月と星

5-3.告白と使命


 初めて自分の思い出に触れたのは、確かロマニー牧場に訪れた時だった。
 一瞬だけの回想だった。あたりが急に眩しくなって、気づけば目の前には知らない女の子がいて。「自分」の胸には、彼女に対する親愛の情がこみ上げてきた。

 その時から、ゼロの後ろには何かがひたひたと近づいてきた。
 自分と全く同じ顔をした「彼」。ふらふら寄り道ばかりのゼロと違って、その人は確かな足取りで大地を踏みしめ、前に進んでいく。
 彼の記憶を覗くたびに、ゼロは知らないふりをして逃げてきた。まるで覚えのない情景たち、ゼロの思いとは乖離した感情――「彼は自分ではない」という確信があったから。

 ……でも、それももう限界だ。追いかけてきた影は、今や完全にゼロと重なってしまった。
 だから、自分でつけた名前に、ゼロは別れを告げた。





 イカーナ王の元まで案内します、と紫のドレスの女は言った。幽霊四姉妹の中で、一番年かさの女だ。当然のごとく肩の向こうが透けており、足もない。

「王様……ですか?」
「はい」

 ゼロの知る王と言えば、デクナッツ王くらいである。あそこの王は相当に傍若無人だったが、幽霊たちの王とはいかなる人だろう。

「今の王は、闇に囚われているのです」隣にいた緑の女が告げる。
「は、はあ」
「どうか王を救っていただけませんか、ゼロ様」

 紫の女と同じく、彼女も「ゼロ様」ときた。どうも自分が敬われていることは分かったが、それにしても大層な話だ。王を救う、だなんて。
 頭にちらりとリンクの姿がかすめた。誰かを救うなんて話は、あの少年の方がよっぽどふさわしい。

「や、やれるだけやってみます……」

 それでも彼は承諾した。自分の正体に、少しでも近づくために。

「良かった!」

 緑の少女がゼロに飛びついた。幽霊なのに、どしんと何かがぶつかった感覚がした。
 すりすり頬を寄せる彼女を慌てて押し返しつつ、ゼロは問う。

「あ、あの、みなさんの名前を教えてくれませんか?」

 四姉妹は顔を見合わせた。

「ああ、そうでしたね。あなたは覚えていないのですから」

 ゼロははっとする。――やはり、彼女たちは自分について、何か知っている。

「長女メグ」「次女ジョオ」「三女ベス」「末妹エイミーです」

 紫、赤、青、緑の順で、ドレスをまとった女たちが一礼する。幽霊といえど四姉妹は華やかな雰囲気を醸していた。むせかえる色気に当てられて、ぱちぱち瞬きしてから、ゼロは頭を下げる。

「え、ええと……知ってると思うけど、オレはゼロです」
「ゼロ様ー、私たちに敬語は使わなくていいよ」

 末っ子で幼さの見えるエイミーに言われ、ゼロは「わ、分かったよ」と顎を引いた。

「そのお名前は、どなたがつけられたのですか?」

 赤色の次女ジョオが訊ねた。記憶喪失のことも知っているらしい。

「自分でつけたんだ。ぴったり午後零時に起きたから、ゼロ。……変かな?」

 青色の三女ベスはくすりと笑う。

「いえ。素敵なお名前だと思いますよ。その名前、大切にしてくださいね」
「う、うん」

 大切にしたい気持ちは山々だ。しかし、もし彼が真名を取り戻した時、今の名前はどうすればいいのだろうか。
 危うく思考の底に沈みかけた彼は、それを振り払うように顔を上げた。

「あのさ、王様のところに行くのはいいけど、オレにも一つ目的があるんだ」
「と、言いますと?」

 長女メグが訊ねる。ゼロはピンと人差し指を立てた。

「大妖精様に会うこと。このあたりのどこかに、泉があるよね。案内してくれないかな」

 彼は四人の幽霊に連れられて、イカーナの村を訪れた。
 空は薄曇りで、あたりには怪しい気配が満ちていた。遠目に魔物が徘徊している姿すら見えたが、四姉妹と共に行動しているためか、襲ってくることはなかった。
 やがて洞窟の入り口にたどり着いた。四姉妹はぴたりと動きを止める。

「私たちは、入り口で待っております」
「いってらっしゃい!」

 末妹のエイミーが元気に送り出してくれた。
 洞窟の奥がほのかに明るくなっていた。いつ来ても癒される場所だ。泉の中心には、いくつもの妖精珠がふわふわ浮いていた。

「やっぱり、か……。谷の大妖精様、いますかー!」

 泉が青色の光を放った。

『いる。いるよ、もう』

 なんだか雑な反応だ。怠惰な性格をしているのか、大妖精は姿を現さなかった。

「オレは各地の大妖精様を復活させて回ってる、ゼロって言います。あなたもスタルキッドにやられたんですか?」

 大妖精は忌々しげに呟いた。

『そう。あの仮面をかぶった悪ガキにやられたんだ。妹たちも、そうだったんでしょう?』

 妹たちとは、沼や山の大妖精のことだろう。幽霊四姉妹といい、近ごろ姉妹に縁があるゼロだった。
 ふと、彼はささやかなことが気になった。

「大妖精様って、みんな姉妹なんですよね。どなたが長女なんですか?」
『変なこと知りたがるんだねー。ぼくが次女、海が長女、三番目が沼で、山が四番目。で、町が末っ子』

