月と星



 空が白むにつれ、戦闘も加速度的に激化していった。増員に次ぐ増員により、もはや守るべき家畜よりもオバケの数が上回っている。ゼロは目の前の敵に対処するのに精一杯で、ロマニーの方にまで気が回らなくなってしまった。アリスは気を利かせ、時折動静を確認してくれた。なかなか健闘しているらしい。

 こんなときに限って、普段よりも時間の流れは遅く感じるものだ。寝ていればあっと言う間なのに。

『夜明けまでもう一息ですよ!』

 妖精の励ましにも、ろくに返事をしないまま。指を動かし、一連の動作を繰り返す。またひとつ光がはじけた。

 張りつめて疲れた心は、たびたび思考の海を漂った。沼の大妖精から授かった「炎の矢尻」、あれを活用すれば劣勢をはね返せるかもしれない。……さすがに乾いた牧草地での使用はためらわれたが。取るに足りない考えが、泡のように浮かんでは消える。

 漫然と矢の補充に伸ばした手が、むなしく空を切った。

「こ、これはまずい……」

 木箱内のストックが底を突いたのだ。攻撃が止まることにより、ますますオバケは密度を高めていく。

 再び地面が揺れた気がして、ふらついた。アリスが寄り添う。

『大丈夫ですか?』
「たぶん。……さあ、この状況をどうにかしなくちゃ」

 息を吐きつつ、考える。ロマニーに別の補給所を教えてもらうのはどうだろう。だが、消費した本数からすると、もはや在庫がない可能性が高い。約束したのに持ち場を離れるのも、如何なものか。

 ゼロはとっさに判断しかねた。急かすように、包囲網がスピードを増して狭まってくる。

(そう簡単に打開策なんて見つかるわけ――)

 瞬間。目前に迫ったオバケが、横様に飛来した矢によって上下に引き裂かれた。ように見えた。

 聞こえてきたのは、危機的状況に似合わぬからりとした馬蹄音。ゼロは混乱したまま、その方向を見やる。

 白い妖精を引き連れ。馬に乗った緑衣の騎手が、オバケたちを矢継ぎ早にしとめていく。あちこちから悲鳴が上がり、敵は牧場から速やかに駆逐されていった。

 奇跡的なまでのねらいの正確さが有利に働いていた。一直線に並んだ相手をまとめて始末、という神業さえ披露してのける。的を馬上から高精度で狙撃するそれは、流鏑馬(やぶさめ)と呼ばれる業に酷似していた。無論、ゼロには知る由もないことだったが。

 そのころの彼はというと。謎の人物の圧倒的な強さに見とれ、弓を持ったままぽかんとしていた。

(打開策の方が飛んできた……)

 アリスの羽がきらきらと輝く。

『日が昇ります!』

 水平線が光を放った。タイムリミット、夜明けだ。あの猛攻をしのいだ残党も、日差しを浴びてことごとく消え失せる。牛小屋の向こうからロマニーの歓声が聞こえてきた。犬の遠吠えと、コッコの「コケコッコー!」も一緒だ。

 牧場の防衛を見事成し遂げた人物は、朝日をバックに馬を止めた。戦闘中に広く見えた背中は、思ったよりも小さい。

(か、格好いい……!)

 少年だ。子馬を降りて、まっすぐこちらに歩いてくる。夜明けの光を反射する、短く切りそろえられた金髪。その下には、意志の強そうな空色の瞳がある。身を包むチュニックの緑色がまぶしかった。幼いながら、挙措にはすでに風格があった。武人の貫禄が人の形を取れば、彼になるのだろうか。

 ゼロとアリスが固唾をのんで見守る中、少年は口を開いた。青い妖精を静かに見つめながら。

「――ナビィ?」

 二人はきょとんとした。どうやら人の名前らしい。少年の声にはわずかな期待が滲んでいたが、アリスは即座に否定した。

『妖精違い、では。私はアリスと申します』

 少年は口元に手をやった。「ナビィ」という名前を出したことにも、意識がいっていなかったようだ。

 なんとなく黙りこんでしまった輪の中に、ロマニーがスキップで乱入してきた。

「バッタくん、いや勇者くん! やっぱり来てくれたのね」
「その呼び方はやめて欲しい」

 眉をしかめる少年。ロマニーは不満げに頬を膨らませた。

「だって、名前教えてくれなかったじゃない」
「そっちが聞こうとしなかったからだろ」
「じゃあなんて名前なの?」

 少年が返答に窮した。その隙をつき、蚊帳の外だったゼロが会話に割り込む。言葉の爆弾をひっさげて。

「ね、君。もしかして昨日、チンクルって人からマップを盗まなかった?」

 次の数瞬、いくつかの出来事が立て続けに起こる。

「――っ!」
『待ちなさい!』

 はっとした少年が背負った剣に手をやるのを、白い妖精がすぐに阻止した。この制止がなければ、ゼロはクエスチョンマークを浮かべたままザックリ斬られていただろう。今や少年は、こんな考えを納得させるほどの殺気を発していた。

「え、え、え」

 ロマニーに対して開いていた彼の心は、鋼鉄の扉によって閉ざされてしまったようだ。こちらをひたと見据える底なしの空色が怖い。

 アリスが庇うように前に出た。声に滲む困惑は隠しきれない。

『すみません。どういうことですか、これは』

 白い妖精が謝る。

『失礼したわ。……昨日って言ったわね。昨日ならそんな奴に会った覚えはないわよ』
「知らない名前だな。何なら証言をとって見ろ」

 腕を組み、少年も話を合わせた。

「そんな、本人から聞いたのに」

 キッパリハッキリと否定されてしまい、しどろもどろになるゼロ。少年は鋭い視線を容赦なく浴びせてくる。

「『盗んだ』なんて、人聞きの悪い言葉を使ったのは謝るよ。だから……」

 とりつく島もない返事にも、必死で食い下がる。大妖精の予言が外れるわけがないのだ。「一日目の深夜から二日目の早朝」に現れた人物は彼しかいない。同じ三日を繰り返している以上、この少年がチンクルからマップを持ち逃げするのは決定事項だ。

 だがしかし。白を切るにしても、二人の素振りには自信がありすぎた。

 のけ者にされたロマニーが、つまらなそうに口をとがらせた。

「ねーねー何の話? 勇者くんってば、実はどろぼーくんだったの」
「断じて違う!」
「絶対チンクルさんの言ってた人はキミだよ。旅してるんでしょ、だったらマップも必要だよね」
『ちょっと待ってください!』

 収拾のつかなくなった会話を、アリスが一喝して止めた。

『そろそろクリミアさんが起きる時間です。ロマニーさんと私たちは寝所に戻った方がいいでしょう』
「あっ」
「そうだった! おねえさまが心配するといけないわ」

 ロマニーが急いで犬を抱き、母屋に入った。同じく戻ろうとしたが、ゼロは厳しい顔の少年に引き留められる。

「ドッグレース場にいる。あとでじっくり話がしたい」

 とても断れる雰囲気ではなかった。唾を飲み込んで何度もうなずく。

 ゼロは逃げるように母屋に駆け込んだ。


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