月と星






 石のふちに腰掛けていたゼロは、そっと目を伏せた。
 時の勇者、時を操る楽器――部外者として聞いていた彼にも、分かる。まるでおとぎ話のようだが、それは紛れもなく事実なのだと。

 なぜなら、時のオカリナのような至宝が二つとして存在するはずがないからだ。

 リンクがその、時の勇者なの? ……ゼロは、そう訊ねたい気持ちを抑えた。そんな質問は野暮というものだろう。七年の時を越えて一度は大人になったからこそ、リンクは年齢に似合わず泰然自若としているのだ。彼はやはり、時の女神に愛された特別な存在なのだと、ゼロはほとんど確信していた。

 質問をする代わりに別のことを考える。ハイラルの「時の勇者」は、タルミナに伝わる「刻の勇者」とどういう関係があるのだろうか。いつか、沼の大妖精に聞いた話を思い出す。

『スッゴい昔にタルミナを救った人らしいワ。
 なんでも月が太陽を食べちゃって、ずうっと夜が続いたことがあってネ。その時、予言の大翼――いや、単なるフクロウなんだけど。とにかく、そいつに導かれて、月と戦った希望の星、それが刻の勇者だとサ』

 ハイラルの時の勇者とは全く違う、けれども同じように人々の希望を背負って立つ存在らしい。どちらにしろ、勇者という称号は、目の前の少年にピッタリだと思えた。

 ゼロは拳に力を込めた。爪が手のひらに食い込んだ。
 リンクはきっと、ゼロをなんとか前に進ませたくて、この話をしたのだろう。正体を知って自分を見失いかけたゼロを勇気づけるために――ただそれだけのために、本来ならば話す必要のなかった秘めたる過去を、打ち明けてくれた。

(だったらオレも、自分と向き合わないと)

 ゼロはおもてを上げた。

「本当に、オレにも選ぶ権利があるの……?」

 リンクは断言した。

「ある。お前は記憶喪失のゼロとして生きることも出来るし、鬼神として己の使命を果たすことも出来る。
 ただ、俺にはもう一つ、道があるように見えるな」
「それは?」

 彼はすがるように「勇者」を見つめた。リンクは穏やかに言う。

「ゼロとして、鬼神の意思を継いで戦うことだ」

 大きく紅茶色の瞳を見開いて――ゼロは、ゆるゆると息を吐いた。

「オレ……不安だったんだ」

 それは、彼がずっと胸の奥に隠していた感情だった。

「お面に触れて、記憶が戻る度に、自分がよく分からなくなっていった。だってあれは鬼神の思い出であって、オレのものじゃない。思い出の景色に共感はできるけど、実感は湧かないんだ」

 他人事のような映像を自分のものとして体験する――記憶を持たないゼロには、それはアイデンティティを揺るがす脅威だった。

「いつか、記憶が全部戻ったら……オレはこの世から消えちゃうような気がしてた」

 足元に落ちたギブドのお面を見る。これほど近くても、ゼロは怖くて触れることが出来ない。
 自分がもし、何もないところから生まれたのだとしたら、鬼神は一体どこに行ってしまったんだろう……取り留めのない考えが頭を流れた。
 リンクは凜々しく眉を上げた。

「だが、今ここにいるのは、間違いなくお前だ」

 力強い言葉だった。リンクはまさしく、希望を持って人々を導く存在だった。
 ゼロはきつく目を閉じた。まつげが不安げに揺れている。アリスがそっと、心配そうにのぞき込んでいた。

「オレは……今まで通り、旅を続けたいよ。リンクたちやアリスと離れたくない。過去とどう向き合えばいいかは、まだ分からないけど……鬼神の思いも継ぎたいんだ」
「なら、答えは簡単だろ」

 リンクはあえて、右手を差し出した。ゼロの利き腕だ。
 青年は驚いたようにその手を見て――おずおずと握った。

「うんっ!」

 今にも泣き出しそうな笑顔だった。リンクは照れたようにそっぽを向いた。
 ぽん、と軽く叩くように、チャットが白い残像を残してゼロの頭にぶつかった。

『ちょっとアンタ、アリスにも謝っておきなさいよ。どれだけこの子に心配かけたと思ってるの』
「そ、そうだ。アリス、ごめんね」

 へにゃりと相好を崩すゼロに、アリスは申し訳なさそうな声を返す。

『いいえ。ゼロさんがこんなにも悩まれていたのに、私は……何もできませんでした』
「そんなことないよ」

 ちかり、アリスが瞬いた。ゼロは青い妖精へ手を伸ばす。

「きみがそばにいてくれるだけで、オレは嬉しいんだ。きっと、ひとりぼっちでここに来てたら、耐えられなかったと思う。
 オレがリンクに会えたのも、旅をしてたくさんの思い出が出来たのも……全部、きみのおかげだよ」

