※学パロ





白澤は美術部に所属していた。おまけに、幽霊部員などではなくきちんと活動をする方の部員として。
ただし、その芸術性についてはほとんどの者が口を閉ざす。
ある意味芸術といえば芸術なのかもしれないとは、現代ならではの考えかもしれない。
そんな類稀な芸術性を持つ白澤は、美術という様々な選択肢の中でも専ら人物画を好んでいた。
言うまでもなく、モデルを頼むことを口実に女子に声をかけやすいという点と、堂々とその体を凝視していても咎められないという点。女好きの白澤にとってはこれ以上ないほど好ましいことばかり。
それを楽しみに部活に精を出しているといっても過言であるはずもないのだが、しかしこのところ戦況芳しくない。
モデルを頼もうと女子に声をかけても色好い返事がもらえず、それまでは楽しくお喋りしていたのに、突然言葉を濁して用事があるからと断られてしまうことが増えた。
皆忙しいんだな、と変なところで素直に納得する白澤は、その原因が自分であるなどと考えも及ばない。世間の声を気にしない白澤はそもそも自分の絵が周りから如何に評価されているか知らなかった。
示すところは、モデルを頼まれた女子達が完成したそれを見て、そのなんとも形容し難い仕上がりに密かに頬を引き攣らせ、白澤の絵の腕が噂として回り回った結果、皆何かにつけて申し出を断るようになったという単純な話だ。
モデルが捕まらないのでは意欲も湧かず、無機物に興味を示せない白澤は美術室前の廊下で一人、窓の外をぼんやりと眺めていた。
視界に広がるのは青い空と中庭の緑。暇そうな女子でも通りかかれば声をかけようと目論んでいたのだが、生憎と皆それぞれの部活に励んでいるらしく、人っ子一人見当たらない。
なんら変化することのない景色に飽きてきた白澤は、今日はもう帰ってしまおうと身を翻した。

「うわっ!?」
「何ですか、人の顔を見るなりその態度は。侮辱罪で訴えますよ」
「気配もなく現れるそっちが悪い!いきなり背後を取られれば誰だって驚くわ!」
「私はそんな隙は与えません」
「何なのお前軍人か何かなの?」
「いいえ、普通の高校生ですが。頭大丈夫ですか?」
「煩いな、知ってるよ!」

それほど油断していたつもりもなかったのに、いつの間にやら背後にいた鬼灯に不意を突かれ思わず声を上げてしまった。
ああいえばこういうを繰り返し、淡々とした鬼灯に対して全力で返してしまった白澤はどっとした疲労感にとり憑かれ、息を吐き出した。
本来生徒会室にいるはずの鬼灯がどうしてこんなところにいるのかと改めて視線を向けた先、その腕に抱えられている白い紙の束に凡その察しがつく。
両腕で抱えるほど重量のあるそれに、これではお得意の暴力も奮えまいと心の中でにんまり笑う。

「お前さ、こんなところにいるなんて暇なの?」
「そんなわけないでしょう。どこを見て言ってるんです。その目は飾りですか?」
「まさか。ちゃんと見えてるよ」
「…今日は女性と一緒ではないんですね」
「皆忙しいんだってさ。…あ、そうだ」

ジッと鬼灯を見据えれば、居心地が悪いのかもはやデフォルトとなっている眉間の皺が深くなる。
何やら警戒しているらしい鬼灯の顔に手を伸ばし、頬を撫でてそのまま髪を一房摘まめば、殺気に近しいオーラがその身から湧き上がる。
いつもなら手酷く払いのけられているところだが、今は両手が塞がっているからそうできず苛立っているようだ。

「何のつもりです?」
「んー、お前さ、僕の絵のモデルやってくんない?」
「……はぁ?」

この際、こいつでもいいかと、顔は十分に好みの範疇にある男に提案する――そう、男ということとその性格さえなんとかなればドストライクなのに。
ピリピリと肌を刺す荊のように刺々しいオーラを受け流すように、白澤は笑顔を貼り付ける。
相変わらず鬼灯の両手の自由がないままなのをいいことに、摘まんだ黒髪をくるくると遊ばせながら。

「……フンッ!」
「いってぇ!」
「貴方、本当に馬鹿ですね」
「いやー、ちょっと自分でもそう思ってる」

弄んでいた黒髪がするりと逃げて、もたらされたのは頭にガツンとくる一発だった。
同じ身長で、紙束を挟んだだけの至近距離にいれば、いくら両手が塞がっているとはいえ攻撃の手段はあったのだ。それに思い至らず調子に乗った自分の浅はかさに少々落ち込んだ。
このまま背を向けて去ってしまうんだろうと思っていた鬼灯は、何を考えているのかその場に止まったままで。
白澤はじんじん痛む額を擦り、顔を顰めながら鬼灯の出方を待った。

「仕方ないですね」
「え?」
「そのモデルとやら、引き受けてやってもいいですよ」
「何で!?」
「それが申し込んだ側の言葉ですか?やる気のない者に部活動をさせるのも、生徒会役員の仕事かと思いまして」

