月と星






 ゼロは――『彼』は走っていた。焦っているらしく、息が上がっている。だが、「焦っている」という気持ちは伝わってくるのに、共感は出来ない。完全にシンクロしない。ふたつの心は見事に乖離していた。やはり『彼』は自分とは違う、とゼロは思う。

 そこは草木の乏しい渓谷だった。殺風景な谷底を、ひたすら前へ向かう。

「どこに行くんですか」

 その声は上から降ってきた。この白昼夢の、もう一人の主要人物が登場した。彼女は金の髪をさらりと流して、崖のふちに腰掛けている。相変わらずの喪服姿だ。
 今までとは明らかに様子が違っていた。冷たい目で見下ろす彼女は、空いた手で例の紙でできた船を飛ばす。

 船は風を切り、『彼』の足下に落ちてきた。接地の瞬間、むせかえるような殺気が爆発した。一瞬で周りを六人の敵に囲まれている。両手に曲刀を持った刺客が散開して、陣形をとる。

(あれは、ゴーマン兄弟の!?)

 刺客が装着している覆面が、夜盗として活動していたゴーマン兄弟のつけていたものと酷似していた。虚のような目の感じといい、偶然だとは思えない。

「今更遅いですよ。イカーナ王国はもう落としました」

 何のために、と『彼』は鋭く問う。

「私の――故郷のために」

 彼女の唇が弧を描くのと、刺客が殺到するのは同時だった。





 ゼロはがっくりと膝をついた。緊迫感に押しつぶされそうな戦場から、突然現実に帰ってきたからだ。グレートベイの潮騒が色を取り戻す。

「どうした!?」すかさずリンクが肩を貸した。
 ゼロは額の汗を拭った。のどはカラカラだった。

「イカーナ王国……」
『えっ?』

 チャットが聞き返した。彼は一拍置いて、声を絞り出す。

「そこに、昔のオレがいたみたい」

 やっとそれだけ言うと、荒く息をつく。顔からは血の気が引いていた。
 チャットには思い当たる節があったらしい。沈黙を保つアリスに目線を向けながら、

『イカーナって、確か』
『谷のロックビル近くにある王国です、ただし――何百年も前に滅びています』

 ぴくりと肩が震えたが、ゼロは顔を上げない。
 表情一つ変えず、リンクが足に力を込める。

「立ち上がるぞ」
「……うん。ありがとう」

 助けを借りて、なんとか立ち上がった。

『ゼロさん……』

 アリスが心配そうに寄り添った。普段なら安心させようと笑顔になるゼロだが、今その余裕はない。
 誰もが言葉を失う中、リンクが一歩前に出た。限られた歩幅のたった一歩なのに、力強くて優しい距離感をつくりだす。

「ちょうど良かったな、次の目的地は谷だ。俺も一緒に行ってやらないこともない」

 腕組みして傲岸不遜に言い放つ彼は、尊大な口調に反してゼロを励ましているのだった。物理的にも、精神的にも「立ち上がれ」と力づけている。

「ひとまず、他のお面はまた次の機会だな。
 ――おまえの正体が何であろうが、自分で見たもの、聞いたものを信じればいい」

 少なくとも自分はそうしていると、冬の空をうつした瞳は語っていた。
 ゼロはしっかりとうなずいた。

「オレは行かなくちゃいけない――イカーナ王国へ!」

 求めてきた答えがそこにあると信じて、二人は谷を目指す。


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