 ……まるで口説き文句のようだ、とリンクは思ったが、茶化すのはやめておいた。
 リンクはギブドのお面を拾い上げ、すっくと立ち上がる。

「さて。そろそろ、ロックビル攻略の算段をするぞ」

 ゼロも慌てて後に続いた。話をして、すっかり気が緩んでしまったようだ。

「ボス・ガロの最後の言葉、アリスは覚えているよな」
『あ、はい。……聖なる黄金の輝きを放つモノは、血にそまった邪悪な赤いしるしを射ぬき――天に大地が、地に月が生まれる衝撃をあたえるであろう。こうでした」

 ロックビルの神殿を見やる。入り口はすぐそこにあるのに、二人は入ることができなかった。なぜなら入り口は、それこそ幽霊四姉妹の助けでも借りない限り侵入できないような、高い位置にあったのだ。

「黄金の輝き……もしかして、光の矢かな?」
『さっきボス・ガロから手に入れたものよね』

 チャットの発言に、ゼロは頷いた。

「うん。谷の大妖精様から盗まれたものだって。使用許可は下りてるよ」
『あら、首尾がいいじゃない。もう会ってきたのね』
「オレだってたまにはやるよ! それに、ロックビルの神殿には、やっぱりはぐれ妖精がいるみたいだ」
「なら、ちょうどいいな」

 リンクが腕組みした。

「え、何が?」ゼロはきょとんとする。
「お前は、お面に触れると同時に記憶を回収して、ついでにお面に宿った力をある程度行使できるようになる。そうだな」
「うん」
「前の三日目で触れたのは、大妖精のお面だったろ。あれは俺が町の泉で拾ったものだ。その力があれば、きっとはぐれ妖精も寄ってくるはずだ」
『今までは泉の水を使っていましたが、そちらの方が便利ですね』

 アリスも応じた。つまり、ゼロ自身がはぐれ妖精を引き寄せる誘蛾灯になるわけだ。
 そこでチャットが割り込む。

『ちょっと、話がずれてるわ! 血にそまった赤いしるしとやらは、一体どこなのよ』
「ええっと、それは――」

 ゼロが首を巡らせる。見つけるのはリンクの方が早かった。

「あれだ」

 指差した先に、赤色の宝玉があった。黄金に縁取られて燦然と輝いている。

『あれを射抜けばいいのね』
「ゼロ、頼む」

 リンクにそう言われて、ゼロはちょっと嬉しくなった。

「な、なんだ急に、にやにやして……」

 喜びが顔に出ていたらしく、リンクは少し驚く。

「へへ、なんでもない。オレに任せて!」

 ゼロは素早く弓を構えると、光の矢を射った。それがどんな効果を生むとも知らずに。
 矢は宝玉の真芯を打ち抜いた。

『さあて、何が起こるのかし』

 ら、とチャットが言う直前。出し抜けに、ぐるんと上下感覚が逆転した。

「――っ!?」「うわぁあ!」

 地に足をつけていた両名は、足場からぽーんと投げ出された。向かう先は谷底ではない。あの月の浮かぶ、底なしの空へと吸い込まれる!

(上が下になっちゃった!)

 理解が追いつかないまま、ゼロは神殿からせり出した足場に叩きつけられた。先ほどまで庇だと思っていた部分だ。

(リンクは!?)

 視界の隅を、リンクが真っ逆さまに落下していった。痛みを感じる暇も無い。ゼロはすぐさま動くと、半ば体を宙に投げ出した。左手でリンクの手首をしっかり握り、右手でかろうじて足場のふちを掴む。

