月と星

3-5.山の大妖精


 初めて降り立った山は、どこか春の予感がした。

 溶け残った雪の下から新芽が顔を出している。寝転がりたくなるような草のカーペットがなだらかに広がり、爽やかな空気は、遠くからせせらぎの楽音を運んできた。

 どのシーンを切り取っても、はじまりの兆しに満ちている。

「今って……初夏、だよね」

 夜の帳が下りた山里を見渡しながら、ゼロはつい、博識な相棒・アリスに確認をとりたくなった。

『ええ。刻のカーニバルがあるくらいですから』
「と、いうと?」
『刻のカーニバルは、作物の豊穣を願うお祭りです。秋の収穫に備えて、干ばつや日照不足がないよう祈るんですよ』

「へえ〜」いかにも初耳だった、という表情から察するに。下手をすれば、ゼロはまだ見ぬ「四日目」のカーニバルを縁日の親戚とでも思っていたのかもしれない。アリスは少し不安になる。

 二人をここまで運んできたフクロウが、重々しく頷いた。

『この前まで、この山里は冬だったのじゃ』
「冬だった? ああ、標高が高いから」
『いえ……』

 アリスは考える。原因はそれだけではない、と勘が告げていた。

 遅れて、デク花を使って滑空していたアキンドナッツが到着した。うまく風を掴まえたフクロウが途中で追い抜いてしまったのだ。

 長い空の旅を終えたアキンドナッツは、商品(もしくはおみやげ)の詰まった皮袋をどっさり地面におろした。

「ふう、お待ちどおさま。相変わらずここは寒すぎるッピ〜。
 んじゃ、こっちッピ!」

 溶けかけの雪をブーツで踏みしめ、案内人についてゼロたちは斜面をのぼった。フクロウも低空飛行でついてくる。

 山。こういう形で訪れることになるとは、露ほども想定していなかったけれど。ゼロは次第に胸がわくわくしてきた。

「頂上まで登ったら、どんな眺めだろうね」

 好奇心に頬を紅潮させながら、横に並ぶ妖精に囁きかける。

 やがて。山肌に、クロックタウンで見たものとよく似たデク花を見つけた。アキンドナッツが声をかける。

「おーい。同胞かつ同僚のご到着だッピ、歓迎するッピ〜!」しかしデク花からの返事はない。「もしかして……寝てるッピ?」耳を澄ませども、物音一つ聞こえない。
「あーっ! もう!」

 じれったくなったアキンドナッツは、大荷物の中を漁って、一抱えはある黒いケースをとりだした。

「なんだろう、あれ」
『デクラッパですよ。デクナッツたちの好む楽器です』

 小声で会話する間にも、アキンドナッツはラッパにマウスピースをはめ込み、数度鳴らして具合を見ていた。

 ラッパの口から流れ出したのは、ごく単純なメロディラインだ。それを幾度も繰り返していく。耳に残った節が現在の旋律と響き合って、輪唱しているようだった。
 フクロウも翼を体にぴたりとくっつけて、曲に聞き入っている。

 目覚めのソナタ、とアリスが呟いた。ゼロはしばらくしてそれが曲名だと把握する。

「うーん……」

 デク花がゆさゆさと身じろぎした。町ナッツはマウスピースから口を離し、至近距離で畳みかける。

「早くするッピ、ねぼすけ! お客さんだッピ」

 ねぼすけ。ゼロの耳には痛い言葉だ。脊髄反射的に居住まいを正してしまう。

 親孝行ナッツに容赦なく蹴られて(げしっという効果音まで聞こえた)、やっとのことで居眠りナッツは覚醒し、デク花から飛び出してきた。

「……む、うん? おおっ! 懐かしい顔がいたもんだッピ。いったい何の用だッピ?」

 ありがたいことに、寝起きはいい方らしい。「お客さん」であるゼロが割って入った。

「青いクスリを買いに来たんです。ありますか?」

 そのためにここまで足を運んだのだ、なければ困る。必死さを滲ませつつ、勢い込んで訊ねた。
 山ナッツは笑顔で答えた。

「なあんだ、それならお安いご用、あるッピよ。在庫は常に十二分ッピ。だってココ、寒くてお客さんあんまり来ないし……。おっと、ごめんごめん。1パイ100ルピーだッピ」

 ゼロはほっとして、すぐさま銀色の石を取り出す。が、反応がないので少し不安になり、

「あの、100ってこれですよね?」

 山ナッツの目線はゼロの手元に集中していた。当たった皮膚が焦げそうなくらい熱い目線だ。

「そのサイフ――!」

 意味ありげに町ナッツは目を光らせる。

「そう。アレだッピ。このお客さん、とんでもないVIPだッピ」
『私たちも由来を知らないんです。このおサイフ、いわくつきなんですか?』アリスがゼロに代わって尋ねても、
「それは、そのうち分かることだッピ。とにかく、お代は結構だッピ。まさかそのサイフをこの目で見られる日が来るとは」
「もういっぺん目に焼き付けたいから、ちょっと近くに……あっいいッピ、そんな恐れ多い! しまってくれッピ!」

 ゼロは妖精と顔を見合わせた。さっぱり事情が飲み込めない。しぶしぶルピーとサイフを戻すと、山ナッツは安堵の息をつく。

 こうしたやりとりを、フクロウは少し離れたところから面白そうに眺めていた。

「じゃ、クスリの入れ物を出してくれッピ」

 こんな時こそ、と空きビンを取り出した。マニ屋でアリスを閉じこめていたこれも、あらゆる用途で活躍してくれている。ゼロの名誉のために注釈をつけるが、毎回洗っているので内部は清潔に保たれている。

「これにお願いします」
「了解ッピ」

 山ナッツの商品袋から取り出されたのは、雑貨屋で見たものとよく似た青いツボだ。その中から空きビンへと、どろっとしたブルーの液体が注がれる。

(大丈夫なのかな、これ)

 ゼロの口元がひきつった。正直、とても飲み物には見えない色だ。おまけにかなり青臭い。これを病人であるリンクに飲ませるのか……。内心頭を抱える彼を、アリスが励ました。

『きっとリンクさんも分かってくれますよ』
「そうだといいなあ」

 申し訳なさに苛まれつつ、ゼロはこのビンと幾ばくかのルピーをフクロウに差し出した。宿代プラス(余計なお節介かもしれないけれど)オバケ退治の謝礼も含めている。

「これをリンクに――クロックタウンのナベかま亭にいる子供に持っていってくれないか」
『おやすいご用じゃ』

 いくらゼロが邪険にしようと、フクロウはいつも寛大で協力的だった。一青年のささやかな反逆など、気にも留めていないのかもしれない、予言の大翼は。しっかりと足にお届け物を掴み、復路へと飛び立っていった。


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