※時オカ時代のリンクの話、五章4読了推奨 リンクが放った斬撃とそっくり同じ軌道で、真っ黒な剣が宙を走った。 剣同士がぶつかり合い、火花が散る。リンクの攻撃は、鏡写しで繰り出された相手の剣に弾かれることになる。 『がんばって、リンク。自分自身に打ち勝つのよ!』 耳元でナビィが叫んだ。 水の神殿の攻略中にたどり着いた大部屋で、リンクは自分そっくりの敵と戦っていた。部屋の中央には一本の枯れ木があり、足元には薄く水が張っている。まわりは白いもやに包まれ、世界は果てしなく続いていた。構造物として必須の柱や壁、天井すらも見えないので、おそらく幻覚のたぐいだろう。青を基調としつつところどころに黄色の装飾があしらわれた水の神殿からは一変して、そこは墨色だけで全てを表現できるような世界だった。 対峙する相手は赤い瞳を爛々と輝かせていた。目の他は装飾品も含めて、全てが黒一色で塗りつぶされている。リンクの影とでも呼ぶべきか、相手はこちらと全く同じ動きをしてくる。何度攻撃しても弾かれて、リンクの心にはいつしか焦りが生まれていた。 相手の攻撃を回避する度に足元の水が跳ね上がり、身にまとったゾーラの服がそれを弾く。耐水性の生地だが、普段より機動力は落ちてしまっていた。一方で、相手にそんな様子は微塵もない。不公平だ。 自分自身に打ち勝つ――リンクはナビィの言葉を心の中で反芻した。本当に、相手が自分の動きを丸々コピーするというのなら。 (やってみるか) リンクは普段なら盾を使って防ぐ場面で、不意に動きを止め、すっと身を引いた。相手の攻撃が空を切る。 そこから彼は一気に畳みかけた。大上段に振りかぶると見せかけて、微妙にタイミングを外す。相手はフェイントに反応しきれなかった。出来た隙を見逃さず、リンクはマスターソードを思いっきり突き出した。白銀の刀身が、影の体をまっすぐに貫く。流れ水に手をかざしたような、頼りない感触があった。 「……」 相手の姿はぐずぐずと崩れ落ち、ただの水に還る。あたりを覆っていた霧が晴れ、天井と壁のある普通の部屋になった。 相棒の妖精ナビィは、息を吐くリンクに近寄った。 『びっくりしたね。あれも神殿のしかけかな? ……リンク?』 黙りこくっているリンクに、不審そうな視線を向けるナビィ。 「何でもない」 彼はそれ以上の詮索を拒むように、さっと身を翻した。 * 『次はどこに行こうか。シークが言ってたのは、屍の館と砂の女神――だったよね』 無事にリンクが水の神殿を解放したことにより、干上がっていたハイリア湖に水が戻った。勇者の帰りを待ち伏せていたであろうシークとの短い邂逅を終えてから、ナビィは一番にそう言った。リンクは彼女と話し合い、ひとまず補給のためにカカリコ村に向かうことにした。 しかし。みずうみ博士の研究所へ、預けていた荷物を取りに行った時のことだった。 「エポナ……?」 ここまでリンクと共に旅をして、とてつもなく広いハイラル平原を東西南北に駆け抜けてきた愛馬の様子が、どうもおかしい。近づいてもそっぽを向かれるのは初めてだった。機嫌が悪いのだろうか、鞍に跨がろうとすると嫌がられてしまった。 『どうしたんだろうね』 神殿を攻略している間は、余分な荷物と共にみずうみ博士の家で留守番させていたのだが、それで拗ねてしまったのかもしれない。 「分からない。病気だったらまずいな。牧場に行って、聞いてみるか」 リンクは宥めるようにエポナの背をぽんぽん叩くと、はるか北を見据えた。ロンロン牧場はハイラル平原の真ん中にある。豊かな土地と数多の家畜を所持する立派な牧場であり、エポナのふるさとだ。 リンクはふと、視線を感じた。エポナの大きな黒い瞳が、こちらを見ているような気がした。 「……?」 不思議に思ったが、馬と会話できるわけでもない。リンクは手綱を引いて、歩き始めた。 長い長い徒歩の旅の末に、リンクはロンロン牧場にたどり着いた。 木で出来たアーチをくぐる。一時は訳あって閉鎖された入り口だが、今回は普通に出迎えてくれた。 正面から入ってしばらくは、両側に建物が並ぶ。そこを抜けると広い牧草地帯だ。この時間帯なら、家主はどこにいるだろうか。リンクがまっすぐ歩いていくと、馬小屋の前で女性と出くわした。 「あ、妖精クン――じゃなかった、リンク!」 バケツを持ってきびきびと歩いていたのは、マロンだった。オレンジ色の豊かな長髪が元気に翻った。