月と星






 ゼロがその光景を、例の白昼夢ではなくはっきり「夢だ」と確信したのは、ずばりリンクが登場したからだ。おまけにいつもと違って、自分の体が自由に動かせる。
 薄暗い建物の中だった。規則的に起こる振動は、時計の針が進む音に似ていた。
 扉を開けて入ってきた人物に、

「リンク!」

 と声をかけてから、はっとする。相手は全くの別人、小さなデクナッツの男の子だった。

(あれ……? なんでオレ、あの子のことをリンクだって思ったんだろ)

 ゼロが盛大に混乱していると、デクナッツは彼の前を素通りし、奥へとぴょこぴょこ歩いていった。青年は瞠目した。デクナッツのそばには、白い妖精チャットが付き添っている。
 子供が向かう先は、見上げるような大荷物を背負った笑い顔の男だ。荷物にはお面がたくさんくくりつけられている。ゼロは、彼こそがリンクたちの話に出て来た「お面屋」だと悟った。

「あの小鬼から、アナタの大切な物、とりかえせましたか?」

 デクナッツが口を開く前に、お面屋はさっそく声をかける。さらに、子供がその手に持っているものを目ざとく見つけると、

「よく見るとアナタ、とりもどしてるじゃないですか!」

 素っ頓狂な声を上げた。デクナッツに突進し、その両肩を掴んで揺さぶる。

「ちょ、ちょっと何するんですかっ」慌ててゼロが止めに入ったが、伸ばした手はお面屋の体をすり抜けてしまった。なるほど、夢だ。

 ほどなく落ち着いてきた男によって、デクナッツは解放された。先ほどまでとは打って変わって、冷静になっている。

「ではどうぞ、ワタクシの奏でる曲を吹いて、おぼえてください」

 部屋の隅に打ち捨てられていた年代物のオルガン――お面屋が近づかなければその存在にさえ気づかなかっただろうシロモノだ――をポロンポロンと鳴らす。不思議と調律はされているようだ。デクナッツはどこからともなく大きなラッパを取り出し、メロディを繰り返した。
 ゼロは胸を打たれた。切ない旋律に、ではない。何故かその曲に聞き覚えがあったのだ。今なら記憶のかけらを掴めるような気さえする。しかし、決定的な何かを思い出す寸前で、曲は終わってしまった。
 からんと乾いた音がして、デクナッツの顔から仮面が剥がれ落ちた。

『アンタ、姿が戻ってるわよ!』

 そこにはよく見慣れた、小さなヒーローがいた。

「やっぱり、リンクだ」

 ゼロは合点がいった。緑の服にたんぽぽ色の髪の毛。リンクは自分の姿を見回して、ふう、と息を吐いた。
 そのとき、ふと彼の姿がぶれて見え、ゼロは首をかしげた。

(あれ?)

 リンクが一歩動いたことで、はっきりする。そこにはデクナッツリンクにそっくりの子供が薄ぼんやりと立っていた。床に落ちたデクナッツの仮面を、悲しげに見つめている。周りの反応からすると、どうもゼロにしか見えていないらしい。

「キミ、どうしたの……?」

 無駄と分かっていても声をかけてしまう。だがその悲しげな瞳は、お面屋が仮面を拾い上げるのと同時に消え失せてしまった。

「この歌は、邪悪な魔力やうかばれぬ魂をいやし、仮面にかえる曲。この先きっと、お役に立つと思います」
「いやしの歌か。ありがたい」
「そうそう、記念にこの仮面も差し上げます」

 リンクはお面屋が差し出したものを見てぎょっとした。彼がデクナッツ姿で登場したのは、あの仮面のせいだろうとゼロは検討をつける。

「安心してください、魔力は仮面に封じ込めました。かぶると先ほどの姿に乗り移れますが、はずせば元の姿に戻ります」

 これぞリンクがグレートベイで見せた仮面の力だ。変身できるのは、ゾーラの姿だけではなかったのか。どうやら今見ているこの光景は、ゼロと出会うよりも前の話らしい。

「これでアナタとの約束は果たしましたよ。では、約束の物をこちらへ」

 右手を差し出すお面屋。しかし少年は言葉に詰まる。

「まさか。アナタ、ワタクシの仮面をとりかえして……いないとか?」

 リンクとチャットはそろって気まずげにそっぽを向いた。
 くわっとお面屋の目が見開かれ、さながら鬼の形相になる。

「なんてことをしてくれたんだ!」

 お面屋は出し抜けにリンクの肩をつかむと、空中に吊り上げた。あの細腕からは考えられない力だ。少年は逃げ損ねて珍しく狼狽していた。チャットもあわあわと点滅するばかりだ。

