月と星






 このデクナッツ、なかなか素早いな、とリンクは思った。
 デクナッツは複雑なつくりの神殿内を自分のテリトリーのように動き回り、リンクの前を進んでいく。足を踏み外さないかヒヤヒヤするくらいだ。
 そもそも、彼はデクナッツとは初対面だった。ダルマーニ三世やミカウとは会話した上でいやしの歌を吹いたのだが、デクナッツとは顔を合わせたことすらない。仮面の中に魂があったことにも、ほとんど気づかなかった。それなのに、リンクは今やほとんど保護者の気分である。

「そっちは危ないぞ」

 時折フェザーソードを閃かせ、襲い来るポウやヒップループを真っ二つにする。デクナッツはきょとんとして顔を上げ、礼を言うかのように頭を下げた。口を利かないのは何故だろうか。
 扉をくぐり、数階層を吹き抜けにした部屋にたどり着いた時だった。ずしんずしん、と地響きがした。リンクはぎょっとして身構え、物陰に隠れた。静かに様子をうかがってみる。
 骨の巨人が、神殿内を歩いていた。見上げるほどに大きな体だ。身につけた鎧はどうやらイカーナの兵装らしい。

(スタル・キータ……!?)

 ふところの隊長のボウシを確認する。確かにあった。ならば、なぜ巨人がここに……
 その時、リンクの頭に雷のように閃くものがあった。
 昔、イカーナ王国には彼らのような巨人が大勢いた。彼らは王から隊長の役目を仰せつかり、イカーナ軍を率いてロックビルを攻めたのだ。しかし数百の兵を持ってしても、ロックビルを落とすことは出来なかった――
 リンクは物陰からさらに身を乗り出す。巨人の後ろにはスタルベビーがぞろぞろとついてきていた。軍の構成員、すなわちさまよえる魂たちだ。リンクには彼らを解放する手段がある。だが、しかし。

(あれを、全部癒やすのは……無理だ)

 リンクはごくりと唾を飲み込んだ。
 いやしの歌で魂を仮面に昇華させるには、彼らの生前の記憶や思いをリンクが一度受け止めて、理解してやる必要がある。だが、これだけ多くの人数になると、受け止めきれる気がしなかった。

「もしここにゼロがいれば、反対の意見を言ったのだろうか」と考えてしまい、彼は頭を振った。いつの間にかあの青年は、リンクの心の大きな部分を占めるようになっていた。
 そもそも自分は、ゼロを何だと思っているのだろう。仲間、友人、相棒――そのうちのどれかか。もしくは、もっと別の存在かもしれない。神殿の入口で、正体を知って戸惑うゼロの背中を押したのは本心からの行動だったが、それは彼に何を求めていたのか。
 ぼんやりリンクが物思いにふけっていると、視界からデクナッツの姿が消えていた。慌てて見回せば、デクナッツは巨人たちの方へと駆けている。

「あ、おいっ」

 リンクは急いで追いかけながら、隊長のボウシを被った。これでなんとか誤魔化せる……かもしれない。
 物陰から出たリンクが亡霊たちの前に姿を表すと、

『スタル・キータ隊長!』

 巨人から驚きの声が上がった。スタルベビーたちも一斉にこちらを向く。リンクは視線の矢を大量に浴びて、たじろがないようにするのが精一杯だった。
 巨人は隊を代表して敬礼した。

