月と星

1-7.ゾーラホール


 さて、これからどうしよう。ゼロは水で溶いた絵の具のように空に滲むオレンジの夕焼けを眺めて途方に暮れてかけていた。しかし、『ダル・ブルー』のリーダー・エバンの好意で、海の中にあるというゾーラ族の町に泊まらせてもらえることになった。

 ゾーラ族の町、ゾーラホールは天然の洞窟を利用してつくられた町だ。一階と二階に分かれており、ちょうど一階部分が外から見ると水底に沈んでいる。洞窟と言ってもかなり広く、一階ホールの天井部分は二階まで吹き抜けだ。一体どこで寝ているのかというと、洞窟の壁に扉があり、中には宿のように個室があるそうだ。どのような仕組みかは不明だが空気はきちんと循環されていて、おまけに壁は不思議な色に光っていた。おかげで夜でも明るい。

「これは魔法か何かで光っているんですか?」
「いや、違う。ある特殊な苔でね。松明を灯そうにも、ゾーラは炎が苦手なんだ」

 水は大得意なんだが、とエバンは笑った。

 一階の壁には穴が穿(うが)たれ、そこから外の海水が滝のように流れ出している。それはホール中を巡り、やがては水路でありゾーラ専用の通路でもある堀に満たされ、最後にはまた海へ還っていくのだ。ゼロがアリスと共に歩いているのは、その脇に申し訳程度にくっついている、陸を歩くヒト専用の平らな地面だ。
 灯火とはまた違う、硬質な光を発する苔が照らし出す水面を見つめる。彼はあっと声を上げた。水の中にはそこかしこに桜色の貝殻や、海岸でも見かけなかった目も冴えるような珊瑚色のヒトデがぼんやりと沈んでいた。その幻想的な光景に目的を忘れそうになる。

「先にルルの部屋に寄らせてもらうよ」
「あ、はい」

 エバンの一声で、やっとゼロはきらきら光る水面から目を離した。
 道は激しく飛沫をあげる滝の裏側へと続いていく。やがてエバンは壁にへばりついている、ある扉の前で不意に足を止めた。そして、ずっと俯きながら歩いていたルルを振り返る。彼女は明らかにびくっと肩を揺らした。
 その様子を見て、まるで冬のあいだ凍りついていた小川が春の訪れと共に融け出すように、エバンはふわりと笑った。

「今日は疲れたろ。もう寝ろよ」

 思わぬ優しい声に、はっとして顔をあげるルル。ああ、勝手にいなくなったことをエバンがまだ怒っているのではないか、と彼女は思っていたのか。ゼロはやっとの事で理解した。
 薄水色の目元をすっかり赤くして、ルルはエバンに向かって小さく頷く。そうして開けられた扉の中に入っていった。扉には「ルル」と刻まれたプレートが打ち付けてある。

 しっかり鍵までかけたのを確認してから、エバンはさっきとはうって変わった、ざっくばらんな微笑と大人の余裕を見せつつ、ゼロに片目を瞑ってみせた。

「さ、君の部屋の方に案内しようか」

 と、何事もなかったかのようにすたすた歩いていく。

 しかし、扉が閉まる前にルルの部屋をちらっと覗いてみたゼロは、未だに動こうとしない。アリスは不審がって、彼の耳元でそっとささやいた。

『……ゼロさん? どうかしましたか』

 ゼロは真剣な表情で腕を組んだ。

「いや……オレの部屋も水浸しだったらどうしようか、って」

 アリスは苦笑しつつも納得した。どうやらホール内だけでなく個室であるルルの部屋にも、海水が張ってあったようである。





 その危惧はありがたいことに杞憂に終わった。案内された部屋はゾーラホールの地上部分である二階に位置していた。調度はナベかま亭と同じレベルまではいかないものの、陸に暮らす人間用の乾いた部屋だった。気づかれぬように彼はほっと安堵の息を吐く。

「え、本当にタダでいいんですか?」
「ルルを助けてくれたお礼さ。大妖精様のことも仲間に話しておく。ただし、そのかわりに頼みがあるんだ」

 なんだろう、とゼロは軽く首を傾げた。エバンは若干話しづらそうだ。珍しく伏し目がちである。

「まだルルの声のことは、マネージャー以外の仲間には話していない。ライブができないと知ったら悲しがるからな。だから……」
「他の人には黙っていればいいんですね?」

 素早く意図を察したゼロに、エバンはああ、と頷いた。

「頼むぜ。じゃあ、俺は行くから」
「いろいろとありがとうございました」

 ゼロはきっちり頭をさげた。扉が閉まる。

 アリスがくるくる中空を舞った。

『今日はお疲れさまでした。もうお休みになりますか?』

 ゼロは背中の剣を、それを固定している革ベルトごと外し、ゆったりとベッドに腰掛けた。

「オレはちょっと休んだらゾーラホールを探け……見学してくるつもりだけど、アリスはどうする?」
『ふふ、探検……ですか。休まなくても大丈夫なのですか』

 アリスは柔らかく瞬いた。こういうとき、彼女はまるでお姉さんのようだ、とゼロは思う。

「まだまだオレは元気だよ。それより、せっかくだから目一杯観光しないと!」
『それもそうですね。では私もお供します』

 ゼロは銀髪を風にそよぐ木の葉のように揺らし、アリスを見た。
 結果として無理を強いるようなことになってしまったが、彼女も本当は探検したかったのかもしれない。ゼロは都合良くそう考えた。


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