どうやらモデルがいなくて帰ろうとしていたところまでお見通しらしい。
生徒会にそこまでする義理はないと思ったが、なんにせよ引き受けてくれるというのならいう事はない。
鬼灯の気が変わる前にと美術室に入るよう促そうとしたところ、先にこれを置いてきますと抱えた束を示されれば頷くほかない。
それにしても、あれだけの量を長時間抱えておいて全く疲労の色がないとは大したものだ。
生徒会室に向かった鬼灯を送り出してから、本当に戻ってくるだろうかと疑いを持ったが、数分後、鬼灯は変わらぬ仏頂面で美術室の戸を叩いた。
いきなりの生徒会役員様の登場に、各々作業をしていた部員達がざわめいたのはいうまでもない。
鬼灯と白澤の犬猿具合を把握している部員達が見守る中、鬼灯は真っ直ぐに白澤の座っている机の前までやって来た。
手持無沙汰にくるくると回していた鉛筆を止め、白澤は鬼灯の真意を探るようにしながら机を挟んだ向かいの席に座るよう促した。
無言で腰を下ろした鬼灯と、ジッと鬼灯を見つめる白澤。恐ろしいほどの無言状態に周りの方が落ち着きをなくしている。これでは作業もなにもあったものではない。

「今日は、こいつにモデルになってもらうだけだから。皆は気にしないで作業してよ」

宣言すれば一部から驚きの声が上がったが、それ以上は何事もなく、皆各々の手元に視線を戻した。恐らく、鬼灯が周囲を見回したせいもあるだろう。
無駄に鋭いこの眼光で一睨みされればそうなってしまうのも仕方のないことだ。ただ、白澤は例外であるが。

「お前が何考えてるかはわからないけど、引き受けたからにはちゃんと役割こなせよ」
「当たり前です。私は常に人事を尽くす種類の人間です」
「うん。別方面にも無駄に人事尽くし過ぎだけどね」

自分にもたらされた嫌がらせの数々を頭に浮かべ、白澤は遠い目をして口元を歪めた。
鬼灯はしれっとした様子で、美術室の入り口とは反対側にある窓に視線を投げた。

「あ、ストップ。そのまま、動かないで」
「……」

正面もいいが、白澤は鬼灯の横顔を気に入っていた――勿論、あくまで好みの顔という範疇で。
椅子に若干斜めに座り、顔が横に向けられている体勢で動きを止めた鬼灯は、何も言わず窓の外を見つめていた。
白澤は机の上に用意しておいたクロッキー帳を持ち上げ、弄んでいた鉛筆を握り直した。
ジッとパースをとるために鬼灯の横顔を見つめながら、やはり綺麗な顔をしているなとしみじみ思う。それが自分とよく似ていると言われていることがどういうことかは一先ず置いておいて。
皆が自分の作業に没頭しているため割かし静かな空間で、シャッシャッと白澤の操る鉛筆が白地に踊る。

肌が白い。口が小さい。目つきは悪いけど睫毛が長い。
知っていたはずなのに、こうして改めて見るとまた違って見えるものだ。
窓の外に向けられた黒曜の瞳には、いったい何が映っているのだろうか。
気になって、白澤は手を止めて鬼灯の視線の先を追った。
そこには何の変哲もない青空が広がるだけで、がっかりした気がしたのに、何故か安堵の感情も混じっていて小さく困惑する。

「…描けたんですか」
「あ、うん。…今度は正面を描きたいんだけど」
「わかりました」

自分に向けられていた視線が別に移ったのを感じたのか、鬼灯に尋ねられて心臓が跳ねた。
別に何を思っていたわけでもないのに現実に引き戻された感覚に陥って、妙な感じだ。
咄嗟に言ってしまって、白澤はすぐに後悔した。
白澤と向き合った鬼灯は、迷うことなくその視線を白澤へと向けたからだ。
それは寧ろ当然のことであるし、今までにモデルを頼んだ女の子たちもそうだった。
彼女達は白澤の絵を描く姿を見ていて楽しいと言ってくれていたが、鬼灯はそうではないだろう。白澤は、ページを捲って真っ新になったそこに鉛筆を滑らせながら躊躇いがちに口を開いた。

「お前、僕のこと見ながら何考えてるわけ?」
「…そんなの、次はどんな嫌がらせを仕掛けてやろうか、ということに決まってるじゃありませんか」
「残念でした決まってませんー。お前の常識を押し付けるなよ。まぁ、そんなとこだろうとは思ったけどさ…」
「なら聞かないでください」
「……」
「……」

あぁ、またこれか。
胸に蟠るこれはいったいなんなのか。わからなくて口を閉ざせば、あっけなく沈黙が落ちた。
己の感情から逃避するように鉛筆をじゃかじゃか走らせつつも、モデルである鬼灯のことは見ていなかった。理由はわからないけれど、見られなかった。
けれど、何故か鉛筆は止まることのないまま役目を終えて、一枚の絵が完成していた――見ずとも頭の中に鬼灯の顔が浮かんで、それをそのまま描いた。
ハッと我に返り、白澤は握り締めていたそれから顔を上げた。瞬間、口から飛び出るんじゃないかと思うほど心臓が大きく跳ね上がった。
無言のまま自分を見つめていた、艶やかな黒い瞳。そこに宿る熱のようなものを感じて、ドクドクと煩いほどに鼓動が早まる。