『二人とも!』『大丈夫ですかっ』

 二人は非常に危うい状態で足場からぶら下がった。足の下はそのまま、空だ。
 リンクは唇を開いた。

「――は」
「離せ、なんて言わないでよ!?」

 ゼロが叫ぶ。リンクは目を丸くして、呆れたようだ。

「……誰がそんなこと言うか。俺に考えがある。少しの間、我慢してろ!」

 ゼロは、少しでも彼を疑ってしまった自分を恥じた。リンクの言葉を信じ、両手に力を込める。
 一方リンクはまぶたを閉じた。空気の流れを読むために。
 意識を集中し、耳を澄ませる。すると、足場の上へと向かう細い流れを見つけた。もっともっと、それが膨らめばいい――二人まとめて持ち上げるほどに。
 リンクはほんのり緑に色づいた風を、強くイメージした。
 次の瞬間、間欠泉のような風が吹き上がった。見えない空気の腕に押されて、ゼロは足場を掴んだ手を離してしまう。

「あっ!」

 手を繋いだままのリンクを見やる。彼は少し得意げに唇をほころばせた。
 風は二人を優しく運んで、安全な足場へとおろした。

『無事でしたか……良かった』

 青い光が真っ先に飛んできた。ゼロはぜえぜえ肩で息をしながら答える。

「な、なんとか。今のは、リンクがやったの?」

 リンクはこれといって疲れた様子もなく、平然としていた。

「フロルの風、という魔法だ。ま、今回で打ち止めだがな」
『どういうことですか?』
『そういえばアンタ、前に炎出したりバリア張ったりしてたわよね』

 妖精たちの疑問に、彼は答える。

「この力は、俺がハイラルにいた時、ある目的を果たすために特別に授かったものだ。もうその目的は達成したが、念のために、三つの魔法をそれぞれ一回ずつ残しておいた。……それももう、使い切ってしまったな」

 ディンの炎、ネールの愛、そしてフロルの風。いずれも強力な魔法だった、とリンクは思い出の向こうの存在に感謝した。

(全て、他人のために使ったのか)

 特にディンの炎など、炉の氷を溶かすために使用した。昔の自分では考えられないような使い方だ。
 でも、不思議とそれを「もったいない」とは思わなかった。

「そんなに大事な魔法を使ってくれたんだ……ありがとう、助かったよ」

 それは、こうして笑顔を向けてくれる友が隣にいるから――かもしれない。リンクはふん、と息を吐いて、顔を背けた。

『にしてもこれ、何が起こったわけ?』

 チャットは先ほどの落下現象について指摘しているらしい。その疑問は最もだ。落ちかけた二人も頭では分かったつもりでいるが、なかなか納得できない。

『どうやら、光の矢でしるしを射抜いた瞬間、世界の天と地が反転してしまったようですね』

 アリスの妙に冷静な解説によって、全員じわじわと理解してきた。

『天と地が反転って……。ちょ、ちょっと、月が下にあるわよ』

 勝気なチャットですら怯えた声を出す。足場から身を乗り出さずとも、先ほど生死の境をさまよった二人ははっきりと目撃していた。
 反対に頭の方を見上げれば、彼らが踏破してきたロックビルの石山が見えた。

「うわー、何だこれ……」
「だが、神殿に入る道はできたぞ」

 リンクの言う通り、今や神殿の扉は、四人を待ち構えるように口を開けていた。

「行こう」

 どちらともなくそう言って、歩き始める。

(そういえば……イカーナ王が何か言ってたわね。ロックビルを攻略するとき、ぬけがらが必要になる――だったかな。あれ、一体どういう意味だったのかしら)

 チャットはふと、疑問を抱いた。その意味はすぐに知れることになる。
 神殿に一歩踏み込んだ瞬間、ゼロは身震いした。

「うう、緊張するなあ。でもオレ、鬼神の分までがんばるから!」

 と勇ましいことを言ったものの、リンクの返事がない。
 どさりと何かが背中にもたれかかってきた。

「……リンク?」

 緑衣の少年は目を閉じて、ゼロに全体重を預けていた。そのままずるずる地面に倒れそうになる。

「ど、どうしたの!?」
『完全に意識を失っています!』アリスもびっくりしていた。

 なんとか膝の上に少年の頭を載せ、頬を軽く叩いてみるが、反応はない。

「ど、どうしようアリス」

 慌てふためくゼロたちの前に、見慣れない大きな人影が二つ、姿を現した。

『それは、オラたちに任せるゴロ』
『恩返しの時間だぜ、ベイベー』

 大柄なゴロンと、その横にはすらりとしたゾーラの青年が立っていた。

(え、え)

 声もなく仰天する三人。ゾーラの青年は――ミカウは、チッチッと指を振る。

『リンクを目覚めさせるには……もう一人の力が必要なんだぜ』

 からん、とデクナッツの仮面が床に落ちた。


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