『お久しぶりです。しばらく見ないうちに、随分小さくなりましたね……?』

 このやり取りも二度目だ。もはやカチンとくることもない。

「ご苦労だった。お前たちは、どうしてここに?」

 尋ねると、巨人の頭蓋骨に、悔やむような色合いが浮かんだ。

『ロックビルの扉が開かれたのは、罠でした……。攻め込んだ我々は、魂ごと神殿に閉じ込められてしまったのです。王国は? 王は無事なのですか』

 リンクは、光とともに消滅したイカーナ王を思い出す。あれで成仏したわけではないと思うが――

「無事だ。もし何かあっても、俺がなんとかする」

 彼は強く請け負った。そこで、はたと思いつく。

「そうだ、お前は鬼神のことを知っているか」

 記憶を失う前のゼロ、すなわち鬼神はイカーナ王国軍に所属していたらしい。巨人はきょとんとしている。

『鬼神殿については、隊長の方がよくご存知でしょう。彼がどうかしたのですか』
「いや……どんな奴だったか、お前の話を聞きたくてな」

 骨の巨人の眼窩に、かすかな光が宿った。過ぎ去りし王国の日々を懐かしんでいるらしい。

『彼は寡黙でしたが、強い方でした。わざわざ遠い神々の国から、王がガロたちに対抗するため呼び寄せたとか。さすが戦いの神と呼ばれるだけはあります』

 寡黙、戦いの神。どうやら鬼神は今のゼロとはまるで正反対の人物だったらしい。どちらかというと、時の勇者だった頃のリンクに近いのかもしれない。

『ああ、そうです。隊長は、この神殿の最奥に潜むものを、ご存知ですか』
「いや」
『二体の巨大な虫――ツインモルドです。皮膚はぶ厚く、刃が通りません。今の隊長のお体では、歯が立たないでしょう。奴に我々は負けてしまい、神殿をさまようことになりました……』

 リンクはむっとして眉をひそめた。今までどんな強大な敵も打ち倒してきた彼には、それなりの自負がある。だが、この巨人たちですら歯が立たなかった敵なのだ。これは厄介だった。

「何か策はないか?」
『そうですね。ツインモルドとの戦いになった時、私を呼び出してください。あなたに我々の魂を託します』

 思わず顔を上げると、確かに骸骨と目が合った。彼は、もしかするとリンクの正体に気づいているかもしれない。

「分かった」

 リンクはこっくり頷き、いやしの歌を吹こうとした。こうなれば、どんな思いであれ受け止めきるしかない。

『〜っ!?』

 しかし。彼が取り出したオカリナを見て、それまで大人しかったデクナッツが、びくりと反応した。すぐに体を反転させ、その場から逃げ出す。何故かおびえた様子で。

「おい、待て!」

 見逃すこともできず、リンクは追いかけた。今日はデクナッツの背中を追ってばかりだ。

(あいつ、いやしの歌が嫌なのか……?)

 相手はいわば、むき出しの魂の状態だ。再び癒されて、仮面になるのが怖いのかもしれない。
 程なくして追いかけっこは終わった。デクナッツは大きな水場に自分の顔を映して、ぼうっと立ち尽くしていた。
 リンクはゆっくり歩いてその隣に行くと、相手によく見えるように、オカリナをしまった。

「歌は吹かない。安心しろ。
 その代わり、聞きたいことがある。――お前はどうして死んでしまったんだ?」

 あえて単刀直入に尋ねた。デクナッツは黙っている。

「デクナッツ王国の執事と、何かあったのか……?」

 質問を受けて、デクナッツのうつろな瞳に、何かの景色が浮かんだようだった。リンクはそれを覗き込む。何度も仮面をかぶって変身したからだろうか、デクナッツの気持ちはダイレクトに伝わってきた。

「これは……」

 ――ある日、父親に無作法を叱られて、衝動的に家出をしたこと。あてどもなく森を走っているうちに道に迷い、深い穴に落ちてしまったこと。穴の底で怪我をして動けないでいると、突然胡散臭そうな人間がやってきて、上から覗き込んできたこと。デクナッツが衰弱していると知った人間は、彼にある歌を聞かせたこと。

「お面屋? なぜ奴がそんなことを……」

 デクナッツの記憶の中に笑い顔の男を発見し、思わず口を挟むリンク。その間も回想は続く。
 やがて、仮面となったデクナッツは、お面屋がスタルキッドに襲われた際、ムジュラの仮面と一緒に奪われてしまった。

「それで、お前の仮面が俺に被せられたのか」

 リンクは組んでいた腕をほどいて、デクナッツの頭へ手を伸ばした。乾いた植物のような表皮をそっとなでる。何故か、そうしたくなったのだ。
 デクナッツは黙って頭を差し出していた。まんざらでもないのだろう。
 その様子を見ているうちに、リンクの内部にはふつふつと何かの感情が湧いてきた。彼は口を開いた。

「いつか、お前の父親に会いに行こう。俺と一緒に」

 ゼロならこう言うんじゃないか、と思いながら、リンクはデクナッツに手を差し伸べた。

「……!」

 デクナッツはぎゅっとその手を握り返す。すると、溶けるように体が消えてしまった。後にはデクナッツの仮面だけが残る。
 仮面を拾い上げ、しばらくリンクが黙って余韻に浸っていると、