「このままあの仮面をのばなしにしていたら、大変なことになる!」

 感情の高ぶりに任せて少年を放り投げ、頭を抱えてうなるお面屋。ゼロは反射的にリンクに駆け寄るが、助け起こすことも何もできない。

「分かっている。月が落ちるんだろ」

 盛大に打ち付けた背中をさすりながら、彼は体を起こす。破天荒な依頼主に辟易しているようだ。
 お面屋は再び、あの乱心が嘘のように穏やかになった。

「実はワタクシの盗まれたあの仮面……ムジュラの仮面といって、太古のとある民族が呪いの儀式で使っていたとされる、伝説の呪物なのです」

 ゼロはリンクが投げられてから動揺しきりだった心を静め、お面屋の話に耳を傾けた。

「その仮面をかぶった者には、邪悪ですさまじい力が宿ると言い伝えられています」

 スタルキッドの過激な企みなど、神ならぬ身に許されるような所業ではない。言い伝えは本当だったのだ。

「伝説では……ムジュラの仮面がもたらす災いのあまりの大きさに、それを恐れた先人たちが仮面を悪用されないよう、永遠の闇に封じ込めたといいます。
 その力がどんな力なのか。伝説に記されたその民族が滅びた今ではわかりません。しかし、ワタクシは感じます」

 そこで、お面屋はにいっと口の端を吊り上げた。リンクの背筋がぞくっとするほど、邪悪な笑みだった。

「苦労して手に入れた伝説の仮面、あれを手にした時感じた身の毛もよだつまがまがしい力。あれが今、あの小鬼の手にある……」

 お面屋は目元を覆った。

「お願いです! はやくあの仮面を取り返さないと、とんでもないコトがおきます! お願いです! お願いです! アナタならできる!」

 そう言いながら、何度も頭を下げた。一見ただの依頼のようだが、リンクに拒否権はない。

「……分かっている、約束だ。必ずあの仮面は取り返す」

 少年が吐き捨てると、

「そうですか、やっていただけますか。そういっていただけると、カクシンしておりました」

 お面屋はにこやかに右手を差し出した。直前までのような邪気は感じられないが、それ以上に不気味なものが潜んでいる。リンクやチャットが「お面屋は苦手だ」と話していたのも頷けた。

「大丈夫! アナタならきっとできます。
 自分の力を信じなさい……信じなさい……」
『う、うさんくさっ』

 チャットのささやかな抵抗に、リンクは心底同意したようだ。
 用がすんだ二人は清々したように背中を向ける。

「それじゃ、行くか。まず最初は沼だったな」
『よく覚えてるわね、アンタ』

 リンクたちの冒険が本格的に始まるのは、これからなのだろう。ゼロはそう思った。
 不意に、鐘の音が聞こえてきた。眩しい光が視界に満ちて、意識が遠のいていった。





 十四時を告げるベルと共にやっと覚醒したゼロは、しばらくぼけーっとしていた。それはもう、いっそ潔いほどに。
 当然、何時間も目覚めを待たされた方は、正直腹立たしい。しかめっ面になったリンクは、絶対零度の声を出した。

「おはよう。今が何時だと思っているんだ」
「え、あれ、リンク? どうしてここに」

 夢と現実の区別がつかなかったのか、ゼロはしばし順繰りに仲間の姿を眺めた。が、リンクから漂う殺伐とした気配を感じ、冷や汗とともに半身を起こす。

「どうしてもこうしてもあるか。さっさと準備をしろ。夕方までに平原を越えるぞ」
「え、えー!?」

 状況が把握できていない寝坊助は、オロオロするばかりだ。アリスが助け舟を出す。

『ゼロさん。今日はイカーナに行くんですよね』
「あ……うん。オレは行くよ。知りたいことがあるから」

 紅茶色の瞳に、強い意思をにじませたゼロ。
 リンクは大きく頷いた。

「ならば善は急げ、だろう」
「うん!」





 エポナを連れてこなくて正解だった。旅の準備段階でチンクルから地図を入手し、ついでに情報収集をすませていたのだが、イカーナへの道中は噂通り魔物あふれる危険なものだった。平原にはびこるチュチュの比ではない。自爆覚悟で特攻を仕掛けてくる「本物のボムチュウ」が大量に生息しているのである。魔物たちは見つけ次第、ゼロの弓矢で処理することにした。矢の残数はこの際無視だ、命には代えられない。

