現代設定。従兄弟同士な伊達組と人外獅子王の話。






貴重な土日に親に連れられた片田舎の親戚の家を飛び出して、ちょっとした気晴らしのつもりでおやつの饅頭を持参して裏手の山に入ったのは、確か昼ご飯を食べて少ししてからだった。
玄関で靴を履いているところに「山は暗くなるのが早いからあまり遅くならないようにな」と年上らしい忠告を寄越した従兄の言葉に適当に相槌を打って、まだ時間に余裕はあるからとゆっくり裏山に向かった。
少し赤い葉が混じり始めている木々に囲まれ、小学生男子らしく昆虫を探し歩く。
頭上にばかり向けていた視線をふいと地面に落としてみると、視界を素早い何かが横切った。
つられるようにそちらに目を向ける。黒い毛玉のようなものがこちらに気付いた様子もなく山の奥の方に駆けてゆく。
猫か兎だろうか。好奇心のままに、気付けばそのあとを追って駆け出していた。
周りが目に入らなくなるほど、まるで吸い寄せられるように毛玉の存在にしか意識が向かない。固定されてしまったように、この目に映るのは揺れる毛玉だけ。
そのうち、重たい体を跳ねさせるように走っていたそれが急に信じられないくらい速度を上げて、人間の足ではとてもじゃないけど追いつけなくなる。
その姿が完全に視界から消えて漸く、周りの景色が目に入ってきた。
いったいどれくらい走ったのか。体力はある方なのに、こんなに息が上がるなんてよっぽどだ。
肩でしていた息を整えるように呼吸を繰り返して、頬を伝う汗を拭いながら改めて辺りを見回す。
ここはいったいどこなんだろう。右を向いても左を向いても同じような木が並んでいるだけで、自分がどの道からきたのかもわからない。
よくニュースなんかで耳にする「遭難」の二文字が頭に浮かんで、サッと血の気が引いていく。
心細さと不安で涙が出そうになるのを、泣いたら格好悪いという意地だけでなんとか我慢する。
かさかさ。いきなり足元の茂みが音を立てて、びくりとそこから飛びのく。
あぁ、今のは格好悪かったな。
早速自己嫌悪に沈む光忠の目前に現れたのは、小さな狐だった。
野生の狐…? 山に狐が住んでるなんて本当にあるのかな…?
しげしげと見つめる光忠に物怖じする様子もなく、狐の方も光忠をつぶらな瞳で見上げている。
一先ず命に関わる凶暴な生き物でなかったことに安心して、ぺたりとその場に座りこむ。
三角座りで膝に顔を埋め、息を吐く。
これからどうしようか。
文字通り膝を抱える光忠の足に、柔らかな感触が伝わった。そっと窺うと、狐がその身を猫のように擦り付けていた。
そのあまりの可愛らしさに、場にそぐわず癒されてしまって頬の筋肉が緩む。
笑うと少し、心が落ち着いたような気がした。
いつまでも離れようとしない狐に、怖がらせないよう優しく手を伸ばす。
「人懐こいんだね、君」
甘んじて光忠の手を受け入れる狐にそっと囁く。
こんな山の奥を人がよく訪れるとは思えないけど。どうもこの狐は人に慣れているみたいだ。
ふわふわの毛並みに触れているうちに、さっきまでの不安は嘘のように消えてしまっていた。