 ゼロははたと思い出した。町の大妖精。彼女には、すべての地方の大妖精を復活させれば会える、とアリスが語っていた。
 アリス――彼女のことを考えると、ずきんと心が痛んだ。今頃心配しているだろうか。
 谷の大妖精は、だらしない声で続ける。青色の水面がゆらゆら揺れていた。

『それでねえ。調べてみたんだけど、ぼくのはぐれ妖精、ロックビルの神殿にいるみたいなんだ』
「ロックビル?」
『この近くにある石の山の上。スタルキッドが意地悪して持って行ってさ。全くいい迷惑だよ』
「なるほど……」

 イカーナ王との謁見を終えたらすぐにでも向かおう、と考える。
 谷の大妖精は、さらに付け加えた。

『それとね。ぼくが持ってた光の矢っていう秘宝が、ここを荒らしまわってる連中に盗まれちゃったんだ。たぶんこのあたりのどこかにあると思うんだけど、取り返してくれないかな』
「分かりました」

 きっと、今まで貰った炎の矢や氷の矢と同じような効果を持つのだろう。ゼロにとって見逃すことは出来ない。
 最後にやっと、大妖精は申し訳なさそうな声色になった。

『ごめん。見つかったら好きに使っていいよ。あとでちゃんとお礼もする。……頼んだよ』
「はい!」

 しっかり返事をして外に出ると、四姉妹たちは何故か二人だけになっていた。三女と末妹だ。

「あれ、お姉さんたちは?」

 三女ベスが両腕を背中で組む。

「帰っちゃいました。それでね、面会時間が終わったから、王様には会えないらしいです」

 なんだか妙なところで生真面目な国家である。イカーナ王は闇に取り憑かれているのではなかったのか。

「ポスマスターさんの家で、ご飯をつくって待ってます、ってお姉ちゃんが言ってたよ」

 末妹のエイミーが付け足した。ご飯。なんだか急にお腹が空いてきた。ゼロの口に幽霊の料理が合うかどうかは未知数だったが。
 ゼロはおずおずと申し出た。

「オレもお邪魔していいかな?」
「喜んで!」





 夜が明けた。ゼロは四姉妹をぞろぞろと引き連れて、イカーナ城の前に来ていた。

「イカーナ城正門
 いかなる方法をもってしても、封印された門は開かない」

 と書いてある立て看板を指さして、

「これ、どうするの?」

 目の前には大きな石の扉がそびえている。継ぎ目すら見えない。
 四姉妹の長女メグは、すっと腕を上げた。

「飛び越えましょう。ジョオ、ベス、ゼロ様を任せましたよ」
「へ?」

 赤いドレスの次女と垂れ目の三女がゼロににじり寄った。

「しっかりつかまってくださいね!」

 二人に両脇を抱え上げられる。幽霊なのに柔らかい感触がした。ゼロの体は重力に逆らい、ふわりと持ち上げられた。

(うわわっ――)

 顔が熱くなるのを感じた。女性に免疫のない彼に、この接触は酷な仕打ちである。「今、自分は宙を飛んでいる!」という感動すら上書きされてしまった。
 幾ばくかの動揺を残しつつ、ゼロは城壁の内側に着地した。

「あ、ありがとうございました……」

 急いで四姉妹から離れる。

「私たちも、この体になってから飛べるようになったんですよ」
「便利だよねー」

 姉妹はにこやかに会話していた。ゼロは首をかしげた。

「その前は、どうしていたんですか?」

 生前も空を飛んでいたわけではないだろう。エイミーが答えた。

「出たことなかったのよ、お城から」
「え……?」
「私たちは王の妻でした」

 ゼロは驚いて、頭のてっぺんからドレスの先まで、姉妹たちを眺めやった。つまり、四人が四人とも妻だったということか。確かに長女のメグは、白昼夢では王妃様と呼ばれていた。
 四人とも、戦人ではなかった。けれども王国が滅びた時に死んでしまったのだ。

「そう、なんだ……」

 彼は反応に困って、下を向いてしまう。
 メグは長いまつげを愉快そうに揺らした。

「お気遣い、ありがとうございます。やはり、ゼロ様は以前のあなたとは違うのですね」
「えっ」

 ゼロは心を揺さぶられた。きっと、問い詰めれば「以前のあなた」について彼女たちは教えてくれるだろう。訊くべきか否か、つかの間迷った。
 四姉妹の気配が、すうっと遠ざかる。