広い平原を越え、久々に自分とナビィ以外の声を聞いて、リンクは不思議な気分になった。 マロンはニコニコしながら近寄ってくる。 「久しぶり、でもないか。どうしたの? うちの牛乳、飲みたくなった?」 「いや……」 リンクはちらりと隣のエポナに目線をやる。 「エポナの調子が悪いらしい」 「えっ。リンクってば、無理させちゃったんじゃないの」 「……かもしれない」 リンクの声色が沈んだことを察してか、あわててマロンは取り繕った。 「ちょっと診てみるわね。インゴーさーん!」 「はいお嬢様、何のご用でしょう」 呼び出された人物を見て、リンクは目を丸くした。インゴー――かつて牧場主を追い出し、マロンを下女としてこき使っていた面影はどこにもない。驚く青年に、マロンが近寄って耳打ちした。 「リンクには言ってなかったっけ。インゴーさんったら、エポナをとられちゃった事が魔王にバレるんじゃないかと思ったのかしら……すごく取り乱してたんだけど、ある日突然、なんだかいい人みたいになっちゃった。父さんも戻って来るし、なぜだかわからないけど、とにかく牧場に平和が戻ってきたの!」 つまり今は、マロンの父・タロンも牧場で元気に暮らしているというわけか。リンクは前回の訪問時、ほとんどエポナを強奪する形で牧場を去った。あの後マロンから一度だけ手紙が届き、「何かあればいつでも来てね」とは言われていたのだが―― なんだか都合の良い結末だった。これでいいのかと思うリンクへ、マロンは満面の笑みを向けた。 「きっとキミのおかげネ。お礼を言わなくちゃ! ありがとうリンク!」 「いや、俺は別に……」 リンクは気まずそうにインゴーへ目線を向けた。 「お嬢様、あの」 やたらと腰の低い印象のインゴーは、分かりやすく戸惑っている。マロンはやっと彼を呼び出した用件を思い出し、 「そうそう。あのねインゴーさん、エポナを診てほしいのよ。どうも調子が悪いみたい」 インゴーはぽかんと口を開けた。 「ですが、エポナはお嬢様にしか懐きませんよ」 「あ〜そうだったわ……」 がっくりと肩を落とすマロン。元々、エポナはたぐいまれな才能を持つ代わりに、極端に気性が荒い馬だった。リンクがここまで仲良くなれたのも、マロンの母が作ったという「エポナの歌」のおかげだった。 「うーん、馬の体調に関してはインゴーさんが一番詳しいと思ったんだけど。でも今のインゴーさんなら、きっとエポナだって嫌がらないはずよ。うんうん、そうに決まってるわ。だから、ね、お願い!」 インゴーは、ガノンドロフに献上するための馬を長年育てていたらしい。馬の世話にかけては、確かに年季が入っている。彼はマロンに(多少強引に)促され、おそるおそるエポナに近づいた。念のためリンクがしっかり手綱を握っていたが、エポナもこれと言って拒む様子はない。 「見たところ、怪我などはないようですが」 「食べ物が悪かったのかなあ。ガノンドロフがやって来てから、食糧事情も悪いしね……」 リンクは首をすくめた。飼い主にもかかわらずエポナの体調を把握できていなかったことを、責められているように感じたのだ。マロンはそんな彼に振り向いた。七年後の暗い世界にふさわしくない、明るい表情で。 「あ、でもリンクにはたっぷりごちそうするわよ。今日は泊まっていくでしょ?」 「え」 彼はナビィに目線をやった。妖精は困ったように光を散らす。 「幸い、ウチには卵も牛乳もたっぷりあるわ! エポナだってうちでゆっくり休めば治るわよ、きっと」 「あ、ああ……」 どうやらリンクが返事する前に、本日の宿は決まってしまったらしい。彼ははっきりと否定の言葉を口に出せないまま、マロンに付き添って母屋に向かった。不調のエポナは、やたらめったらニコニコしているインゴーに預けることになる。少しだけ不安が残るが、専門家に任せるしかない。 母屋に入った二人は、のんびりコッコたちと戯れるタロンの姿を発見した。 「あーっ、父さんったら、また遊んでるでしょ!」 「遊んでないだーよ、コッコたちの運動に付き合ってただーよ」 リンクは牧場でエポナを奪還する前に、カカリコ村でふて寝するタロンの姿を見かけていた。何やら事情があるようだったので、声をかけずに立ち去ったのだが。どうやらあれから、タロンは自力で立ち直って牧場に帰ってきたらしい。相変わらず仕事ぶりはぐーたらのようだが、そのくらい図太いからこそ魔王の支配する世界でも生きていけるのだろう。 