山に入ってどれだけの時間が経ったのかはわからない。けど、どうせわからないなら今をおやつの時間と決めてしまってもなんの問題もないということだ。
小さな鞄から饅頭を一つ取り出す。とんとん、と催促するように狐の前足が光忠の足を叩いた。
「ちょっと待ってね」
その瞳がきらきら輝いてみえて、思わず笑いを漏らしながら半分に割った饅頭を広げたハンカチの上に置いてやる。
狐は嬉しそうにはむはむとそれを口に含み、ぺろりと平らげてしまった。
光忠も二口ほどでそれを食べ終えてしまう。あっという間におやつの時間が終わってしまった。
狐はもう饅頭がないことがわかっているのか、更に強請るようなこともせずにただ寄り添うようにそこにいた。
さて、どうしようか。改めて考え始める。動き回るのは得策じゃないとわかっていても、ジッとしていられないのが子供という面倒な生き物だ。
「狐くん、町に出られる道を知らないかい?」
試しに聞いてみると、冗談のつもりだったそれに、狐はまた目を輝かせた。今度は期待をするようなそれじゃなく、任せろと言わんばかりの火を灯したみたいな。
この子は、ほんとに人間の言葉がわかってるのかもしれない。
たすたす。今度はふわり質量をもった尻尾が足を叩く。まるで「行くぞ、早く立て」と促すみたいに。
光忠が立ち上がるのを待ちかねたのか、せっかちな狐は数歩先に進んでこちらを振り返り、再び急かすみたいに尻尾を振った。
「待って」
これ以上動かないなら置いていくと言われているようで、慌てて立ち上がってその後を追う。それでいいのだ、とでもいうように鼻を鳴らした狐は軽快な足取りで山の中を進む。
まるで何かのおとぎ話みたいだ。
そういえば狐は人を化かすという言葉があったな、と思ったけど、だからといってすべての狐がそうなわけじゃない。あの輝く瞳を見たからか、人に慣れていることを受けてか、このまま狐のあとをついていくことへの迷いはなかった。
いつしか夕陽が空に昇る頃には、山の中はすでに夜のような暗さになっていた。
時々木の間から覗く茜色に安心しながら、こんなに奥の方まできていたことに驚く。
体感している時間と、この山の中の時間は別ものみたいだ、とありもしないことを考えながら、ふわふわこちらを誘うように揺れていた尻尾を見失わないように注意して進んでいた…はずなのに。
狐が徐に何かに反応したように空をみたと思えば、こちらを顧みることもなく進行方向とはまったく別の方へと走り去ってしまった。
「え…どうしたの!?」
咄嗟のことに後を追うこともできなくて、ぽつり置いてけぼりを食らった光忠はその場に立ち尽くす。
ざわざわ。木々が風に揺すられる音にびくりと身が竦む。
暗い山の中。子供の身長から見渡す世界は、自然が織りなすお化け屋敷のようだ。
大きな木が今にも襲い掛かってきそうなお化けにみえて、いつの間にか足が震えてしまって動けない。
きょろきょろと辺りを見回しても暗くて何も見えなくて、むしろ恐怖が増すだけだった。
「どうして…」
信じていた狐に裏切られてしまったのか。やっぱり狐は人を騙す生き物だったのか。
この状況に陥ってもまだ、そんなはずはないと一度信じた気持ちがそれを否定する。