『スタル・キータ隊長』

 いつのまにか後ろにいた巨人が、話しかけてきた。

『お取込み中失礼いたします。もしかして隊長は、陛下から心を持たぬ兵を授かったのでは?』

 リンクは瞬きした。イカーナ王がロックビル攻略に必要だと言って教えてくれた「ぬけがらのエレジー」のことを、すっかり忘れていた。

『今ここで、心を持たぬ兵を召喚してください。そうすれば、兵がここに居残ることで、あなたは仲間の元に帰れるはずです』

 ぬけがらのエレジーは、魂のぬけがらを残す歌だ。だからイカーナ王はこの歌をリンクに授けたのだ。

「お前たちはどうする……?」

 尋ねると、骸骨の顔がにっこり笑った気がした。

『我々は、ここで隊長のお手伝いをします』





 同時刻、裏のロックビルの神殿では。
 ゼロが次の部屋に足を踏み入れると、出し抜けに視界が真っ暗になった。一瞬前まで見えていた足元まで、闇に呑み込まれる。

「え」

 ゼロは慌てて周りを確認するが、どんな時でも絶対に見失わないはずの妖精の光すら、どこにも見当たらなかった。闇の中で、ただ一人になってしまった気がする。
 むせかえるような暗闇の先、至近距離でギラリと赤い双眸が瞬く。

「うわあっ!?」

 いつの間にか、背負っていたはずのリンクがいなかった。理由は不明だが今は好都合だ。彼は飛び退き、すぐさま剣を抜く。
 真っ赤な瞳は金属のような冷たい輝きを放っている。なんとも不気味な魔物だった。

「はぁッ」

 相手の正体も分からぬまま、ゼロは斬りかかった。だが濃い影は揺らがない。闇の中いっぱいに気配が満ちていて、どこを警戒すればいいか分からなかった。
 ゼロの中で、じりじりと恐怖が水かさを増してきた。一人で戦うことが、こんなにも嫌だったなんて。リンクは本当にずっと一人で旅をし、戦ってきたのだろうか?
 何かが迫る気配がして、思わず首をひねって避けた。鋭い刃物で薙いだような剣圧が目の前を過ぎる。ゼロの白銀の髪の毛が一束宙に散るが、それも闇に紛れて消えた。

(まずい)

 彼は防戦一方になっていた。辛うじて地面に足がつく感覚だけがある闇の中で、どう相手を攻めればいいか、見当もつかない。

(やっぱりオレ一人じゃ……)

 ロックビルの神殿に入る前、自分の正体を知って混乱していたゼロは、リンクに向かって「一人で神殿を攻略する」と意地を張ってしまった。だが、そんなことは土台無理な話だったのだ。
 オレは、鬼神じゃないから……。
 見えない刃物を避けるのが遅れた。足に焼けるような痛みが走り、がくりと膝が折れた。彼は無様に転んでしまう。

「くそっ!」

 咄嗟に「こんな時、リンクならどうする」と考えた。ゼロが知る限りいつも落ち着いていたあの少年は、こんな場面でも諦めたりしないはずだ。
 そして、ここに他の仲間がいてくれたなら――アリスは冷静に状況を分析し、チャットは叱咤激励してくれるだろう。
 そう、ゼロが今ここにいるのは、仲間たちがいつもそばにいてくれたからだった。闇に閉ざされても、その事実は決して変わることはない。

(オレは一人で戦ってるんじゃない)

 地面を転がって追撃を避けると、ゼロはその勢いのまま跳ね起きた。
 闇の中に、赤い目が見える。それだけで十分だ。ゼロは手の感覚だけで光の矢をつがえると、無造作に打ち放った。一瞬だけだが、解き放たれた魔法の光ははっきりと暗闇を照らしてくれた。
 大鎌を構えた魔物の姿が見える。

「そこかっ」

 真正面から相手に向かっていく。体の反射に任せて相手の攻撃を回避すると、彼は黄金の剣を双眸の間――額のあたりに思いっきり突き刺した。
 ゼロにいつも仲間がいてくれたように、自分も誰かを支えられるような人でいたい。彼の胸には強い願いが満ちていた。

