月と星

4-4.四方の神


 ゼロの姿が水柱に呑まれて消えたとき、リンクの思考は雷鳴の速度まで加速した。彼を水魔の手から救い出す方法を瞬間的に選び出し、

「チャットは索敵、アリスはゼロを」簡潔に指示を飛ばす。

 二手に分かれた白と青の光は、これ以上ないほど分かりやすく位置関係を示した。捕食者から獲物までの距離を。あれが縮まる前に、片を付ける。
 リンクはゾーラの仮面をつける寸前で止め、目を閉じた。策はある。だが、ゼロを確実に助けられるという保証はない。左手が汗ばんでいた。

『大丈夫だ、いける』

 リンクは息をのんだ。ミカウの声だ! 仮面に宿るゾーラの魂が、呼びかけてきたのだ。

『守るための力を、攻めの力に転じる――ゾーラの勇者の血を引くオレには、それができる!』

 視界がクリアになるようだった。リンクはゾーラの姿に変身し、迷わず水路に飛び込む。
 チャットとアリスが照らし出す道に目を凝らした。そこには、波間に浮かぶゼロを飲み込んでしまおうと大口を開ける、巨大な魚の魔物がいた。

 させるか!

 リンクは最高速度で水を切り、青い電撃で構成されたバリアを展開した。魔物がひるむ。ぐったりしたゼロを抱え、飛び魚のように水面からジャンプして、足場に戻った。
 空気に触れて、バチバチと電撃がはじける。元々この力は、自分のまわりに防壁を張って身を守る「ネールの愛」という魔法だった。それがミカウの助けを借りて、攻防一体となったゾーラバリアへと進化したのだ。

 だが新たな力を持ってしても、間一髪の救出劇だった。ゼロの右腕は牙に切り裂かれて真っ赤に染まっていた。

「げほっ」

 水を吐き出して意識を回復したゼロが、一番に耳にしたのは。氷の矢の冷気もかくやと思われるような、絶対零度の声だ。

「……もう二度と落ちるなよ、ド阿呆」

 ゼロは蒼白な顔で、何度も首を縦に振った。

「アリスはその阿呆を見ていてくれ」
『わ、わかりました』

 身を翻したリンクの後ろに、チャットが従う。

『あいつの正体が分かったわ。巨大仮面魚グヨーグよ。皮膚が硬いから、正面から挑んでも攻撃が通らないと思う。さっきの電撃、口の中とかに浴びせられない?』

 ゾーラの勇者は無言でうなずいた。
 完璧なフォームで水に舞い込み、尾ひれ側からグヨーグを追いかけた。バリアが届く範囲の目前まで迫ったとき、魔物は身を捻って口から幼魚を吐いてきた。

「!」

 バリアではじき飛ばそうとするが、いかんせん数が多い。リンクが水中でたたらを踏みかけたとき、頭上に青い光が生じた。光は誘蛾灯のように群れを引きつけ、水面近くに来たところを、氷の矢がまとめて凍らせる。
 ゼロとアリスの連携攻撃だった。特にゼロは利き腕を怪我しているのにも関わらず、かなりの命中精度を維持していた。

「リンクの背中はオレが守るからっ」

 そんな声が聞こえた気がした。リンクは片頬だけで笑い、思い切ってグヨーグの口の中に飛び込む。ぞろりと生えた牙にかすりでもしたら、ゼロの二の舞だ。思わずチャットが悲鳴をあげかけるが、彼はものともしない。落ち着き払って、最大出力でバリアを展開した。魔物の肉が焼けたせいで、水中なのにどこか焦げ臭い。すぐに咥内から離脱する。グヨーグは苦悶しながら足場に躍り出た。最初とは違って、瀕死の状態である。

 あわててゼロがよけると、グヨーグは陸地で跳ねながらどんどん小さくなり、やがて一つの仮面へと姿を変えた。見るからにまがまがしい雰囲気を醸している。

「これが……災厄の元凶だったんだ」

 ゼロは薄気味悪そうに腕をかき抱く。さすがの好奇心の固まりといえど、あの仮面においそれと触れる気はないようだ。

「ああ。これでまた一つ、魂が解放される」

 グヨーグの亡骸を拾い上げたリンクを、幻想的な光が包み始めた。貧血と痛みでぼうっとするゼロの目の前で、彼とチャットは忽然と姿を消す。

「リンクっ!?」





 リンクとチャットがこの場所を訪れるのは、三度目だった。厳密には毎回違う場所なのだろう、一度目は沼の清浄な気が肺を満たし、その次は雪解け水が足下を冷やした。そして、今回はあたりに潮の香りが漂っている。
 夢の中のように曖昧な空間で、彼は遙か雲の下から生えている二本の足を見上げる。この足が、神殿にまつられた四方の神である、「海」の巨人のものなのだ。

『ねえ、聞いて。アナタたちの力をかして欲しいの。このまま放っておけば、この世界は大変なことになるのよ! きっと、それを止められるのはアナタたちしかいないのよ。トレイルはそれが言いたかったんだわ!』

 トレイルは、いつかの別れ際に「沼・山・海・谷の四人の人たち……つれてきて」という言葉を残した。二人はそれを信じて、まつられているはずの神殿に逆に封印されてしまった巨人を助け、トレイルがいる決戦の場に連れていくため、旅を続けてきたのだ。
 空気を震わせて巨人が発する古い言葉を、チャットが翻訳していく。

『と・も・を・た・す・け・て』

 チャットは「友」という単語の響きに、なぜか寂しいものを感じた。

『わかっているわよ。後一人助ければいいんでしょ。そのかわり、約束してよ。私たちに協力して……』

 それまで黙っていたリンクが口を開く。

「連れがいるんだが、そいつらと一緒に、海の大妖精の洞窟まで送ってくれないか」

 チャットははっとした。洞窟には治癒効果を持つ妖精の泉がある。彼は、利き腕にひどい怪我をしたゼロのことを、心配しているのだ。

『アンタ……』
「ついでだ、ついで。最後の『谷』の巨人も、必ず解放してみせる」

 リンクは冬空色の瞳を光らせて、決意を新たにした。


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