 荒廃した谷間を抜けているとき、ゼロはおかしなものを見つけた。意味ありげに石が並べられた場所――ストーンサークルの中に、何かがいる。どうやら人間らしい。地べたに座り込んで手に持った槍を振っていた。近づくと、クロックタウンの自警団の服装をしていることが見て取れた。
 ゼロは、前を歩く少年に声をかけた。

「ねえリンク、あの人……」とストーンサークルを指差すが、
「人? 誰のことだ」

 リンクは胡散臭そうにあたりを見回した。ゼロの目には、すぐそこで助けを求めているように映るのに。なんだかか細い声まで聞こえて来た。

『なあに、何か見つけたの』チャットもいぶかる。
「あ、うん。アリスは見えるかな」

 頼みの綱の相棒に話を振ると、彼女はしばらく沈黙して石の間を見極めた。

『……なるほど。確かにいらっしゃいますね』
「ホント? 良かったー」

 なんのことやら、というリンクとチャットを残して、ゼロとアリスが歩み寄る。すると、その人物は振り回していた槍を取り落とした。

「えっ? まさか、そんな……」

 驚愕を隠しきれないようだ。

「クロックタウンの自警団の方ですよね? どうしたんですか」

 ゼロは青年に手を差し伸べ、助け起こした。

「おどろいたな。はなしかけてくれたのは、キミがはじめてだ」

「え」と、息が漏れた。これが噂のイカーナの亡霊だろうか? しかしこの手は間違いなく彼に触れることができた。

「もう、何年も手をふって助けをもとめているのに、みんなムシして通っていく。オイラ、石コロみたいにカゲがうすいから……もう、なれているけどね」
「は、はあ」リンクたちにとってはまさに路傍の石なのだろう。
「あの、お願い。石コロでも元気になるクスリ、オイラにくれない?」

 石コロに効くかは不明だが、元気になれるクスリには心当たりはある。イカーナ攻略に向けて仕入れてきた赤いクスリだったが、ゼロは躊躇無く青年にビンを手渡した。

「これとか、どうですか」
「あ、ソレ……かな?」

 彼は真っ赤なクスリをごくごく飲み、

「元気になった、かも」と弱々しく笑った。
「ども。オイラ、シロウっていうんだ。何年か前に仕事でここに来たんだけど、うっかり怪我して、足がうまく動かなくなったんだ。町にいる兄ちゃん……元気に、してるかな」

 ゼロは自分の胸を叩いた。

「何なら、お兄さんに手紙でも書きますか? オレ、こう見えてポストマンなんですよ」

 正しくはポストハットを「被っていることになっている」だけだが。シロウは海賊たちと同じように納得した末、首を横に振った。

「いや、いいよ。バイセン兄ちゃんが元気なら」
『バイセンさんの弟さんですか!』

 自警団の長に弟がいたとは初耳だ。兄弟にまで完全に存在を忘れ去られているあたり、影が薄さがうかがい知れる。

「元気だと思いますよ、会議で忙しそうでしたけど」

 月の落下で町や自警団が大混乱に陥っていることを、果たして彼は知っているのだろうか。気になるけれど、余計なことを口走って心配させたくもない。
 シロウは兜の下に薄笑いを浮かべながら、何かを差し出した。

「あ……コレ、お礼」
「ありがとうござ――」

 素直に受け取ろうとしたゼロの右手が、中途で止まった。お礼の品はなんとお面だったのだ。

(ど、どうしよ)

 シロウが不自然を感じる数瞬前、横から伸びてきた手が素早くお面をかっさらう。リンクだった。赤いクスリのおかげで、石コロも目に入るようになったのだ。

「これのせいでお前まで見えなくなったら困るからな」

 ひとまず預かっておく、ということらしい。すでに、お面の秘めた力がゼロに影響を与えることは聞き及んでいる。自由に付け替えられるリンクと違い、彼が記憶として回収すると「石コロのお面」の能力を適応してしまう恐れがあるのだ。