コーン――――…

すぐ近くから狐の鳴き声がしてハッとする。怖くて下がっていた顔を上げると、何もなかったはずのところがいきなり明るくなった。
ただの光のようにみえたそれは、よく見ると古めかしい提灯のようだった。
光忠の目には、支えるものがないそこにぽつりと提灯だけが浮いているようにしか見えなくて、強張った喉からは悲鳴も出なかった。
提灯はゆらゆらその場でニ、三回揺れたあと、すーっと風に流れるように前方に移動する。
少し行った先で止まって、また揺れる。そこに、あの狐の姿が重なった。
「…ついていけばいいの?」
なんとか絞り出した声に返るものはなく、静か提灯がまた先を行く。
男らしく覚悟を決めて、縺れそうになる足で提灯を追いかけた。
他の何の姿も声もないはずなのに、そんな光忠の反応をみた何かが笑っているような気がした。
反応がないんじゃ何かを話すこともできなくて、無言で歩いてどれくらいが経ったか。
前方がほんのり明るくなった――火の明かりじゃない、町の明かりだ。
駆け出す光忠を迎えるように、提灯は山の出口の手前で止まった。
提灯を追い越して山の外に出た光忠の視界に、町の明かりが広がった。
安心と妙な興奮を胸に抱えて振り返った一瞬。
提灯の明かりに照らされて、和風な格好で金色の髪をした少年の姿が見えた。
この世のものとは思えない綺麗な顔に見惚れてしまって、目を離すのを惜しいと思いながら、幽霊かどうか確認するために下げた視線の先。
きちんと存在した和装から伸びる細い足に、最初にこの山の中でみた黒い毛玉のようなものが映る。
もしかしたら、彼がこの毛玉の主なのかもしれない。
もう一度、自分より少し高い位置にある彼の顔を見上げると、その口元がゆっくりと開かれた。
「       」
全神経を研ぎ澄まして、その声だけを拾おうとしても、一向に何も聞こえてこなかった。
ぱくぱく。短い言葉。口の動きだけではよくわからなくて、聞き返そうとしたら別の声に邪魔をされた。
「光坊ー!」
「っ!」
そこで反射的に声がした方を向いてしまったことを、後悔した。
手を振る鶴丸の姿にまた少し安心して、迎えがきたようだと伝えようとした先は、真っ暗だった。提灯の明かりも、少年も、毛玉も、何もかもが最初からそこに存在しなかったみたいに消えてしまっていた。
「……」
夢、じゃなかったはずだ。
声も聞いていないし、触れて確かめたわけでもない。けど、彼は確かにここにいた。
「お礼。言いそびれちゃったな…」
「こら、遅くなるなって言っただろう」
ジッと山の方をみつめて動かない光忠のところまでやってきた鶴丸に、後頭部を小突かれる。
「どうかしたか?」
それでもそこから目を離そうとしない光忠の見ている先が気になったのか、倣うみたいに隣に立つ鶴丸も暗い山中に目を向けた。
「お化けでもみたか?」
「そう…なのかな」
「さぁな。とりあえず帰ろうぜ」
ここは暗いし冷える。昼間着ていたTシャツに薄いカーディガンを羽織った鶴丸がそう言いながら腕をさする。
そういえば、少し寒いな。
山の中にいる間、暗さに震えても、寒さに震えることはなかった。
鶴丸に言われて漸く実感したそれに、七分丈から覗く肌を手で覆う。
「腹も減ってるだろ、ほらほら」
背に手を添えられて、促されるままに名残惜しむ足を動かした。
最後にもう一度、こっそり目だけを向けたそこには、やっぱり何もない暗い山があるだけだった。
家に帰って夕飯を食べて、そんなことにまたちょっと安心しながら、心配させてしまったことを謝った。
頭の中にはずっと金髪の少年のことがあって、信じてもらえなくてもいいから誰かに聞いてほしくて、そっと内緒話をするみたいに鶴丸に今日あった出来事を打ち明けた。
馬鹿にするでもなく面白そうに話を聞いていた鶴丸は、最後にこっそりと「俺も幼い頃にまったく同じ経験をした」と教えてくれた。
けど、もう一度会おうなんて考えて山の中に入るのは止めておけ。今度こそ帰れなくなるかもしれないぞ。
それは光忠のことを心配しているようでいて、もっと別の何かを含んでいるようでもあったけど、子供心で理解するには難しいものだった。
それでも、提灯に照らし出されたせいで自分と同じ色にみえた彼の瞳が、本来何色なのか。そんなことが、いつまでも気になって仕方なかった。



