月と星






 ――春から夏へと近づくにつれて、日光は白さを増していた。屋内から出てきた瞬間は、なおさらそう感じるのかもしれない。次第に目が慣れてくると、「ゼロ」はおかしなものを見つけた。
 真っ青な空のキャンバスを、白い紙が割っていく。やがて三角に折られた紙は風にあおられ、今にも届きそうだった塀――城壁だろうか――に、ほんの少しだけ足らず墜落した。

 つまらなそうに紙を飛ばしていた「彼女」が、こちらに気づく。そこは屋上のように開けた場所だった。彼女はへりに腰掛け、細い両足を無防備にぶらぶらさせていた。あたりには、墜落したものと似たような白い紙が散らばっている。

「**さん」

 振り向いたのは。可憐という単語を、よく似合う洋服のようにぴったり着こなしている少女だった。陽光を反射して、ますます目映い肌。肩で切りそろえられた、月の光のごとく淡い金髪。身を包むのはシンプルな黒のワンピースだが、それがかえって匂いたつような美しさを引き立てた。

「どうかされたんですか」

 彼女の美貌に動じた様子もなしに、「ゼロ」は言葉少なに質問したようだ。

「……?」

 唇が上下しているのは分かるのに、肝心の言葉が聞き取れない。が、少女には意味を理解できたらしく、紙で折られた物体を指さしてみせた。

「これですか。『空飛ぶ船』、かな」

 空飛ぶ船?

「私の故郷の風習ですよ。こうやって紙を折って、遠くにとばすんです。故郷には海がないので、山の向こうからやってくる空飛ぶ船が、果報を運んでくるんですよ。そういう言い伝えです。変でしょうかね」
「……」

 そうでもない、と応じたのだろう。彼女はうれしそうに白い歯をこぼした。
「ゼロ」はひとつ、紙の船を手に取った。例に倣って、遙か天空へと放り投げてみる。折しも、追い風が優しく船を運んだ。

「あっ」

 空飛ぶ船はすうっと城壁を越えていった。やがて見えなくなる。

「果報、来るといいな」

 少女は「ゼロ」を見つめ、頬を染めてはにかんだ。





『ゼロさん、ゼロさん』
「はっ、ゴメン。またぼーっとしてたね」

 唐突な白昼夢にも慣れてきたゼロは、視野が回復すると同時に我に返った。空っぽになってしまった手を握りしめる。

(今回のはちょっと長かったなあ。それに、これまでより鮮明だった。あの場所はお城――なのかな。デクナッツの城じゃないみたいだったけど)

 男はうんうん唸るゼロに気づかず、

「コンマん秒でも予定がくるうと、手紙が届くのが遅れてしまうのだ。公務員はつらいのだ……」

 頭を抱えている。赤い帽子を(例のごとくゼロのせいで)なくしてしまったことは、詫びるべきだろう。

「あ、あの」
「配達は何よりも時間が大事なのだ。だから、あとはキミに任せたのだ」
「はい?」ポン、と肩に手が置かれる。
「さらば、なのだ!」

 帽子を弁償しろということだろうか? 疑問を残したまま、彼はいずこかへと去ってしまった。

『あの方は、ポストマンですね。何度か見かけたことがあります』ゼロにも聞き覚えがあった。
「ということは、郵便配達をしてるのか。大事な手紙を落として、悪いことしちゃったな。
 それにしても『任せた』って、一体何を?」
『さあ……』

 そろって首をひねったゼロたちだった。答えの手がかりには、次に訪ねた西の門にて出くわすことになる。

「アッお疲れさまです! 町の外まで配達ですか」

 西の門番の態度は、先ほどまでの「旅人」に対するものと明らかに違った。配達という単語を頭の片端に置きつつ、

「緑の服を着た男の子が、こちらに来ませんでしたか?」

 門番は大げさにうなずいた。「あの少年ですね。グレートベイに用があると言っていました」

 目を輝かせたゼロは、礼を言ってタルミナ平原に出た。
 張り切って門をくぐれば、緑の草原と雲がゆったり流れる空が、視界いっぱいに広がった。西の平原の特色は、なんといっても彼方の海へと向かっていく解放感だ。一番初めの「三日間」でも味わった、この感じ。不思議と胸がうずく。もしかすると、この気持ちこそが「懐かしさ」なのかもしれない。

 はたと気がついた。ゴーマン兄弟の覆面、ロマーニのお面、そして先ほどのポストハットに触れた時――白昼夢を見た時の感覚と、「懐かしさ」は少しだけ似ている。

(どういうことなんだろう)

 アリスは未だ納得がいかないようだ。

『さきほどの門番さん、ゼロさんのことをポストマンと勘違いしていたみたいですね。一体どういうことなのでしょう。先ほどぶつかってしまったことと、関係があると思うのですが』

 一方で。ゼロにはある考えが、夜空に瞬く一番星のごとくきらめいていた。

「もしかしたらさ。これって、結構役に立つかも」

 ――その後、彼らは突然降ってきたポストマンという肩書きを存分に活用して、海賊の砦にたどり着くこととなる。


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