「───ラズロ…っ!!」
オレンジ軍の本拠地、大型船・根性丸。
ほとんどの者が寝静まった深夜に、コナミは自らの寝言で目を覚ました。
「……ぁ、…?」
無意識のうちにちいさく漏れた声は、静かな部屋の中に溶けて消えていく。
心臓の音が頭に響いて、脳までもがドクドクと脈打っているような、奇妙な感覚だ。
「…夢……?」
そうは呟きながらも未だに頭は真っ白のままで、今が夢か現かの判別がつかない。
コナミは忙しなく辺りを見回すと、ベッドを降り、無理やり伸びをした。
「……」
足元の感覚を確かめるように、わざと足音を鳴らして部屋の中を移動する。
机の上に置いてあるポットを操りコップに水を注ぐと、一気にそれを飲み干した。
暫くしてようやく意識がハッキリしてくると、考える間も無く部屋を飛び出していた。
向かうのは勿論、ラズロの部屋だ。
───先ほどの夢の中で、ラズロはコナミの目の前で灰になり、風に流され消え去ってしまった。
必死でコナミが伸ばした手は、何も掴めなかった。
それが本当にただの夢だった事など、少し考えれば分かる。
しかしどうしても、自身の目で 彼が生きている事、そして この世に存在している事を確認しないと安心出来なかった。
つい駆け出してしまいそうな衝動を抑え、祈るような気持ちで足を進める。
ラズロの部屋が、いつもより遠く感じた。
ラズロの部屋に着き、少し弾んだ息を整えてから、コンコン、と小さく控えめなノックをする。
いつもならラズロが足音やノックの音でコナミを判別し すぐに扉を開けて応えてくれるのだが、待てども待てども返事が無い。
おそらく眠っているのだろう。
疲れているだろうし起こしては悪いと思うものの、彼の顔を見ずには 心のざわつきを抑えられない。
静かに、静かにドアノブを捻る。
そうして音も立てずに開けた扉の隙間から、そっと室内を覗き込んだ。
部屋の中は真っ暗である。
眠っているにしても ちいさな灯りすら点けていないのはおかしい。
コナミは室内にラズロが居ない事を確信し、そのまま扉をゆっくりと開いていった。
やはりラズロの姿は無かった。
椅子の背もたれの部分に、彼がいつも着ている上着が掛けてあるだけだ。
コナミはふらふらと室内に足を進めると、その上着を手に取りぎゅうと抱きしめた。
───目を閉じると、先ほど見た夢の内容が頭の中で再生される。
コナミはすぐにハッと目を開き、ブンブンと頭を振って頭の中の映像を振り払った。
じわ、と滲み出してきた涙を、必死で堪える。
このまま部屋で待っていればそのうちにラズロが戻ってくるだろうが、こんなに静かな部屋に一人でいると、余計な事を考えてしまいそうだ。
コナミはラズロの上着を元あった場所に戻すと、彼の姿を探す為、彼の部屋を後にした。
* * * * * *───食堂、風呂場はとうに閉まっていた。
甲板に出る扉には、「強風の為 立ち入り禁止」の札が掛けられていた。
その後ラズロの部屋をもう一度訪れてみたが、まだ戻ってきていなかった。
そうなると、ラズロはおそらくサロンにいるのだろう。
サロンは、深夜になっても賑やかで、扉の隙間から明るい光が漏れている。
酒にもゲームにも興味がないコナミにとっては、深夜は特に近寄りがたい場所だ。
しかし勇気を出して、そっとその扉を開いてみた。
薄暗かった廊下とは真逆の眩しい室内に、つい、眉を顰める。
サロンの奥の方にいるラズロの姿を すぐに見つける事が出来た。
しかし、彼は沢山の人々に囲まれ 賑やかに話をしている。
コナミと共に過ごしている時とは全く違う表情だ。
おそらく今はリーダーとして、仲間たちとの親交を深めているのだろう。
コナミにとって、それは なかなかに入りづらい空間だった。