「私たちは、ここであなた様の帰りを待ちます。まっすぐに行けば玉座の間がありますので」
「あ、あの――!」

 ゼロは手を伸ばした。姉妹の姿が薄れていく。
 最後に、四人のうち誰とも知れない女の声が響いた。

「何があっても、ご自分を見失わないでください」





 ゼロは一人、金色の剣とミラーシールドを背負い、薄暗い城内を歩いた。柱や壁には、ところどころ血がこびりついている。ここでかつて戦があった――そして、イカーナは負けたのだ。あたりはひっそりしているのに、何かの気配を感じた。まるで誰かがゼロの様子を影からうかがっているようだ。
 彼は目についた扉を開けて、大広間に入った。高窓から朝日が差し込んでいる。
 正面に、玉座があった。そこには王冠を頭に抱いた骸骨が腰掛けている。

「おお、そなたは……戻ったのか!」

 まっすぐに進んできた青年を見つけて、イカーナ王、イゴース・ド・イカーナが身を乗り出した。
 ゼロは黙って跪いた。作法は体が覚えていた。

「……はい」

 どう受け答えすればいいのだろう。自分は王が求めている人物ではない、とはっきり告げるべきだろうか。しかし――闇に囚われているとはいえ、王はゼロに対して信頼を寄せているらしい。その気持ちを裏切ることは、彼には出来なかった。
 王は親しげにゼロへ頭を向けた。目玉なんてないはずなのに、確かに視線を感じた。

「実はな。先ほど、この国に光をもたらす不届き者が城に侵入したのだ。そなたの力で、追い払ってくれないだろうか」
「侵入……ですか」

 敵国の何某だろうか。だとしても、戦は何百年も前の話だから、相手も幽霊かもしれない。

「いやはや、そなたがいれば心強い。頼んだぞ」

 そのまま下がるよう指示される。
 どうすれば王を闇から解放できるだろうか。分からない。ぐるぐると考えつつも、体は勝手に動いていた。それは彼の記憶に刻まれた動作かもしれなかった。
 王の前を辞する寸前、彼は振り向いた。

「あの、すみません王様」

 そこで息を吸い直す。

「オレは一体、誰なんですか……?」

 声が震えていた。聞きたいけれど、聞きたくない。そんな気持ちが胸の中で暴れていた。それでも……これ以上、逃げることは出来ないと悟ったのだ。
 イカーナ王は、驚いたように下のあご骨を揺らした。

「忘れてしまったのか? そんなはずはない。そなたの名は――」

 ついに打ち明けられた真実に、ゼロは打ちのめされた。





 ゼロは動揺を隠しきれぬまま、物陰に隠れていた。
 自身の正体を知り、驚いて立ち尽くしているうちに、侵入者が広間までやってきてしまったのだ。息をひそめて、ばくばく脈打つ心臓をぎゅっと押さえる。
 本当の名前、正体、そして背負った使命。イカーナ王に告げられた事柄が、消化しきれず心の中に渦巻いている。
 そこに、一つの影と二つの光が進んできた。

(リンク!)

 思わず叫びだしそうになった。輝くような金髪。チャットも、アリスもいる。暗闇に身を隠すゼロには、三人は光に包まれているように見えた。なんて眩しいんだろう。
 まさか――侵入者とは、リンクのことだろうか。
 カーテンが閉まった。王は何事か、リンクに対して脅すような台詞を投げつけている。
 ゼロは声を殺して事の次第を見守っていた。どちらに味方するか、迷うつもりはない。けれども、リンクの前に胸を張って出られる気がしなかった。
 王は二体の兵士を呼び出して、リンクにけしかけた。少年は持ち前の剣技を披露し、順調に手下を打ち破ったが、次に王が自ら剣をとった。イカーナ王は予想外に強者で、リンクは苦戦を強いられた。

 なんとか彼を助けないと! ゼロはすかさずカーテンに向かって炎の矢を放った。そして、リンク本人めがけてミラーシールドを放り投げる。
 ゼロは、そのまま影に隠れて逃げ出した。今の自分では彼とまともに顔を合わせられない。リンクならば必ずイカーナ王を正気に戻せる、と信じる他なかった。
 外に出ると、四姉妹が待っていた。彼は思わず目を背けた。……きっと、酷い顔をしていたと思う。

「ゼロ様」

 ジョオが言った。彼を気遣うように。

「オレは――オレは、ゼロじゃない」

 そう言って下を向いた。心配そうな目線を感じる。

「……イカーナ王は、何者かがロックビルの扉を開いたことで、正気を失いました」

 ゼロはどきりとした。だからイカーナ王は、この地を救おうとやってきたリンクに対して攻撃を仕掛けたのだ。
 彼は強く拳を握る。

「じゃあ、オレがロックビルを攻略する。あそこを開放すれば、イカーナも元に戻るんだよね」
「はい」

 ゼロはロックビルに足を向けた。やっと取り戻した、自分だけの使命を背負って。
 思わず末妹エイミーがその背を追いかけようとしたが、三女に止められた。悔しそうにかぶりを振る。
 ゼロはすっかり顔つきが変わってしまった。四姉妹は、彼の無事を願わずにはいられなかった。

「……お気をつけて」


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