月と星






 すらりと抜き放たれた剣は、僅かな光しか差さない森の中でもキラリ金色に輝く。呼吸を調え、一瞬に全ての気合いを込めて振りおろした。

「え、嘘っ!」

 期待を一身に受けた剣は、しかし甲羅の強堅な鎧に弾かれる。今まで数多の魔物を切り裂いてきた伝説は、このスナッパーによって潰えた。
 スナッパーは、回転しながら滑るようにゼロ目掛けて突っ込んでくる。あんな高速体当たりが直撃したら、いくら頑丈な彼でもひとたまりもない。横っ飛びでかわしてもギリギリだった。

「コウメさん、コウメさーん!」

 一撃で倒せなかったことで不利を悟り、まず老人から逃がそうと全力で叫んだ。返事は空から降ってきた。

「ワシのことなら気にするな。頑張れよ若造! ほほほ……」

 空虚な激励の言葉を残し、コウメは青い空に逃げた。ゼロは脱力しながらも、再びスナッパーの突進を前転で避ける。

「……仕方ない、適当にやり過ごして帰ってもらお」

 勝つことに対して大したプライドを持っていない彼は、逃げることを選択した。向かってくるスナッパーを足蹴にして跳び、近くの木の枝に移る。あとは木の上でしばらく待っていれば、機嫌を直してくれるに違いない。ゼロはやっと一息つくことができた。

 その時だ。敵を見失ってイライラとうろつくスナッパーに、何かがぶつかった。コツンと跳ね返ったのは何かの木の実だ。それを投げた張本人、さっと魔物の背後に回り、するすると木を上っていく小さな影は――

「……あの白いサル!」

 こちらを助けるつもりなのだろうか? いや、違う。ゼロを見て不敵に笑っている。耳に障る声だ。

 彼は直感した。あれはちょっかいを出して、余計にこじらせようとしているのだ。

「憎たらしいサルじゃのう」

 いつの間にか側を浮遊していたコウメが口を尖らせる。
 あからさまな挑発に苛立つかと思いきや、ゼロは眉を潜めてスナッパーを見た。

「いや、あれじゃ逆効果だ。ほら」

 木の実の降ってくる方向から敵の場所を特定したスナッパーは、サルのいる木に思いっきり体当たりを始めた。バラバラと実や葉が落ち、サルは揺れる木の枝から振り落とされそうになる。

「自業自得、いや因果応報じゃな。今のうちにさっさと森を出よう」

 コウメが木から下りるように促しても、ゼロは一歩たりとも動かない。その瞳には決意がみなぎっていた。

「オレ、後から行きます。あのサルにアリスのことを聞かなきゃ」

 コウメは声を立てて笑った。言外に「若いのう」と言っていた。

「なんじゃ、水くさいの。助けたいならそう言えば良いのに。
 して、どうやってあの魔物を撃退するのじゃ。その大層な剣も効かなかったのじゃろう」

 言い回しにカチンときたが、今はサルの方が優先だ。亀の魔物から視線をそらさずゼロは問う。

「スナッパーには弱点とかありませんか?」
「ある。外は甲羅で固めておるが、腹は柔らかいのじゃ。しかしどうやってひっくり返す?」

 まるで彼を試すように重なる問い。唇を噛んでゼロは考える。もし視線が光なら、焦げるほど見つめたあの甲羅。そこに、サルが必死に木の実を当てようとしているのが気になった。

「あの木の実はなんですか?」
「あれか。デクの実といって、衝撃を与えると弾ける木の実じゃな。よくサルどもがイタズラに使っておる」
「なるほど!」

 ピンと閃いた。ゼロは背中の鞘の横にくくりつけていた、大妖精からもらった「勇者の弓」を構える。

「弓でも剣でも同じだと思うぞ」

 減らず口は真剣な紅茶色の瞳を見て小声になった。やがてコウメは黙りこくる。
 ゼロは、既に声など聞こえていないようだった。ぎりぎりと限界まで弦を張りつめ、慎重に狙いを定める。

「おっ!?」

 コウメが叫んだ。なんとか枝にぶら下がっていたサルが、ついに落下したのだ。最悪のタイミング。しめたとばかりにスナッパーが迫る。その二者の間には、ぽつねんと転がる一つのデクの実。

「いっけえ!」

 ゼロの位置からは、小さな実は豆粒ほどにしか見えないはず。なのに、矢は糸で結んだかのように、まっすぐデクの実に突き刺さった。

 パン! 乾いた音と共に白い閃光が走り、一瞬森を明るく染め上げる。

「やった?」

 ストンと枝から飛び降り、素早く確認する。スナッパーは仰向けになって、甲羅を残して紫の煙とともに消えた。肝心のサルは――

「コウメさん、どうしよう……」

 ゼロはぐったりと倒れている小さな体を、沈痛な面持ちで抱き上げた。コウメは笑って首を振る。

「気絶しておるだけじゃ。問題ない」
「良かった……!」

 安心と疲労のあまりその場に崩れ落ちたゼロは、足元にデクの実が転がっていることを知らない。力の抜けた膝が実を割った。

 二度目の閃光に目を背けたコウメはため息をついた。

「まったく、とんだ災難じゃな」

 ふて腐れた台詞にもかかわらず、その顔はこみ上げる笑いに彩られていた。


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