「――って、そこにいるのはリンクじゃないだか! 大きくなっただーよ!」 「えっと……久しぶり、です」 リンクは慣れない敬語を操り、頭を下げた。再会しただけで大げさに喜ばれると、なんだかこそばゆい。 「こんなに立派な兄ちゃんだから、てっきりマロンが婿さんを連れてきたかと思っただーよ」 「え!? ち、違うわよ父さんっ」 マロンは声をひっくり返し、耳まで赤く染め上げた。「婿」とは七年前の城下町にいた「ダーリン」のような人のことだ、と昔聞いたことがあった。だが、何故マロンと一緒にいるだけでそんな勘違いをされるのだろう。手を取り合ってぐるぐる回っていたわけでもないのに。リンクには理解不能だった。あとでナビィに聞いてみよう。 「ご、ごほん。父さんの戯れ言は放っておいて。待っててねリンク、すーぐ夕飯用意してあげるからね!」 マロンは得意げに胸を反らせた。 果たして。すっかり日が暮れる頃、タロン親子にインゴー、それにリンクを加えた総勢四人が食卓に揃った。テーブルの上には、見るからに心のこもった夕飯がきっちり並べられた。 「さあさあ、食べて食べて! おかわりもたくさんあるのよ」 リンクはまだあまり慣れない食器を操って、湯気を立てる野菜スープに口をつけた。マロンはドキドキしながら彼を見る。 「どう、おいしい?」 「……うん」 しぼりたてのミルクや、この日のために焼いたばかりのふっくらしたパン。その上で黄金色にとろけるバター、パンからはみ出す色とりどりの野菜とかりかりのベーコン――コキリの森の基準からすると、豪華すぎる食事だ。 しかし。リンクは何故か、あまり食が進まなかった。 「はっきりしない反応ね。こんなにおいしい料理を楽しめないなんて……リンク、悩みでもあるの?」 マロンは少し上体を低くして、うつむきがちのリンクと目線を合わせてくる。 「別に、悩みというほどのものは……」 彼女は、リンクが時の勇者であることを知らない。このご時世に珍しい旅人だ、とでも思われているのだろうか。 そしてそれは間違いなく、彼女だけの認識ではない。リンクの正体を知る者は、シークや覚醒した賢者たちなど、ごく少数だけだ。 それを気に病んだことはあまりない――どこに行っても無闇に歓迎されるよりは、彼の性に合っていると思う。しかし、リンクには困った時に相談する相手が圧倒的に不足していた。正体を明かせず、悩みがあっても口に出せない。唯一妖精ナビィだけはいつもそばにいてくれるが、彼女はリンクと一心同体のようなもので、勇者に対して驚くような指標を与えてくれるわけではない。 おまけに、現在リンクが抱える一番重要な問題は、「水の神殿を出てからなんとなく気分が晴れない」ことの理由を、自分で全く特定できないことだった。 リンクの心を、漠然とした暗雲のようなものが覆っていた。こんなことは初めてだった。 マロンは負のスパイラルに陥っているリンクに気づかず、ぱっと顔を明るくした。 「じゃあ、私が当ててあげようか。えーっとね、リンクは何かで迷ってるのよ!」 「迷ってる?」 確かに、次の目的地は思案のしどころではある。しかし取るべき選択肢は限られており、近いうちに決着がつくだろう。 「エポナもそれを感じ取っちゃってるのね、きっと。馬は繊細な生き物だから」と彼女は一人で頷いている。「でも大丈夫よ。リンクは牧場に平和を取り戻してくれた、すごい人なんだもの!」 リンクはかつての澄み渡ったハイラルの空を思わせる瞳を、そっと伏せた。 「俺は、今まで迷ったことはない――そんな余裕はなかった。今まで何一つとして、自分で選んではいないんだ」 彼は時の勇者として与えられた使命を、淡々とこなしてきただけだ。デクの樹様に「ハイラルの姫に会え」と言われた時からずっと、決められた一本の道の上を歩いてきた。 青年の端正な唇の端に、自嘲の笑みが浮かぶ。 「なんでも他人の言うことを聞いてきた。もしかすると俺は、都合のいい奴として使われてるのかもな」 『リンク……』 ナビィの声が頭の中に響く。マロンには聞こえない声が。 そうだ。水の神殿であの影と対峙してから、リンクはずっともやもやしていた。その原因も分からないまま平原を歩いてきたのだが、それが今、やっと分かった。 リンクが今までとってきた行動は、あの影とほとんど変わらない。相手の行動をコピーする。誰かが示した道筋を辿る。