「さあ……ちょっとは目立つ練習でも、しよ」

 シロウは槍を持ち上げた。こんな場所に一人残すのは忍びないが、魔物だらけの谷で何年も生き残ってきたのだから、きっと大丈夫だろう。二人は彼に別れを告げて、再び歩き始めた。

 しばらく行くと、高い断崖が行く手を遮るようにそびえ立った。目標物さえあればフックショットで登れそうだが、崖上には枯れ木の一つすらない。「困ったね」と足を止めたところに、上から声が降ってきた。

「イーッヒッヒッ。お前さんたち、こんなところで何してる?」

 聞くだけでぞわぞわするようなしゃがれた声だ。リンクは背中の剣に左手をかけながら、素早く崖の上に目をやった。

「何者だ」

 深くフードをかぶり表情を隠した声の主は、かすかに笑った。

「……ふふ、名前を問われるなんて、死んで以来だな。ポウマスターとでも呼んでくれよ。
 この先のイカーナの丘は、この世に恨みやみれんを残して死んでいった、魂のさまよえる地。今も、魂を救う者を求めてさまよっている。ザンネンだが、お前さんたちのような者が来るところでは、ないな――」

 声から判断するに男性だろう。彼は忠告してからゼロの方を向いて、

「ん?」

 フードの中で眉を跳ね上げた。

「イーッヒッヒ。お前さん、いいお面をつけてるねえ。それは血塗られた歴史を持つ、丘の上の城で隠密活動をしていた忍者の首領のお面だな」
「はい?」

 ゼロは頭にいっぱい疑問符を浮かべた。すぐに、記憶の一部となったお面たちの効果ではないか、と思い当たる。
 これまでに彼が取り戻した記憶は、全部で五つ。順番にゴーマン兄弟の覆面、ロマーニのお面、ポストハット、ゲーロのお面、そして大妖精のお面だ。この中で該当しそうなものといえば、出所が分からないゴーマン兄弟の覆面しかあり得ない。思い返せば、あのときのゴーマン兄弟には何者かの悪意がとりついていた。

「その『ガロのお面』で、今もなおさまようヤツラの魂を呼び出せるかもしれないな……。
 お前さん、この先でさまよう魂を救ってやっておくれ。イーッヒッヒッ」

 体が光に包まれ、気がつくとゼロは崖上に立っていた。ポウマスターと名乗った男のすぐ隣である。リンクは彼に縄でも投げてもらおうと考えたが、

「おっと、行っていいのはこのおニイさんだけだ」

 にべもなく断られ、眉をひそめた。

「何故だ」
「残念ながら、今のお前さんではさまよえる魂を救うのは無理だな」
「これでも、か?」

 と言って、時のオカリナを取り出した。彼には「いやしの歌」という最終手段があるのだ。それでもポウマスターはかぶりを振った。

「ここから北に行くと、イカーナ王家の墓地がある。そこでさまよう魂を救うすべを探してみることだな」

 一つため息をついて、リンクは崖上の青年に視線を飛ばした。

「先に行ってこい」
「うん……」

 ゼロはどことなく不安そうだった。仕方なく、彼はもう一言付け足した。

「後から必ず追いかける。それまで待てるな」
「も、もちろん!」

 思いがけないタイミングでの一人旅を心配しているのは、リンクだけではない。取り残された青い光が、崖を越えようと高度を上げた。

『ゼロさん、私も――』
「ごめん。アリスはリンクと一緒に行って」

 びくりと妖精の羽が揺れて、光の粉が大量に落ちる。

『どうしてですか?』
「オレ、自分のことにちゃんと向き合ってみたいんだ。……一人で」
『わかり、ました』

 仲むつまじい彼らにとって、たとえ一時でも別れは寂しいだろうに。チャットは今朝の会話を思い出し、なんとなくリンクの顔色を伺う。

(ま、大丈夫か。あの二人にはいくらでも時間があるんだから)

 リンクは北に伸びる細道に足を向けた。

「それじゃ、またな」
「うん。また」

 崖の上と下に、それぞれの運命は分かれた。


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