「橘君だったらどうする?」
「え?」

教室でぼんやり考え事をしていると、いつの間にか周りに集まって何やら会話していたらしい彼女達に突然話を振られる。
自分はどうも無意識のまま適当に返事をしてしまっていることがあるらしく、今回もそうだったみたいだ。
それまで相槌を打っていて当然話を聞いているものだと思っていた彼女達は、俺の反応に不思議そうな顔をした。

「ごめん。ちょっとボーッとしてて…何の話だっけ?」

正直にそう言って微笑めば、彼女達は仕方なさそうにそれまでの流れを簡単に説明してくれた。

「人魚姫だよ。王子様が全然気付いてくれなくて、人魚姫が可哀想だって話」
「王子様ひどいよねーって」
「で、もし橘君だったらどうするかなーってさ」
「俺が人魚姫だったら?」
「違う違う、橘君が王子様だったら!」
「あぁ、そういうこと…」

彼女達はおかしそうにくすくす笑った。
俺もつられて笑みを作りながら、人魚姫という単語で真っ先に頭に浮かんだ人物に自然と目を向けた。
隣の席にいながら自分の方ではなく窓の外を眺めていた横顔が、まるで示し合わせたみたいにこちらを向いて、カチリと視線が重なった。
けど、それはあっという間に逸らされてしまって、澄んだ蒼い瞳はまた晴れ渡った空に投げられた。
苦笑を漏らして、俺も自分の答えを待っている彼女達に視線を戻す。

「俺が王子様だったら、きっとすぐに人魚姫に気付くと思うな。それで、絶対に海に帰したりしない」

海になんて帰してあげない。逃げる隙なんて与えてあげない。
人魚姫がずっと王子様を想っていたように、王子様だって人魚姫を想ってたんだ。
その想いが通じたんだから、もう二度と離したりしない。
心の奥の醜い感情に気付かれないように真綿で優しく包み込んで、例え気付かれてしまっても傍から離れられないように、大切に大切に扱って、帰りたいなんて思うことがないように。

「そういうのっていいね」
「なんか橘君らしいなー」
「そうかな?」

にっこり。表面上で柔らかく微笑めば、心の中の仄暗い疚しい感情になんて誰も気付かない。
彼女達がまたおしゃべりを始めると、隣でガタンッと音がして、ハルが立ち上がったのが視界の隅に映る。
思わず目を向けて、こちらなど見向きもしないで教室を出て行くハルの表情に慌てて立ち上がる。
いきなりのことにびっくりしている彼女達にごめんと一言告げて、返事も聞かないまま俺も教室を出る。

「ハル!」

人通りの少ない廊下を足早に歩くハルに駆け寄って、引き止めるように腕を掴む。
ぴたりと動きを止めてくれたハルは、けれどこちらを振り向いてはくれない。

「ハル、怒ってる?」
「別に」

向けられ続ける背中が冷たく感じられて、掴んだままの腕を引いて半ば強引に歩き出す。若干の抵抗を示しながらも、ハルはちゃんとついてきてくれた。
連行するような形で近くにあった男子トイレに向かい、誰もいないことを確認して一つの個室にハルを押し込んで後ろ手に鍵をかける。
さすがに大の男二人も入れば窮屈に感じるけど、今はこのくらいが丁度いいと思った。
誰にみられることもない安心感から、やっと正面を向いたハルを抱きしめる。
ハルは少し身じろぎして、けどすぐに大人しくなった。

「ごめん」
「意味がわからない」
「うん。ごめんね、ハルちゃん」
「……」

ぼそりと「ちゃん付けするな」と溢して、おずおずと抱きしめ返すように背中に回ってきた腕に、どうやら許してもらえたようだと安堵の息が漏れる。

「ハルはさ、王子様っていうよりは人魚姫だよね」
「は?」

怪訝そうにしているだろうハルには答えないで、腕の中にある体を更に強く抱きしめる。
すぐにハルから「苦しい」と抗議の声が上がって、また少し力を緩めた。

ハルが人魚姫なんて、似合い過ぎていけない。

もしハルが人魚姫なら、そもそも海から出ようとは思わないだろう。
気紛れに王子様を助けたとしても、人間になろうなんて思わない。王子様に恋したりしない。
海を、離れたりはしないのだ。
それで、王子様は来もしない人魚姫に恋焦がれ続けて、結局その想いをどうすることもできないまま、二度と会うことのないまま死んでいくんだ。

とことん後ろ向きな考えを繰り広げていると、それまで沈黙していたハルが口を開く。

「真琴、俺は…もし王子様がお前なら、海を出て会いにいく」
「…ハル?」
「人間になったって、海に入れなくなるわけじゃない。けど、真琴は海の中にはいないだろ」

なら海を出るしかないじゃないか、なんて平然と言ってのける幼馴染は、相変わらずの淡々とした声でいとも容易く俺の心を揺り動かす。
意図せず、無意識に俺の後ろ向きな考えを打ち消してしまう。
なにより嬉しい言葉に、思わず涙が出そうになる。

「俺も、もしハルが人魚姫なら、絶対に気付くよ。それで、必ず幸せにする。悲しい思いなんてさせない」

二度と海には帰さない。誰の目にも触れさせたくない。なんて言葉は、言えるはずがない。俺は本当に臆病で狡い人間だ。
自己嫌悪に苛まれていると、突然強い力で胸を押される。油断していた体はそのままハルと俺の間に少しの距離を作った。

まさか心の中を読まれて拒絶されたわけじゃないだろうけど、後ろめたい気持ちがある以上、どうしても焦りと不安を感じてしまう。
ハルがゆっくりと顔を上げて、凪いだ海のような瞳が俺を捉える。
その目にはきっと情けない顔をした自分が映っているんだろうと思うと、直視することが出来なかった。

「真琴」

視線を逸らしていることを咎めるような声に、ゆるくハルの腰に回したままだった手を離す。
すると、そうじゃないというようにもう一度名前を呼ばれた。
観念して、恐る恐る視線を合わせる。
真っ直ぐに自分を見据えるハルの瞳には、予想通り情けない自分の顔が映っていた。

「真琴、俺はお前に幸せにしてもらおうなんて思ってない」
「……うん」
「俺が、お前を幸せにしてやる」
「…へ?」

突き落とされたかと思えば、すぐに引き上げられる。
ハルの言動は高低差がありすぎてさすがの俺でもたまに困惑してしまう。
思考が一時的にショートしてしまっている俺のネクタイをハルが掴む。
いきなり強い力で引かれて前のめりになった次の瞬間にはハルの顔が間近に迫っていて、チュッと軽い音を立てて唇に温もりが触れた。
それはほんの一瞬で、すぐにその温もりは離れていった。掴まれていたネクタイもあっさり解放される。
何が起きたのか理解するのに時間がかかって、呆然としていた俺の目の前で、ハルがにこりと笑った。
水以外のことに滅多に向けられることがないその表情に、顔が一気に熱をもつ。
もう、幸せすぎて言葉も出ない。
この幼馴染は本当に男前すぎる。けれどそれが可愛くみえて、とても愛おしいのだからどうしようもない。
言葉に出来ないこの想いをなんとか伝えるために、もう一度ハルを抱き寄せた。
甘く緩んでしまう顔を隠しもしないまま、さっきよりも熱いキスをする。

そして、漸く顔を離して乱れた息のまま、そこが男子トイレの個室だったことを思い出して、二人して笑い合った。



(僕と君、二人で幸せになろうね)





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