あの影とリンクが入れ替わったって、問題は無いのではないか―― 食卓に深い沈黙が下りた。テーブルの上にフォークが置かれるかすかな金属音すら、うるさく聞こえる。 「それでも、オラと違って、リンクは逃げなかっただよ」 意外にも、重い空気を真っ先に破ったのはタロンだった。 リンクはビックリしたように顔を上げた。 「オラは魔王と取引するインゴーを止めなかった。先祖代々受け継いだ牧場も捨てて、たった一人の娘も捨てて、逃げ出しただよ……」 「ご主人……」 すっかり憑き物が落ちた様子のインゴーは、目を潤ませてすらいる。案外涙もろいのかも知れない。 「逃げる」だなんて、リンクは一度も考えたことのない選択肢だった。知らず知らずのうちに、自分は「逃げない」ことを選んでいた――? タロンの発言に呼応するように、マロンはリンクへ、真っ直ぐ視線を合わせた。 「今までリンクが誰かの言うことを聞いてきたのだって、きっと家族とか友だちとか、大切な人のためなんでしょ?」 ゼルダ姫。七年前に別れた時の、必死そうな顔が頭をよぎる。いや、彼女だけではない。 「誰かのために……」リンクはぼんやりと呟く。 賢者たちや、コキリの森の仲間たちや、マロンのような市井の人々。変わってしまった七年後の世界で、ガノンドロフに支配されていながらも、生きる人々がいた。リンクは、彼らがハイラルにいる限り、逃げるなんて選択肢は絶対に考えられなかった。 リンクの中で、何かが変わりつつあった。渦巻く思いが、はっきり言葉として結実しようとしている。 マロンはふっと表情を和らげた。 「それにね。『都合のいい』っていう言葉は、単に利用しやすいって意味じゃなくて、『いて欲しい時にそばにいてくれる』って意味もあると思うの」 リンクは、はっと口を開けた。いて欲しい時にそばにいてくれる――自分の存在が、誰かのためになっているのだろうか。 マロンは悪戯っぽく目を細め、唇の端をにっとつり上げた。 「この前エポナを持って行った時だって、リンクはアタシが一番来て欲しいと思った時に来てくれた。ビックリするほど都合良く、ね」 リンクは下唇をかみしめると、テーブルに置いていた食べかけの皿を勢いよく取り上げた。そのまま彼は、育ち盛りの青年が持てる精一杯の上品さを発揮して夕飯を味わった。さらに、あっという間に空になった皿を左手に持ち、マロンへ差し出した。 「……おかわり、よろしく」 ぼそりと言うと、マロンは満足そうに頷いた。大人たちからも、あたたかく見守るような視線を感じた。 翌朝。馬屋に様子を見に行ってみれば、エポナはすっかり元気になっていた。前日までの様子が嘘のように力強い動きを見せ、大量のにんじんと草をたいらげてけろっとしている。 「お前まさか、俺にここに立ち寄らせるために、病気のふりを……?」 リンクはこっそり訊ねてみるが、馬はぶるるる、といななくだけだ。 『そうかもしれないね』 とナビィは賛同してくれた。 ロンロン牧場の入り口では、マロンとタロン親子に加え、インゴーまでもが見送ってくれた。 「また来てね〜」 「ああ。都合のいい時に、な」 その捨て台詞は、マロンの微笑を誘うものだった。 時の勇者はエポナにまたがり、颯爽と平原に繰り出した。 「都合のいい男でも、悪くないな」 ナビィはリンクの横顔に微笑みのようなものが浮かんでいるのを見た。 勇者の去った後を追いかけるように、緑の風が吹き渡った。 * 「お前は都合のいい男だな」 リンクの呟きは唐突だった。彼は、まるであらかじめ用意していたように、そう発言した。 呼びかけられた側のゼロは、思わず目を瞬いた。 「えっ……それってどういう意味?」 ロックビルの神殿攻略を終え、ゼロたちは足並みを揃えてイカーナ村に帰ろうとしていたところだ。あまりに突然の台詞で、妖精たちも不思議そうにしている。 リンクは涼しげな顔で、 「言葉通りの意味だが」 とのたまった。 「そ、そう。なんか、褒められてる気が全くしないんだけど……」 ゼロは困ったように頭を掻く。都合がいいって、何? 便利屋ってこと? 何故いきなり、こんなことを言い出したのだろう。チャットが気になってちらりとリンクを見ると、「時の勇者」であった過去を持つ少年は肩を震わせ、笑いをかみ殺していた。 彼の顔に浮かぶのは確かな充足感と、幼さに似合わぬかすかな郷愁だ。 「本当に、ビックリするほど都合がいいよ」 ←戻る |