月と星






 ゼロとアリスは、ミルクロードと呼ばれるのどかな小道を南に向かって歩いていた。

「一日目」の日はすでに高い。毎度のことながら、ゼロの起床時刻が昼の十二時ぴったりだったせいである。

 前回の「三日目」は、まだ夕方だったにもかかわらず時が巻き戻った。クロックタウンで月を眺めながら迎えた前々回の「三日目」よりも、早い時刻だ。時がリセットされる時刻は一定ではないらしい。事前にあらかたの用事を済ませておいて正解だった。

 沼の大妖精にチンクルの件を伺ったところ、

『ふむふむ、そのマップ泥棒の居場所ネ。任せなさい、すぐ調べるから。
 うむむ、”一昨日”の深夜――いや”昨日”の早朝に、南のロマニー牧場ってところにやってくるであろう。だって。
 ……ん? おかしいわネ、一昨日なら”やってきていた”かしら。でも、”やってくる”の方が正しい気がするワ〜』

 二人は顔を見合わせてにやりとした(アリスもそういう雰囲気だった)。

 チンクルは「一昨日、クロックタウンで盗まれた」と言っていた。ゼロたちからすると「一日目」の出来事だ。つまり時が巻き戻った後に犯人を訪ねれば、確実に代金を徴収できる。(本当は盗み自体を防げばいいのだが、チンクルの頼みが「代金を取り返す」ことだったので、二人とも予防策をすっかり失念していた)

 ミルクロードは途中から二股に分かれていた。脇にはツルハシを持った男が暇そうに立っている。大工の棟梁ムトーの舎弟だろうか、同じ青色の法被を着ていた。

「すいませーん」
「うん? 何だい」
「どうしてこんなところにいらっしゃるんですか?」

 男は嫌でも目を引く容姿のゼロをしげしげと見つめ、

「ああ、それは……。ええとね、少し前までこの牧場への道はドデカい大岩で塞がれていたんだ。落石があったという話でもないけど、なんでだろうね。
 で、おれは町から派遣されてきて岩を崩そうとしてたんだけど、一人じゃ手が足りない。そんなときにゴロンの旦那がどこからともなくやってきて、大バクダンっていうおっかない発破で壊してくれたんだ」

 男の指さす周辺の草が妙な具合に焼け焦げていた。大バクダンとやらの威力のたまものだろう。アリスが問う。

『仕事がなくなってしまったのなら、町に帰ったらどうですか?』
「親方がさー、カーニバルがなくなるかもってイライラしてんだよな。実行委員だから、なんとしてでもお祭りを遂行したいんだろ。とばっちり受けるのも嫌だし、こっちの工事の期日もきてないのに帰ったら、何言われるかわかったもんじゃない」

 ツルハシをこつんと叩いて、男は笑う。嘆くというより、ムトーを心配するような口ぶりだった。同情しつつ、思わずゼロは尋ねていた。

「あなたは月が落ちると思っていますか」
「まさか。でも命は惜しいから、いざというときは母ちゃんつれて逃げるね」
「そうですか……どうも」

 喋るだけ喋ってしまうと大工は満足して、よっこらせっと座り込んでしまった。本当にここで夜を明かすつもりらしい。

 頭を下げて、ゼロは改めて牧場に針路を取った。看板によると、このあたりには「ゴーマントラック」と「ロマニー牧場」というふたつの施設があるらしい。二人が向かうのはもちろん、沼の大妖精の示唆した牧場の方だ。

 アリスがちらりと大工に視線を送り、

『犯人がやってくるのは”今夜から明日にかけて”でしたよね。宿はどうしましょう』

 しまった、とゼロは頭を抱えた。

「考えてなかった……。どうしよう、泊まれそうな場所なんてないよね。野宿、かなあ。魔物もいなくて平和そうだし」

 二日目はあいにくの雨だが、一日目深夜までなら満点の星空の下だ。なかなか得がたい経験だろう。タルミナ一を誇れるほど寝付きだけはいいので、ロケーションによる悪影響は考慮せずに済む。それよりも問題なのは、ゼロが相手の訪れる時刻に起きていられるか、だ。

「とりあえず、下見ついでに見学にいこうかな」

 ようこそロマニー牧場へ、と書かれたゲートをくぐると、眼前には広大な牧草地が広がっていた。ここまで遮蔽物のない場所には今までお目にかかったことがない。物珍しげにキョロキョロしてしまう、が。

「……何だろう、思ったよりも」
『閑散としていますね』

 牛の鳴き声はすれど、姿は見えない。延々と広い広い牧草地が続くばかりだ。しばらく道沿いに歩くと、遠くの方に家屋が見えてきたので、そこへ向かってみる。

「あっ、あなた……もしかして町の方から来たの?」

 不意に左手から声をかけられた。一人の女性が、放牧した牛の世話をしていたのだ。まとまりのある明るいブラウンの髪の毛を流し、シンプルなスカーフを胸元に飾っている。
 居るだけで場が華やぐような雰囲気にドキッとしつつ、ゼロは頷く。

「はい、そうです」
「そっか! じゃ、ミルクロードが開通したんだ。よかった、これでクロックタウンにミルクを配達できる……」

 笑顔がこぼれる。どうやらあの大岩に相当悩まされていたらしい。
 女性は歓迎の証にすっと手を広げ、

「『シャトー・ロマーニ』の里、ロマニー牧場へようこそ。ゆっくりしていってくださいね。私は当主のクリミアです」
「ど、どうも。ゼロっていいます」

 対する彼は、すでに耳が赤くなってしまっていた。自分ではどうしようもない癖だ。しどろもどろになる青年を差し置いて、珍しくアリスが口を挟んだ。

『”シャトー・ロマーニ”って何ですか?』

 ふわふわ浮かぶ羽の生えた青い光を、クリミアが物珍しそうに眺めた。

「まあ妖精さんね、こんな所で会えるなんて。
 『シャトー・ロマーニ』っていうのはね。ロマーニ種の牛から搾れて、飲むと体の中から魔法の力がわいてくるフシギなミルクなの。大げさだけど禁断にして至高、なんて呼ばれるわ。
 この幻のミルクをお求めの方は、クロックタウン東口・バー『ラッテ』にぜひお立ちよりください」
「はあ」
「私の営業トークどうでした? ちゃんと、マニュアルどおりにできたかな」

 ゼロはあわてて首を縦に振った。


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