「あら、こんな時間に珍しいわね? いらっしゃい」
コナミの存在に気付いた女性───ルイーズが、声を掛けてくれた。
「あ、いえ」
コナミは慌てて首を横に振るう。
ルイーズはカウンター越しにコナミを眺め目を細めると、ラズロのいる方向に一瞬目線をやり、「呼ぼうか?」と問うてくれた。
「いえ、いいです、ありがとうございます」
「何か用事があるんじゃないの?」
「いえいえ、大した用事じゃないんです。 失礼しますね」
「そう?」と言いながら、ルイーズは不思議そうに首を傾げる。
コナミは彼女に改めて礼を言い、サロンから逃げるように立ち去った。
───薄暗い廊下が、なんだか落ち着く。
リーダーとして振る舞うラズロはなんだか別人のようで、彼なのに、彼ではないようだった。
しかし、コナミが探していたラズロは 確かに彼に違いないのだ。
本当は、起きているならば少しくらい話をしたかったが、あの状況では諦めざるをえない。
明日の朝にでもまた部屋に行こう、と思いながら、とぼとぼと廊下を歩んだ。
「……はぁ…」
無意識のうちに、ため息が漏れる。
こんな沈んだ気持ちのまま布団に潜っても、きっと眠れないだろう。
こんな時は海を眺めて波の音を聞いていれば少しは気が紛れるのに、今日に限って甲板に出られない。
ラズロの部屋で、彼が戻ってくるまで待っていようか?───いや、疲れているだろうし、気を遣わせてしまうと悪い。
ほんの少しだけ顔を見て、ほんの少しだけ話をしたら すぐに出て行けばいい───駄目だ、こんな時間に会いに来ただなんて、何かあったのかと心配させてしまう。
コナミの頭の中で、“どうしても彼に会いたい自分”と、“彼に迷惑をかけたくない自分”が議論する。
そんな風に色々考えてはいるが、結局コナミの足は 自分の部屋に戻るように進んでいた。
ふと、コナミの瞳からぽろりと涙が溢れる。
彼が恋しくて仕方がない。
抱きしめてほしい。
頭を撫でてほしい。
一人でいたくない。
もし彼がリーダーなんて責務を負っていなければ、思う存分甘える事が出来たのか───なんて、自分勝手な事を考えてしまう。
コナミは自身の中に燻っているそんな暗い感情を吐き出すように、深くため息をついた。
そして、涙を拭おうとした瞬間。
突如背後から伸びてきた手が、コナミの腕をがしりと掴んだ。
───その手には、見覚えがあった。
「……っ」
考える間も無く、コナミの胸が一瞬で高鳴る。
頬に伝う涙も忘れ 振り返った。
「コナミっ、さっき、サロンに来───」
「ラズロ…!」
ラズロの言葉を遮ってまで 彼の名を呼んだ声が、つい、震える。
そしてコナミは、振り返った勢いのまま どさりと彼の腕の中に飛び込んだ。
「! ……コナミ…?」
頭上から降ってきたラズロの声は、明らかに戸惑っている。
しかし涙を抑えられなくなったコナミがその腕の中で肩を震わせていると、彼は何も言わずに優しく抱きしめてくれた。
───涙は、止まらなかったし、止められなかった。
彼の温もりが、彼の香りが、夢はやはり夢だったのだと安心させてくれる。
あれだけ賑わっていたサロンの中、ほんの数十秒 顔を出しただけの自分を見つけてくれた事。
そして、走って追いかけてきてくれた事。
それらを嬉しく思う気持ちと、心配をかけてしまった事を申し訳なく思う気持ちが、コナミの心の中でごちゃ混ぜになる。
ラズロは、コナミの嗚咽が落ち着くまで 何も言わずに抱きしめてくれた。
「…っ、…ご、ごめんね…もう、大丈夫…」
数分後。
ようやく涙の止まったコナミが、そう言いながらラズロから離れようとした。
しかしラズロの腕は、コナミを抱きしめたまま離さない。
「ラズロ…?」
コナミが困惑しながら名を呼ぶと ラズロはやはり身体を離さないまま、ぽつりと口を開いた。