「オレはリンクと一緒に行く。勇者も誰も、一人にしない!」

 音すら吸い込まれそうな闇に向かって叫んだ。同時に振り抜かれた金色の剣が半円の軌跡を描き、闇を切り裂いた。
 闇の裂け目から、眩しいほどの光が現れる。真っ黒な闇を作っていたコウモリ――バッド・バットが散り散りになって飛び立つが、すぐ光を浴びて消滅する。魔物の気配はなくなった。
 元の明るい部屋が戻ってくる。ゼロは肩で息をしていた。

『ゼロさん!』

 真っ先に飛んできたのはアリスだった。心を和ませる青い光を目にして、ゼロは破顔した。

「みんな、無事だったんだね」

 チャットも遅れてやってきた。

『ゴメスはあんたが倒したのね。やるじゃないの!』

 珍しく素直に褒められて、ゼロは照れ入る。

「えへへ……あいつ、ゴメスって言うんだね」
『魔物情報はアリスからの受け売りだけどね。部屋に入った途端にダルマーニたちが消えるし、酷い邪気で身動きが取れなくなるし、アタシたち結構危なかったのよ』
「そうだったんだ……」

 ゼロは大きく息を吐く。

「消えたダルマーニさんたちは、大丈夫なのかな」
『分かりませんが、魂が消滅したわけではないと思います……。ゴメスの情報もゼロさんに伝えられず、申し訳ありません。足に怪我までされてしまったようですね』

 アリスはしゅんとしている。そんな彼女を元気づけるように、ゼロは明るい声を出した。

「このくらいは平気だって。それに、オレがあの魔物を倒せたのは、アリスやチャット、それにリンクのおかげだよ。みんなのことを思い出したから、諦めずに戦えたんだ」

 その時、背後で小さな咳払いの音がした。

「ふうん。それで、さっきの宣言があるわけか。俺について来る、勇者も誰も一人にしない――だって?」

 ゼロは慌てて振り向く。

「リンク!?」

 そこにはニヤリと笑う少年がいた。ゼロの顔が真っ赤になる。

「き、聞いてたの」
「あれだけうるさく叫べば、誰でも起きるだろ。……せいぜいがんばって背中を追ってこいよ」

 冬の空を映した瞳が、まっすぐゼロに注がれる。ゼロはしっかりと頷いた。その言葉に、かすかな違和感を覚えながら。
 ――リンクの背中を追いかけるだけで、本当にいいのかな。
 ゼロはかぶりを振って疑問を頭の隅に追いやり、

「ねえ、リンクはダルマーニさんやミカウさんがどうなったか、分かる?」
「どういうことだ。お前があいつらに会ったのか」
『リンクさんが神殿に入って気を失われたのと同時に、彼らが私たちの前に現れたんです』

 すかさずアリスが解説すると、リンクはふところを探った。

「分からない。だがおそらく、俺の帰還とともに、仮面に戻ったようだな」

 確かにそこにはゴロンの仮面とゾーラの仮面があった。

「あ、もしかして、その代わりにリンクはデクナッツの仮面の魂と会ったのかな」

 ゼロが指摘する。リンクはこっくり頷いた。

「ああ、確かに俺はデクナッツと出会った。これまで、ろくに対話もせずに仮面の力を借りていたが――今なら三つの仮面、全て問題なく使いこなせるさ」

 不敵に笑い、彼はデクナッツの仮面を取り出す。

「じゃあ、さっさとボスを倒しに行くか」

 素早くデクナッツに変身した。ゼロの背丈の半分もない、小さな姿になる。悲しげに細められた目に似合わず、その奥の光は鋭かった。

「ついてこい、ゼロ」

 リンクはそのまま、神殿の床にぽっかり空いた穴――空に向かって飛び出した。

「ええええっ」

 慌ててゼロは足場から身を乗り出し、下を見た。デクナッツリンクはいつの間にか桃色の大きな花を両手に持って、上昇気流を捕まえて浮かび上がっていた。

『体が軽いからね、ああやって滑空できるのよ』

 チャットの説明を聞きながら、呆然としてリンクを見守る。ついてこいよ、と言わんばかりにリンクはこちらを向いた。
 ゼロは自分が渡れそうな足場を求めてあたりを見回し、愕然とした。

「ま、待ってよ。オレの道めちゃくちゃ細いんだけど!?」

 ゼロは悲鳴を上げた。


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