞こえたらしく、ラズロは照れながらもにこにこと笑っていた。
ラズロが先に立ち上がり、コナミに手を差し伸べる。
「ジュエルが心配していたから、話しに行かないと」
そう言ったラズロは、自身の手を取り立ち上がったコナミの手を離さずに。
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