「君は本当に若い子が好きなんだな」
「…変な言い方するなよ。こいつが勝手に連れてくるんだ」
こっちだっていい迷惑だ。ぶつくさ文句を垂れながら、手には鶴丸が持ってきた饅頭をしっかり握って、獅子王は石段に腰を下ろした自身の足元で丸くなっているそれを目で示す。
「そいつもわかってるのさ、君が子供好きだってことが」
「子供なんてうるさくて頭が悪くて面倒なだけだ」
「はいはい」
「ほんと、お前はいくつになっても可愛げがねぇのな」
にまにまと神経を逆なでするような笑みを浮かべる男の瞳には、自身の幼い姿が映っている。その見かけで言っても説得力がないと、その目は語っている。
鶴丸が今の光忠と同じ年の頃から、変わらぬ姿でいる人ならざる存在の自身が外見に見合わぬ年寄りだと知っていてのこの態度なのだから、この男は本当に可愛げがない。
「仕方ないさ。一際可愛らしい君の前ではどんな可愛いものも霞んでしまうってことだ」
「…勝手に言ってろ馬鹿」
思えばこの男は、初めて自身が姿をみせた時から一度たりとも怖がったりなどしなかった。闇に浮かぶ提灯を見れば、光忠のような反応こそ普通である。それなのにこの男ときたら、反して目を輝かせてみせたのだから、あの頃からすでに存在しなかったそれを今更持てと言ったところで土台無理な話だったか。
この世のものではない自身に向けるには不釣り合いすぎる台詞にうんざりしながら饅頭の袋を開け、半分を足元に転がしてやる。
ぴくぴくと鼻先を鳴らした毛玉が大きな口を開け、一口ですべてを平らげてしまった。
それでは飽き足らず更なる要求をするそれに残りの半分もくれてやって、自身は鶴丸の手元にあった饅頭を横取りする。
鶴丸はまた自分で買うことができるのだから構わないだろう。言葉もなく奪ったものを口に放り込む獅子王の姿を、鶴丸は憤るどころか嬉しそうに眺めていた。
可愛くないどころか、とんだ変人だ。
みられているのが落ち着かなくて、そっぽを向いて残りを咀嚼する。
そうだ。初めて助けてやった後も懲りず山に入っては自身を探して駆け回り、日が暮れる前にはきちんと山を出て行くような奴だ。毎日それが続いて、あまりに目障りで煩いものだからついつい文句をつけに姿をみせそうになったこともあったが、その前に鶴丸は獅子王の住処を見つけ出したのだ。山の奥にこじんまりとあるこの社を。
二度も世話をかけては君に呆れられると思ったから時間制限つきで探してたんだ。条件つきの方が燃えるだろう。
そう言って笑った子供らしくない子供を助けてやったことを、後悔したのは初めてのことだった。
目的は達したのだからもういいだろうと言った獅子王に、将来自分の嫁になってくれと言い放ったのも、この男が初めてだった。
それからというもの、鶴丸は頻繁に獅子王のもとを訪ねてくるようになった。
一時は都会で勉強をしてくるとこの町を離れていたものの、長い休みに帰ってきてはまた懲りずやってきた。
やがて物書きという職業に就いた鶴丸は、この町に腰を据え、これでいつでも会えるだろうと笑った。
締切から逃げてくることもしばしばだが、どんな理由にせよ手土産の饅頭は欠かさなかった。
飽きず獅子王を口説くこともそうだ。もう立派な大人であるこの男には、自分と添い遂げることが不可能であるという分別もついているだろうに。
「可愛いといえば、暫く君が狐の姿になったところを見ていないな。俺の前では尻尾を振ってくれないのか?」
「とって食われちゃ敵わねぇからな」
「…よく言う」
人前に姿を現す際には警戒されないためにも狐の姿をとることが効率的だ。なぜ狐なのかはわからない。最初からそうだったのだ。
けれどそれは日が昇っているうちにしか使えない手段。日が沈んでしまえば途端に今のような人型に戻ってしまう。
どちらがより楽か、なんて違いはないのだが、今更鶴丸の前で姿を変えてやる必要も義理もありはしない。ひとたび狐の姿をとってしまえば、無遠慮に撫で繰りまわされることなど目に見えているのだから、誰が姿を変えてやるものか。お願いされたって御免被る。
「罪な奴だよ、君は。俺もまさかあんな子供に嫉妬する日がくるとは思わなかったがな」
「呆れた奴だな、あんたは。俺は誰にも特別な感情なんて持ちやしねぇよ」
「そうしてくれ。あぁ、そういえば今回は来ていないがもう一人うちにはガキがいてな。そいつにまで手を出すのは止めてくれよ」
「馬鹿じゃねぇの…手なんざ一度も出したことないっての。そんなに言うならしっかり手綱握ってろ馬鹿」
「馬鹿という方が馬鹿なんだ、という言葉を知ってるか? 恋する男は馬鹿になると相場が決まっているから、俺もそうなのかもしれないがな。まぁ、肝に銘じておこう」
いつからかは記憶にないが、知らぬうちにこの山に住むようになった自身が、神に近いものなのか、ただのあやかし風情なのかは知らない。気付いた時には自身の名と、この毛玉とはずっと一緒にいた、ということしか憶えていなかった。何れにせよ人ならざるものに違いはないのに、不気味がるどころかこうして愛を囁く愚か者がいる。
毛玉と二人で暮らしていた山が、いつしか賑やかな日常に彩られて、どうせいつかいなくなる生の短い者を拒むことが出来ない愚かは自身も同じ。
饅頭の美味さに絆されて、またこうして相手をしてしまう。
子供なんて好きじゃない。人間なんて好きじゃない。
そう言い聞かせながら、来訪の絶えるその時までを、思うように過ごせたらと。

そうして、二人目の後を追うように一年も経たぬ内。猫を追いかけて山に入った件のもう一人までもが、結局は同じ末路を辿ることになるのだった。



※補正
獅子王は自分が何者かも知らないので鵺のこともわからなくて毛玉と呼んでます。




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