「全然こちらを見ていませんでしたが、出来たんですか?」
「え、あ…待ってっ」
「…なるほど、これなら納得ですね」


ずっと自分を見ていた鬼灯なら、自分が鬼灯を見ていなかったことに気付くのは当然だ。
指摘されて返事に窮している隙に、手の中からクロッキー帳がさらわれる。
自分でもあまりちゃんと見ていなかったそれがどんな出来かは定かではないが、実物を見ずに描けてしまった鬼灯の絵など、本人に見せるわけにはいかない。
咄嗟に取り返さなければと手を伸ばすも、時既に遅かった。
描かれたものに視線を落とした鬼灯は、表情一つ変えずに頷いた。予想していた反応ではないことに、白澤は肩透かしを食った気分になる。

「何が納得?」
「女の子たちがモデルを断る理由ですよ」
「何それ。理由も何も彼女達は忙しいんだよ」
「貴方、どうしてそう変なところで素直なんですか。いえ、寧ろそう思い込みたいだけですかね」
「だから、どういう」
「この絵ですよ。彼女達も、折角モデルをしたのに完成したのがこの絵では、お気の毒に」

パシ、と自分が描かれたページを示しながら鬼灯がさもそれが正解だとばかりに言い放つ。
鬼灯に嫌味を言われるのはいつものことだ。けれど、何もそこまで言わなくてもいいではないか。

「お前さ、もしかしてそれを言うためにわざわざモデルを引き受けたわけ?僕のこと笑うために?」
「違います」
「じゃあ、何…っ」

唇に歪な笑みを浮かべて責めるように鬼灯を見れば、そのことを何とも思っていないような無機質な瞳とかち合った。けれど、瞬きののちに向けられたそれには白澤には理解できない色が混じっていて、思わず吸い込まれそうになって息を呑む。
次いで、小さな口からは溜め息が漏れた。

「貴方、本当に馬鹿ですね」
「まだ言うか」
「まぁ、私も大概、ですが…」
「へ?」
「貴方が気付くまで、私は何も言うつもりはありません」

しみじみと溢されて反発しようとしたところに、思ってもみない言葉が落とされる。
けれど、鬼灯は目を丸くする白澤を余所に、素気無く席を立った。
このまま帰ってしまうのだと悟った白澤は、咄嗟に鬼灯を呼びとめていた。
ゆっくりと、何の感情も滲まない能面が視線だけを寄越す。

「また、モデル頼んでもいい?」
「…時間があれば、お相手しますよ」

何故か焦ってそう言ってしまった自分に驚きながら、白澤は拳を握った。
ふっと一瞬だけ笑みを浮かべて、再び能面に戻った鬼灯が、今度こそ美術室の出口に向かって歩き出す。
扉を出て鬼灯の姿が見えなくなるまでを無意識で見送って、白澤は崩れるように机に顔を伏せた。
冷たいそこに額を擦り付けながら、鬼灯の言葉の意味と、自分の言動理由を考える。

「あー、わっかんねー」

ゴンッと大きな音を響かせたそれに視線が集まったのも一瞬で、それにさえ気付かぬほど頭を悩ませている白澤は、違う意味でも痛みを訴える額を擦りながら顔を上げた。
頑丈な机は白澤の頭突き程度ではどうなることもなく、涼しい顔をしている。
暫くそこを睨み付けていた白澤は、ふと窓の外に視線を向けた。あの時、鬼灯は何を見ていたのだろう。それとも、何もみていなかったのだろうか。
そこには青と緑が広がるだけ。そのはずだったのだが、少し視線を下げてハッとした。
薄ぼんやりとではあるが、そこには淡く額を赤くした白澤の姿が映っていた。鏡ほどでないにしろ、窓ガラスを姿見の代わりにするものもいる。街中でよく目にするあれだ。
まさか…と、一つのあり得ない可能性を見出して、白澤は不自然な動悸に犯されながら再び机に突っ伏した。
あり得ない、あり得るはずがない。

そうなれば、自ずとこの胸に渦巻くものの正体が知れてしまう気がして、白澤は机の上に放り出されているクロッキー帳に手をやった。
まだ自分では確認していない一枚に目を向けることもできなければ、くしゃくしゃに丸めて証拠隠滅を図ることもできやしない。
頭の中ではまたもや細部まで思い出せる鬼灯の顔が浮かんで、まるでどうするのかと問い詰めるような眼差しで白澤を見ていた。自分の想像のはずなのにどこまでも不遜なところがいけすかない…はずなのに、どうしてだ。
もやもやは心を覆い尽くす勢いで広がっていく。
それまで無言でクロッキー帳を握り締めていた白澤は、やがて無言のまま立ち上がった。
がたり音を立て美術室を出た白澤を、最早誰も気に止めはしない。
一心に足を動かしながら、白澤の頭にあるのは、ピンと背筋の伸びた気品漂う彼の後ろ姿だった。




[*前] | [次#]






人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -