月と星

7-2.鬼神リンク


 私の故郷は山の向こうにありました。
 山一つ越えるだけで、本当に何もかも変わるんですよね。気候も、土も、豊かさも。私の国はイカーナと比べてとても貧しかったんですよ。
 ああ、故郷といってもそこで生まれたわけではなくて、私が守護神をしていた土地なんです。鬼神さんもイカーナの守護神だったんですよね? なら分かるでしょう、生まれ育った場所ではないとはいえ、私はあそこに特別な愛着がありました。とても……。あそこがイカーナのように繁栄することこそが、私の夢でした。
 この世界――タルミナがタルミナになる前の話です。今のあなたはご存じないでしょうが、私たちが生まれた場所は神々の住む世界、天界と呼ばれていました。そして、人々の住む世界の中心がイカーナ王国です。その当時、神々と人々の住む世界は分かれていました。
 ……分かれたままだったら平和だったんですけどね。ある時、重大な事件が起こりました。この世界の礎を作った女神が、イカーナにあったある「秘宝」を、我々の住む世界――すなわち聖地の外に移すと決定したのです。
 当時、すでに聖地が生まれてから長い時が経っていましたが、その文明は停滞していました。神と人が手を取り合う争いのない世界――そこには進化も進歩もありません。女神は、神々と人々の世界をひとつにして、秘宝の力で聖地の外に新たな世界をつくり、秘宝は二つの世界のはざまに安置する、と決定したのです。
 その秘宝は世界をまるごとひとつ作り出せるほどの力を持っていたので、そのくらいは造作もないことです。しかし……私は反発しました。あの秘宝はきちんと天界で管理していかなければならないものなんです。触れた者の望みどおりに聖地を作り変えてしまう力を持つ、黄金の聖三角。それをヒトに託すなんてありえません。どんな悪者が聖地の主になるかも分からないんですよ。おかしいじゃないですか。故郷を闇の世界にしてしまうわけにはいかない、と私は考えました。そして、秘宝を奪うためイカーナに戦いを挑んだんです。
 結果、私は負けました。イカーナも滅んだので相打ちだと思われるかもしれませんが、我が故郷は聖地に戦いを挑んだ罰として光を奪われ、永遠の影の世界に沈みました。だから私の負けなんです。
 私はイカーナに与した大妖精に力と魂を抜き取られ、仮面の姿にされて、気がついたらあのお面屋の商品になっていました。そして秘宝は――トライフォースはハイラルとかいう国に移ったらしいですね。でもそこで戦乱があって、ついには魔王とかいう男がトライフォースを手にして。聖地は一度、本当に闇の世界になってしまったとか。もう、言わんこっちゃないですよね。
 私はお面屋から逃げ出すためにあの小鬼を利用して、さらにこの月をつくりました。タルミナの人々はもう忘れてしまったでしょうが、鬼神さんは月の象徴を持つ神なんです。だからこれを落として、タルミナなんて間違った世界はもう壊してしまいたい。
 ……ああ、それは許容できませんか。なら武器をとってください。分かっていましたが、私たち、どうやら戦うしかないようですね。
 でもこれだけは聞いてください。鬼神さん――いいえゼロさん、あなたは時の勇者によってつくられた存在です。あいつが聖地の主になったせいで、鬼神さんが作り変えられてしまった。やつの望む通りに思考し行動する、都合のいい存在になってしまったんです。
 ああ、本当に悔しい。時の勇者は人々の希望の星なんでしょう? 星ということは、月を象徴に持つあなたと同じ夜空に昇れる。でも私は太陽を司る死神――沈んでも必ず昇る生と死の象徴は、月と一緒の空に昇れないんです。あの予言の大翼も昔そう言ってましたね。本当にそのとおりだったなあ……。
 ――それでも私はあなたを取り戻したい。そのために、時の勇者を亡き者にしてみせましょう。



「ゼロさん」
 出し抜けに、女性の声がした。
 優しさとしたたかさを併せ持った声だ。だがゼロの視界は白い光に閉ざされ、声がどこからやってくるのか分からない。そもそも、自分が立っているのか座っているのか寝転がっているのかすら分からない。
 しかし、何度も呼びかけられるうちに、だんだん視界がクリアになっていく。
「ゼロさん、本当にありがとうございます」
 す、と唐突に白い世界に姿を現したのは、金の髪を腰まで垂らしたドレスの女性だった。彼女の輪郭がはっきりするにつれ、白い光が去っていき、世界が現れる。そこは高い石壁に囲まれた中庭だった。
 ゼロは女性を見てびっくりした。彼女は知り合いに似ていた。
「え、ルミナ?」
「いいえ」
 即座に首を振られる。確かに、よく観察すればルミナとは雰囲気も細かい顔の造作も全く違う。何故間違えてしまったのだろう。
「ですが、彼女は私の分身です」
「分身!?」
 話についていけず、ゼロは目を白黒させる。
「タルミナでリンクの手伝いをさせようと、聖地に干渉して送り込んだのですが……あなたがいたならその必要はなかったようですね」
 何もかもお見通し、という雰囲気の彼女は、底知れぬ力を所有しているようだった。
「え、えっと、もしかして、あなたは時の女神様……?」
 ドレスの女性はくすりと笑った。
「女神だなんて。どちらかと言うと時の賢者ですね」
「賢者様、ですか」
 リンクは確か故郷で時の勇者と呼ばれていたはずだ。何か関係があるに違いない。
「もしかして、リンクの故郷の人ですか」
「ええ。私はハイラルの王女ゼルダです」
 ゼルダは優雅にドレスの端をつまんで頭を下げた。国や姫という単語はゼロにとっては遠い存在だ。どうやらハイラルは、デクナッツの王国やイカーナ王国ともまた違う様式を持つ国らしい、ということだけ分かる。
「リンクの故郷のお姫様が、どうして……」こんな場所で、しかもオレに感謝の言葉をかけているのだろう。
「私は今、時の扉を――こちら側の聖地を通してあなたに干渉しています」
 聖地。ムジュラに告げられた言葉が蘇り、はっとするゼロ。
「すでにご存知でしょう。私がいるのは時の勇者リンクが守ってくれた『七年後』のハイラルであり、ここの聖地は魔王を封印した場所です。ですが聖地という場所は、時間と空間を越えて『七年前』ともつながっているのです」
「は、はあ……」
 個々の単語はかろうじて分かるが、それが正しい意味とつながりをもって理解できるわけではない。しかしゼルダは必要以上の説明をする気がないらしい。
「ゼロさん、あなたはリンクをずっと守っていてくれましたね。本当に、感謝しています」
 唐突にゼロは思い出した。自分は月の中の世界で、大鎌の一撃を受けてリンクの目の前で倒れたのだった。
「でもオレ、ムジュラにやられて……」ならば今いるこの場所は、気を失っている間に見ている夢の中ということになる。
「いいえ、それは大丈夫ですよ」
 ゼルダは断言した。ここまで穏やかに言い切られると、「ならそうかな」と思えてしまう。
「それよりも、リンクに伝えてほしいことがあるのです」
「あ、はい、なんなりと」
 彼女はなかなか強引な性格らしく、ゼロは押され気味だった。
「タルミナの成り立ちについてはすでにムジュラの仮面から聞いていますね。リンクがトライフォースを手にして聖地を作り変えたのは、残念ながら本当のことです。しかし、あなたなら分かるでしょうが、タルミナは何もかもリンクの都合だけで動いているわけではありません」
 ゼロはうなずいた。
「……はい。オレは自分で考えて行動してます。誰になんと言われようと、そうなんです」
 彼には自信があった。なぜなら、本当にタルミナがリンクにとって都合のいい世界だったなら、サコンに時のオカリナを奪われるなどという珍事件は発生しないからだ。絶体絶命のピンチに陥るような事件を、創造主がわざわざ引き起こすはずがない。
 つまり、リンクは自分に仇なす者の存在すらも認めているということだ。ゼロはそのことが無性に嬉しかった。どこまでも理想を追求できるはずの世界なのに、小さな悪を排除しない。それはリンクが、「人は誰しも少しくらい悪さをする」と認めているということだ。
 彼は、とんでもなく大きな器を持っている。だからこそ世界を救える勇者なのだ。
 ゼルダは我が意を得たりと首肯する。
「そうです。あなたにはあなた自身の意志がある。それに、ゼロさんの届けるべき思いはタルミナだけでなく、もっとたくさんの人々のものなのです」
「たくさんの?」
「聖地が、いえハイラルがかつて闇の世界と化した時、リンクは時の勇者となって国を救ってくれました。ですが、皆が感謝を伝える前に、私は彼を元の時代に送り返してしまった。あれは私のおかした大きな過ちでした」
 ふと、ゼロは背後に気配を感じて振り返る。いつの間にか中庭には大勢の人々がひしめいていた。種族も性別も年齢も、何もかもがバラバラだ。でも皆が一様に希望に満ちた目をして、ゼロを見つめている。彼らの中には、タルミナの人々……アンジュやクリミア、ルルによく似た人もいる。
 この人たちが今のリンクをつくったのだ。リンクは彼らと離れてからもその思い出を胸に抱き続け、タルミナに生ける者として命を与えた。
 ゼロは、彼らが同じ場所に集ってハイラルの平和を祝う、そんな幻を見た気がした。
「様々な種族が集まったあの宴を、彼にも見てほしかった。本当に、私は間違えてばかりです」
「そんなことないですよ。きっとリンクだって納得しています。それに、彼が元の時代に戻ってくれたから、オレはリンクと出会えたんです」
 はっとしたゼルダは沈んだ表情を取り消すと、頭を下げた。
「ゼロさん、あなたは私たちの願いをも引き継ぐ存在です。どうかこの感謝を、彼に届けてください」
「分かりました」
 ゼロはしっかりと首を縦に振った。ゼルダは安心したように肩を下げる。
「それと――」
 気づけば、彼女のかたわらに青い妖精がいた。
 光の色はアリスと似ているけれど、声を聞かずともその妖精は自分の相棒ではない、とゼロは直感した。
「ゼルダとあなたの友だちが時の向こうで待っています、とリンクにお伝え願えますか?」