「コナミ、…何か、あった?」
「……」
コナミは何も答えられなかった。
もし「貴方が灰になってしまう夢を見た」と言ったら、彼はどんな気持ちになるのだろう。
コナミより、本人の方がそれを恐れている筈なのだ。
正直に理由を話すのは、躊躇われた。
「……怖い夢を、見たの」
コナミは頭の中で必死に言葉を探しながら口を開く。
ラズロはコナミを抱きしめたまま 、黙って聞いてくれていた。
「ラズロが、……私を置いて、いなくなっちゃう夢」
「……」
「ただの夢だって分かってるんだけど、すごく、怖くなって…」
話しながら、また声が震えた。
彼は目の前にいるのに、生きているのに、今掴んでいるこの彼の腕が、次の瞬間にはざらりと溶けてしまうのではないかという恐怖に襲われる。
「……っ…」
無意識のうちに、強い力で彼のシャツを握りしめてしまっていた。
───いなくならないで。
そう言いかけて、でも、言えなかった。
一番紋章の力に脅かされているのは、他の誰でもない 彼本人なのだ。
「……」
何も言えなくなってしまったコナミに対して、ラズロは変わらず無言のまま、一定のリズムでコナミの背中を撫で続けてくれた。
トン、トン、トン、トン。
落ち着きなく不整だったコナミの心音は、いつしかそのリズムに合わせて穏やかなものへと変わっていく。
───本当に、不思議だ。
ただ抱きしめられているだけで、特別な言葉を投げかけられる訳でもない。
コナミの抱えている不安や恐れは何も解決していない。
にも関わらず、とてつもなく安心する。
ざわついていた心が、整っていく。
「……ラズロ、ごめんね」
「ん? 何が?」
ふと我に返り、コナミはラズロを見上げ ぽつりと言葉を紡いだ。
ラズロは相変わらず、コナミを離そうとしない。
「サロンで皆で話してたのに、私、邪魔しちゃって…」
「ああ、そんなの全然平気だよ、話してたって言っても、ほとんどダリオさんしか喋ってなかったから」
「そ…そうなんだ」
「それにね」
ラズロが、にこ、と笑う。
「コナミの方が大事だから」
「……」
さらりと吐かれたその台詞に、コナミは頬が熱くなるのを感じた。
リーダーである彼が リーダーとしての交流より個人的な用事を優先してしまうなど、本当は褒められた事ではないのだろう。
しかし、彼の気持ちが嬉しくて、つい口元が緩んでしまう。
それを隠す為 ラズロの腰に強く抱きつき その胸に顔を押し付けてぐりぐりと動かしていると、頭上から、ふふ、とちいさな笑い声が聞こえた。
「…少し、落ち着いた?」
「……うん」
優しく落とされた問いに、顔を上げないまま頷く。
───またサロンに戻ってしまうのだろうか。
もし「まだダメだ」と言ったら、もう少しそばにいてくれるだろうか。
そんなワガママな考えに、心の中で自らを叱りつける。
ラズロの身体が、ゆっくりと離れていく。
頭をひと撫でした彼の手のひらが、するりと頬を滑った。
「……コナミ」
名前を呼ぶ声にも愛情が込められているような気がして、コナミの頭が甘く痺れる。
頬を包んでいない方のラズロの手が、コナミの腰を抱いた。
数秒見つめ合った後、ラズロの唇が、優しくコナミのそれに重ねられる。
「───……」
「……」
唇が離れると、なんとも言えない空気が流れた。
コナミの方が先に耐えられなくなり、ラズロの胸にぼすんと顔を埋める。
「な…なんで…キス、したの?」
「うーん? したくなっちゃったから」
何となく 小声になりそう問うと、ラズロも小声でそう返してきた。
「……外でしちゃダメって、いつも言ってるのに」
「へへ、ごめんごめん」
軽い感じで謝ったラズロは、やはり口元を緩ませている。