 真夜中のクロックタウンを三人と一匹が駆け回る。めおと二人に先導され、ルミナとアリスは「大きな楽器」が備えられている場所を目指していた。
 前を行くカーフェイが南広場の中央で立ち止まった。彼が見上げた先を、ルミナたちも視線を動かして追う。
「ここだ」
「ここって……時計塔じゃないの」
 つまり月の真下だ。今は巨人のおかげで動きが止まっているが、ここまで月が近いと圧迫感があって正直かなり怖い。
 アンジュはそんな終末だというのに妙に落ち着き払っていて、
「覚えてないのルミナ。昔この中に勝手に入って、散々大人に怒られたじゃない」
「ああ、鐘を鳴らすのか!」
 時計塔の中には鐘楼がある。あれならば音量は抜群だ。位置を鑑みても月の中まで届く音が出るに違いない。それに、鐘はいくつもあって音階をなしているので、しっかりメロディを奏でられるのだ。
 四人は急いで階段を駆け上った。途中の扉をカーフェイが持っていた鍵で開けると、昔いたずらで入った時に見たものと全く同じ光景が目の前に広がった。鐘楼はからくり仕掛けになっていて、手元の操作盤をいじると木槌が飛び出て鐘を叩くのだ。
 懐かしき子供時代のルミナは、定刻でもないのに無茶苦茶に鐘を鳴らして、あの温和なドトール町長にこってり絞られた覚えがある。もちろんカーフェイたちも一緒に。
 ルミナは息をととのえ、妖精に訊ねた。
「で、アリス、わたしはどうすればいいの」
『この譜面を演奏していただけますか』
 アリスは空中から楽譜を取り出し、ルミナの手元に落とす。もはや何が起こっても誰も驚かなくなっていた。
 ――が、ルミナは一瞬頭の中が真っ白になった。
「それは、無理」
『え?』
「だってわたし楽譜読めないもん!」
 全員があっけにとられる。一拍置いて、血相を変えたカーフェイがルミナに食ってかかった。
「お、お前、それでどうやってゴーマン一座に入ったんだよ!?」
「耳で一回でも聞いたら覚えられるから!」
「ああ、なるほど……って感心している場合じゃないわね」
 アンジュはがくりと肩を落とした。アリスはあまりのことに絶句している。かろうじて『ごめんなさい、私の配慮が足りませんでした』と震える声で言うのがいっそう悲壮感を漂わせていた。
 めおとの二人が譜面とにらめっこするが、当然彼らには読めそうになかった。ルミナは真っ青になって妖精を見つめる。
「あ、アリス……これ一回演奏してほし」
 その時。ずん、と空気が震えた。
「きゃああっ」「アンジュ!」
 立っていられないほどのすさまじい揺れがクロックタウンを襲う。鐘楼からでは見えないけれど、どうやら再び月が動き出したらしい。
(ど、どうしよう、わたしが不甲斐ないばっかりに……誰か!)
 ルミナは床に這いつくばりながら、心の中で助けを求めた。
 ――月の振動で誰も気づかなかったけれど、こつ、こつ、と階段を上る音が鐘楼に近づいていた。
「こんな場所に忍び込んで、いい年していたずらでもしてるのか?」
 少し意地の悪い声が背中を叩く。なんとか立ち上がり、振り返ったルミナは驚愕に目を見開いた。
「座長!?」
 めおとの二人が顔を見合わせる。「ゴーマン一座の……?」
 ルミナはゴーマン座長に駆け寄った。飛び出た鼻に太い眉、この三日間で何度も苦い思いをしながら見た顔だ。幻ではない。
「な、なんでここに座長が!」
「お前がいつまで経ってもゴーマントラックに避難してこないから、迎えに来てやったんだろうが」
 座長は口をひん曲げる。が、月の迫るこんな場所まで追いかけてきたということは――ルミナはうっかり涙ぐんだ。
「座長、お願い。何も言わずにわたしのギターでこの曲を演奏して。ここの鐘でメロディを鳴らさなきゃいけないの!」
『私からもお願いしますっ』さすがのアリスも必死だ。
 ギターを受け取ったゴーマン座長は肩を回してぽきぽき鳴らした。
「なんだか知らねえが、引き受けたぞ」
 ゴーマン一座の二人による、最初で最後のセッションがはじまった。
 芸能一座の長を務めるだけあって、座長は一通りの芸事をこなせる。彼はなめらかに指を動かした。ルミナはしっかり耳を澄まして、そのメロディを追いかけるように鐘を鳴らしていく。何度目かのリピートで、座長は主旋律を離れて即興で副旋律を追加し、不思議な二重奏が生まれた。
 アンジュとカーフェイは終末であることも忘れて肩を揺らして聞き入る。アリスは祈るような沈黙を保っていた。
 ルミナは心地よい音楽の波に乗りながら瞳を閉じた。
「お願い、リンクとゼロに届いて……!」
 聖地タルミナの明け方の空に、時の賢者の分身が奏でるいやしの歌が響いた。


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