本気で悪いとは思っていないだろう。
「───ふふっ…」
しかしコナミも、そんな彼につられて笑ってしまった。
「あ…やっと笑った」
ラズロが呟いた言葉に、コナミは目を丸くする。
ラズロは、嬉しそうに微笑みながら言葉を続けた。
「ずっと寂しそうな顔してたから、どうしようかと思ってた」
「……そうだった?」
「うん」
「…ごめん、もう平気だからね!」
コナミは慌てて両手で自身の頬を持ち上げ 無理やり口角を上げる。
しかしその手をラズロに握りしめられ、するりと引き寄せられた。
「…良いんだよ、無理しないで」
指と指の間に、ラズロの指が絡められる。
「───っ…!」
腕にぞくりと鳥肌が走った。
そのまま手の甲にキスを落とされたものだから、それは全身にまで及んでしまう。
「寂しい時は、寂しいって言って欲しい」
「…で、でも」
「僕相手に我慢する必要なんて、無いんだよ」
「……」
大きなラズロの手が、すっぽりと優しくコナミの手を包んだ。
「……ありがとう…」
「ふふ、どういたしまして」
ぽつりと呟くと、ラズロは嬉しそうに笑う。
「じゃあ、今夜は一緒に寝ようか?」
「……」
次いで彼が発した言葉に、コナミは、どう答えたら良いのか一瞬悩んでしまった。
これからまたサロンに行かなくてはならないのではないのか。
一緒に寝るだなんて、気を遣わせてしまってラズロが熟睡出来ないのではないか。
いろいろ考えたが、彼の言葉を思い出し、素直になってみる事にした。
「うん…一緒に寝る」
「えっ」
「えっ?」
コナミの言葉に、ラズロは素っ頓狂な声を上げる。
コナミもつい同じような声を出してしまったところで、ラズロが目を丸くして半歩下がり 両手を若干広げた妙なポーズで固まった。
「…な、なに、その反応」
「いやっ、違っ、断られると思ってたから───」
ラズロの口元が、嬉しさを隠しきれない、といった風にふよふよと震えている。
「えっ…、あの、ほ、…本当に?」
「……う、うん…」
コナミがちいさく頷くと、ラズロはその場で飛び跳ねる勢いで拳を握りしめた。
そわそわと落ち着きのなくなった彼を見ながら、つい、コナミの口元から笑みが漏れる。
「あっ、ちょっとだけ待って! 皆に挨拶だけしてくる」
ラズロがぱっと顔を上げ、そう言いながらサロンのある方向をちらりと振り返った。
「私部屋で待ってるから、ゆっくりしてきてもいいよ?」
「…コナミ、また気遣ってるでしょ」
「…、あ…」
問いに対して返ってきた言葉に、コナミはハッと口元を抑えた。
ラズロが、怒っている風を装ってわざとらしく眉をつり上げて見せる。
しかしすぐに柔らかく目を細め、コナミの頭をぽんと撫でた。
「一緒に行こう。 すぐ戻るからさ、サロンの前で待っててよ」
言いながら伸ばされた彼の手を、考える間も無く握り返す。
彼はコナミの手を引き、ゆっくりとサロンのある方向へ歩み始めた。
コナミはラズロの半歩後ろを進みながら、彼の手の感触を確かめるように にぎにぎと自らの手を動かす。
灰になって消えたりなんてしなさそうな、頼もしい手だ。
「……ラズロっ」
胸にこみ上げる暖かな感情を抑えきれないまま、彼の横に並び、その腕にぎゅうと抱きつく。
目を閉じてみても、悪夢の映像なんて 流れ込んでこなかった。
それどころか、今布団に横になれば数秒で眠りにつけるだろうというほど気持ちが落ち着いてしまう。
「……不思議」
ちいさくぽつりと呟いた独り言は、ラズロの耳に入る事もなく薄暗い廊下に落ちる。
抱きついたラズロの腕に頭を擦り寄せると、彼が嬉しそうに笑った。
それはまるで、(魔法みたいだな)
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